ツクモ君
「見てみてツクモ君、ばっちり美味しそうに揚がったよ!」
私が呼べばツクモ君は腰を上げて、キッチンの中をゆるりと覗き込む。
「結子の作るものは全て美味い。我がそう決めている」
「でた王様発言」
私は米ぬか油から引き上げた米粉ドーナツを、和笊に敷いた紙の上に寝かせて油を切った。揚げたてのふわふわ。金色に輝くドーナツを三つ。瑠璃の色調の鮮やかな青を宿した輪花皿に載せてツクモ君の前に置いた。
「ツクモ君、どうぞ」
揚げた米粉の香りに誘われて、和笊に上げた米粉ドーナツを一つ手に取った。私はキッチンで立ったまま、研究を重ねた米粉ドーナツにかぶりついた。
「んー!熱々で良い匂い!」
調理師専門学校時代、小麦アレルギーになったお母さんのため、小麦は不使用、米粉百パーセントで美味しいドーナツをつくる研究に没頭した。専門学校を卒業したら、お母さんと一緒にこの店を開くつもりだったからだ。
「うん、やわらか優しい!」
丸大豆豆腐を混ぜ込んだ米粉生地はふわっふわのモッチモチに仕上がっており、噛めば砂糖を使っていないのに甘い。人口甘味料はなし。米粉と豆腐の甘味、体に良い有機アガベシロップのみの素朴な甘みを噛みしめると、ほうっと丸い息が出た。
思わず力強い梁が走る天井を見上げてしまうほど、ホッとした甘さ。お母さん絶賛の米粉ドーナツは今日も良い出来だ。
米粉ドーナツに集中して平らげたあと、私はふとツクモ君を見る。ツクモ君の前に置いた瑠璃の輪花皿は、いつの間にか空っぽ。ツクモ君は私が見ていないとき、口にものを運ぶ。
どうやって食べているのか、漆黒の蔵面の向こうに口があるかも定かではない。だけど、ツクモ君は私の作ったものを必ず完食してくれる。
「ツクモ君、お味はどう?」
「美味いとわざわざ言葉にするのが無粋なほどだが?」
「ありがたき幸せ~」
漆黒の蔵面に笑いかけても、笑顔は返ってこないが遥か高みからのお言葉がもらえる。私は満足して笑い声を漏らした。空の皿を前にしたツクモ君の蔵面が私に向いた。
「結子、開店祝いを贈ろう。我が何でも叶える」
「何でも?!」
何でも叶えるなんてまた大きく出たな。自称王様のツクモ君は足を組んで座り、腕を胸の前で組み、全てにおいて大仰な振る舞いをする。私は顎元に手を置いて高い天井を仰ぎしばらく考えた。どうせ何でもなんて無理な話なのだから、私も夢みたいなことを言ってみる。ただの雑談だ。
「……じゃあね、私のつくったドーナツを食べた人は、みーんな素直になっちゃうような魔法があればいいなぁ、なんてね」
ツクモ君が首を傾げて蔵面が揺れた。きょとんだ。私だって自分で言っていて突飛だとわかっている。
「食べた者が素直に?それだけでいいのか?」
「それだけって、結構壮大なこと言ったつもりだったんだけど」
「結子のドーナツを食べたらなら、もう二度と他の食べ物を食べたくなるくらい中毒にすることもできるが?」
「中毒?!」
「その方が店は繁盛するだろう」
「ツクモ君の発想が強烈すぎる!ちょっと素直になってくれたらいいの!」
私はふはっと笑ってツクモ君の空っぽのお皿を手に取った。ツクモ君の冗談はいつもこんな感じ。遥か高みからの異次元な発言が面白い。
「おいしいドーナツを食べて心までふわっとなって、言いづらいこと少しなら言えるような。心が緩む感じ……そういうドーナツを目指したいの」
私はツクモ君のお皿を片付けながら、ドーナツに込める想いを確かめるように言葉を紡いだ。ツクモ君はやや納得いかないように首を傾げたが、頷いた。
「わかった。ではそれを……贈ろう」
ツクモ君の大きな手が漆黒の蔵面に軽く触れた。私はくすくす笑いながら俯いて、洗い物をし始める。
「応援の気持ちってことだよね?ありがとう。受け取りました!」
ツクモ君はまたカウンターに肘をついて、顎を拳に乗せた。蔵面が私をじっと見つめ始める。ツクモ君はたまに素っ頓狂な王様発言をして、その後は大体そうしてじっと一日過ごす。
自称付喪神の王様で、顔も完璧に隠すツクモ君。
不審なあやかし極まりない。
けれど、一人ぼっちになってしまった私の側に、なぜかツクモ君がいてくれたから。私は夢のドーナツ屋を開店する今日にたどり着くことができた。
カウンター席が五、
テーブル席が四
ソファ席が四、計十三席。
そのうち一つはツクモ君の指定席なので、満席になっても十二席の小さなお店。この小ささがたまらない。なんてお母さんの声が聞こえる気がした。そうだよね。
隅々まで縁が結べそうな小さな店。すごくいいよね、お母さん。お母さんの隣に並んで店に立てたなら、どれだけ幸せだったかな。
「まーるいドーナツ、まーるいご縁」
私はお母さんが決めたこの店の合言葉を口にして前を向いた。
右手の薬指につけた「翡翠の指輪」をそっと撫でる。お母さんから受け継いだ指輪だ。
すると、ツクモ君が右手を上げて自分の頭を触ったのが目に入った。照れくさそうに自分の黒髪を撫でる仕草がちょっと可笑しかった。
「ツクモ君どうしたの?頭がかゆいの?」
「触れられるとくすぐったい」
「誰も触ってないよ?」
ツクモ君は言うことは不思議なことばかりだ。私はふと滲んだ寂しさを飲み込んで、ツクモ君に明るく告げた。
「さあ、ツクモ君と一緒に!小さなドーナツ屋さん、本日開店でーす!」
私は小さなドーナツ屋さんと描かれた立て看板を玄関前に置いた。大好きなお母さんではなく、王様な付喪神ツクモ君と一緒に。私はこの店を営んでいく。
まーるいドーナツ、まーるいご縁。
小さなドーナツ屋さんで、どんなご縁が丸く結ばれていくのだろうか。私は期待に胸が膨らんだ。
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