ナギ君


「動かざること天のごとしって名高い顔ナシ様に憑かれてるなんて、きっと結子もすごい能力があるんでしょうね」

「ないですけど……」

「謙遜しちゃって。まあ、そんなの極秘よね!」


 鈴姫ちゃんは勝手に納得してしまったが、すごい能力とやらがあるのなら、この閑散とした店は今頃大賑わいだろう。

 鈴姫ちゃんは米粉ドーナツを食べきった途端、ズイとカウンターを挟んだ私に猫顔を寄せた。


「そんなすごい能力がある結子にね……実はお願いがあるのよ」


 まるで米粉ドーナツを食べると、話しにくいことを素直に話してしまう──かのようなタイミングでのおねだり発生だった。


「私ね、簪の付喪神なの」

「髪に飾る簪ですか?」

「桜の花を模した簪でね!鈴が付いていて髪に刺して歩くとチリンチリンって鳴るのよ!良い音なの!」


 鈴姫ちゃんが興奮気味に自身が宿る簪について語ったと思ったら、すぐにしゅんと下を向いた。


「でも私はね、もう何年も引き出しの奥底に入れられてホコリ塗れで光も浴びてなくて錆びまくって……忘れ去られてるの」


 鈴姫ちゃんのしょんぼりした声に、胸が痛んだ。彼女の実体は「物」なのだ。物は仕事を終えれば使われなくなり仕舞われて、忘れられる。


 今時は使わないまま仕舞われて忘れられる物も多いだろう。そんな「物」の気持ちを想うと胸が痛かった。物には想いがあって、命が宿っているのに。気がつくと私は、右手についた翡翠の指輪をそっと撫でていた。


「それは……寂しいですね」

「寂しいとか、もうないんだけどね!いらないなら捨てて欲しいの!」


 鈴姫ちゃんはあっけらかんと声色を変えた。しゅんとしたりカラッとしたり忙しい。


「付喪神って、持ち主がいると実体のある場所から半径五㎞しか動けないのよ。だから、役目を終えたならいっそ捨てて欲しい。そうしたら私、どこへでも好きなところに行けるでしょ!」


 鈴姫ちゃんは希望に満ちた輝く瞳で夢を語った。


「神ノ郷村から出たことがないの。外の世界を知りたいのよ!だから今の持ち主に私を捨ててって言ってくれない?私が姿を見せて言うと、きっとあの子……ビビっちゃうから」


 持ち主を思い出したのか、あの子は仕方ない子だと鈴姫ちゃんは目尻を下げる。彼女はは困ったように微笑んだ。


 使ってもいない、愛してもいない、ならきちんと物と決別した方がお互いに良いだろう。物は大事にすべきだ。でもホコリまみれの暗い場所に溜め込んでおくことが、大事にしておくことだとは到底思えない。


 決別こそが、愛の証。


 そうなる場合があることも───私は経験上、知っていた。


 私はお願いを了承すると決めた。理由は単純明快。鈴姫ちゃんは私の米粉ドーナツを食べてくれたから。


 この店の合言葉はお母さんが決めた「まーるいドーナツ、まーるいご縁」だ。ドーナツで繋がったご縁を大事にするのがこの店のやり方だと決まっている。


「捨ててと言えばいいんですね?私でいいなら持ち主さんにお話してみます」

「ありがとう、結子!助かるわ!」

「鈴姫ちゃんの持ち主ってどなたですか?」

「今度、ばっちばちにイタズラしてなんとか店に連れてくるから!その時によろしく!」


 不穏な宣言だった。だが、鈴姫ちゃんはスッキリしたのか、風のような軽やかさの二足歩行で店を出た。




 鈴姫ちゃんが来店した夜。


 私は店のキッチンで趣味ドーナツを作り始めた。私は仕事を終えるとまたドーナツを作る。鈴姫ちゃんに三食ドーナツでも大丈夫と言ったのは嘘ではない。四六時中ドーナツを作っていると落ち着くのだ。


 熱した米ぬか油に丸い団子の形の米粉生地を投入する。ころんころんと可愛い形のまるまるドーナツが狐色に揚がる。


 香ばしい丸型ドーナツを三つずつ串に刺して団子の形に仕上げ、冷めた団子ドーナツの上からそれぞれ餡子、抹茶アイシング、とろとろチョコレートにがりがりナッツを乗せる。三種類の串を完成させ、四角のさらに並べて私はふっと息をつく。


「団子串ドーナツできあがり。ころんころんの串ドーナツ可愛い!」


 私が一人で団子ドーナツを右から見て左から見て眺め倒してきゃいきゃい盛り上がっていると、カウンターの端に座ったツクモ君が私を見つめる。


 ツクモ君の首には、いつの間にか紅い蛇がゆるっと巻きついていた。


「あ、ナギ君来てたの?いらっしゃい」

「結子ちゃん、お邪魔してまっす!」


 ツクモ君の眷属、つまりご家族を主張する赤蛇の彼の名前は、ナギ君。


 ナギ君の全身を覆う鱗は、光を受けて深紅にきらめき、まるで鍛え上げられた刃のような光沢を放っている。その姿はまるで一振りの長剣が蛇となっているかのような精悍さがある。


「結子ちゃん、今日のドーナツも可愛らしくて美味しそうですね!」


 ナギ君が細長い顎と切れ長の金色の瞳でにっこり笑う。ナギ君は時たまに夕飯時にだけツクモ君の首元に現れるのだ。


「あとで一緒に食べようね」

「文句なし優しくて今日も結子ちゃんの笑顔が可愛いでっす!」


 切れ長の鋭い目をバチッとウインクするナギ君は今日もハイテンション。常にローテンションのツクモ君の首に巻きついているのがどうも不似合いで、面白い組み合わせなのだ。


「ナギ、耳元で騒ぐな。結子に軽口を叩くな。うるさい、黙れ」

「文句の羅列エグ、ん~!」


 ツクモ君が蔵面の端が風もないのにゆらりと揺れる。すると赤蛇のナギ君の横に裂けた口が、口を縫われたようにバチッと閉じられた。


「結子、夕飯ができている」

「もうできたの?いつもありがとう、ツクモ君」


 私はツクモ君と、口を縫われたナギ君と共に「自宅側」へと向かう。


 小さなドーナツ屋さんを営む大正生まれの古民家は、自宅兼店舗だ。襖で区切られた店の二十帖を出て、板の間の廊下を挟んだ向こう側は自宅である。


 古民家は田の字型に作られていることが多い。我が家を簡単に言えば「田」という漢字の下二つの四角がお店、上二つの四角が自宅という間取りだ。お母さんと二人で住む予定だったので、自宅側には襖で区切った十帖の畳部屋が二つある。


 一人になってしまった今は、手前の一部屋を寝室、奥の一部屋を居間として使っている。自宅兼店舗を営むには、キッチンを共用してはいけないという法律がある。


 だからこの古民家にはキッチンが二つあり、エプロンをつけたツクモが毎晩自宅キッチンで夕飯を作ってくれるのだ。


「今日は何のお雑煮?」

「春キャベツと桜海老!もう春キャベツは旬終わりますから、ラストですね!」


 ツクモ君に聞いたつもりだったが、ツクモ君の腕にしんなり巻き付いたナギ君から元気な返事がきた。


 畳居間のちゃぶ台には恵みが溢れる夕食が整えられていた。柔らかな緑色の春キャベツと桜海老がたっぷり入ったお雑煮は、湯気とともに桜海老の香ばしい香りが漂い、上にのった細鰹節がゆらゆらと揺れている。


 隣には、つややかに炊き上がった白いご飯が湯気を立てて並び、その横には香ばしく焼き上げられた鮭。過ぎた春の心地よさを思い出させるような一膳だ。


「いただきます」


 私は手を合わせてから、まずお雑煮を一口。春キャベツの柔らかな甘みが広がり、桜海老の香ばしさが後から追いかける。出汁の旨味が全体を包み、細鰹節が舌の上でふわりと溶けた。その優しい味わいに思わず笑みがこぼれる。


「ツクモ君、桜海老のお雑煮おいしい」

「そうか、口に合ったなら手ずから作る価値がある」

「最初の頃は酷かったですけどね!」


 ツクモ君が作ってくれた最初の雑煮は大根が生煮え、丸餅はカチカチと、確かに酷いものだった。


 喪失に打ちひしがれていた私に、ツクモ君が雑煮を作ってくれたのだ。三食ドーナツの私を見かねた母が作ってくれた雑煮が懐かしく、ツクモ君の歪な雑煮がどん底の私をあっためてくれた。


 そんな日を思い出しながら白いご飯を一口ぱくり。続けて焼き鮭を箸でほぐし、ほんのり塩気の効いた身を頬張ると、ふっくらとした食感と香ばしさが絶妙に絡む。


 お雑煮の出汁をすすりながら、ご飯と鮭のハーモニーを楽しむと、体も心も満たされていく。


 「簡素で素朴、体に良い」一汁一菜の食事作りは小麦アレルギーになったお母さんと作り上げた習慣だ。ご飯は常に豪華である必要はない。献立にもハレの日とケの日があっていい。特別な日だけ、豪華にする。


 豪華な食事とは、日々の簡素な食事があってこそ際立つ。そんな習慣を、ツクモ君が繋いでくれた。


「顔ナシ様は面を捲っちゃえば一瞬で何でもできちゃいますから、自分の手を使うの初めてで。世間知らずハンパないですよね!自分の料理指導なしにここまでこれてないでからね!」


 大きく裂けた口でナギ君がげらげら笑う。ナギ君がいるといないでは食事の音量が十倍は違う。ナギ君は赤蛇の長い身体で、畳の上に置かれた雑煮をすすっていた。ナギ君はちゃぶ台につかせてもらえない。


「てか自分、かなり古い付喪神で、自分で言うのもなんですけど偉いし能力だって強い方ですよ?自分に床で飯食えとか言えるのマジのマジで顔ナシ様だけですから!」

「そうだったの?!ナギ君はツクモ君のお料理お手伝い用ペットかと思ってた」

「結子ちゃんもヒドいでっす!」

「結子の言う事が正しいだろう?」


 ふっとツクモ君が軽く笑う。ナギ君は人型にもなれるそうだが、ツクモ君にこの家での人型は許可されていないという。


 ナギ君が自分はまあまあの権力者だと主張するのを聞いて、私は鈴姫ちゃんに聞いた話がどこまで本当か確かめたくなった。

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