第2話 砂かけ婆と泥パック
ピクニックに出かけようと思っていたのに、今日は朝からバケツをひっくり返したような雨が降っている。
せっかく咲いた桜も、この雨で散ってしまいそうだ。
「やれやれ」と独りごちて、長いため息をつく。
こんな日は、朝風呂とでもいこうかね。
それほど広い風呂ではないが、一人暮らしの私にはこれで充分な大きさだ。
掃除をしていると、ふと鏡に映った自分の顔が目に入った。
婆、婆と呼ばれることにうんざりする時期もあったが、たしかに、今はすっかり婆になってしまったなと思わず笑みがこぼれる。
「あぁ、そう言えば、あれを使ってみようかね」
私は戸棚に入れておいた泥パックを取り出した。
それから、ピクニックに持っていこうと思って用意していた黒ごまプリンと、奮発して買ったシャンパンも準備する。
「よしよし、婆の休日としちゃあ、若すぎるような気もするが」
そこまで呟いてはたと気付く。
「いや、誰に遠慮がいるもんかね」
そう言ったところで、ちょうど風呂が沸いた音がした。
婆、婆と言われたって、私はずっと女だったんだよ。今だって、ね。
湯船に浸かり、指先に取った泥を頬にぬると、安心感が私を包んでいく。質の良い泥だ。
目を閉じ泥パックを味わう。
「なんと、贅沢な時間じゃろう」
自分のために綺麗になる時間も悪くない。
しかし、本当に質の良い泥だ。
きめ細かい粒ではないと、こんな質の良い泥はできないはずだ。
泥パックを洗い流すと、つるりとした肌が現れ、思わず「おぉ」と小さく声を上げてしまった。
こんな泥を作った相手に嫉妬の感情すら抱いてしまう。
シャンパンを開けたところで、妖怪の気配がした。
「……やあ、婆さま。……今日も来ちゃった」
「あんたかい、雨女。今日の雨、あんたの仕業じゃないだろうねぇ」
ひょんなことをきっかけに、雨女は度々私の元を訪ねてくるようになった。
「……ごめんね、婆さま」
「ったく、なにがあったんだい」
「ふ、フラれちゃったぁ」
「なるほど。それでこの雨か」
「ごめんねー、婆さまぁー」
うわーんと雨女は泣き始めてしまった。
「……あんたねぇ、来るのはいいけど、風呂場に現れるんじゃないよ」
「だってぇ、家の中で雨降らせちゃって、婆さま怒らせたことあったしぃ」
「だから風呂なのかい」
雨女の瞳からは次々と涙がこぼれ落ちていく。
さらに浴室にまで雨が降りはじめた。
「まったく、せっかく優雅な時間を味わっていたっていうのに、ここで雨を降らせられたんじゃ敵わないねぇ」
「ごめんなさいぃぃ」
雨を浴びていると、雨女の悲しみがゆっくりと伝わってくるようだった。
「ふたりで入るには狭い風呂なんだがね。どうだい?シャンパンでも飲むかい?」
「ありがとう。でも……私、シャンパンなんて気分じゃなくて……」
「馬鹿だねぇ。いつまでもフラれた男のために泣いてんじゃないよ。さっさと泣き止んで、その男に晴れた空でも見せてやんな」
「うぅ、そんな強くなれない」
「大丈夫だ。あんたは今強くなってる途中なんだ。そうやって婆になってくんだよ」
しくしくと泣く雨女にいつぞやの自分が重なった。
「ほら、飲みな。若い子にはなかなか手が出せない代物だよ」
雨女はおずおずとシャンパングラスを受け取ると、ぐいっと喉に流し込んだ。
「お、おいしい~~~」
「泣くか、笑うかどっちかにしな」
「もう一杯ちょうだい」
自分のために開けたはずなんだがね――でも、悪い気はしなかった。
「そうだ。あんた。泥パックしてくかい?私の砂とあんたの水できっといい泥パックができると思うんだがね」
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