好きと言えなくて
長坂 咲良
好きと言えなくて
卒業式が終わり、想い人が一人、教室の窓から外を眺めていた。
例年であれば、卒業シーズンに合わせたように桜が咲くのだが、今年の冬は長く、桜は蕾のままだった。
幼馴染みの大樹とは、違う大学に進学する。想いを伝えるチャンスは、今日を逃すと、次があるのかさえわからない。
卒業した実感が湧かないのは、桜が蕾だからか、大樹に想いを伝えていないからか、それを確かめるために、思い切って声をかけた。
「ねえ、何やってるの?」
大樹は、一瞬、驚いた表情を浮かべた。
「さ、桜を見てた。お前は、何でここにいるんだ?」
「なんでって、別になんでもないけど・・・」
どうしてだろう。大樹の前では素直になれない。大樹に好きだと伝えに来たとは、決して言えない雰囲気にしてしまった。私は、大馬鹿だ。そう思うと、小鼻が少し膨らんだ。
「なんでもないっていうのは嘘だろ? お前が、小鼻を膨らませるときは、嘘をついた時と、うれしい時だけだろ」
図星だった。嘘をついているし、今は、大樹を目の前にしているから、うれしい。でも、見透かされた事が悔しくて、悪い癖が出てしまった。
「なんでもないったら。あんたも、早く帰りなさいよ。じゃあね」
そう言って、私は急いで教室を出ていった。いつもこうだ。高校を卒業しても、大樹の前では小学生の自分に戻ってしまう。
その時、素直になれていたら、きっと未来は変わっていたのだろう。
二度目に彼を見つけた時、私は走った。
「待って! 大樹!」
遠くに見える彼の後ろ姿に向かって、私は叫んだ。精一杯に叫んだのだが、私が発したはずの声は、けたたましいく鳴る車のブレーキ音とクラクションによってかき消されてしまった。
それから大樹は、ほとんど毎日、病室に来てくれていた。
お見舞いの花束を私の母に渡し、母は花瓶の水を汲みに病室を出る。そのおかげで、私と大樹は二人きりになれた。
大樹が持ってくる花の名前は、母が教えてくれた。ラナンキュラスという花らしい。時には、スイトピー、それくらいは私でも知っている。
持ってくる花が、かすみ草と向日葵に変わり、コスモスになっていった。
「同じクラスだった渡辺っていただろう? あいつに二人目の赤ちゃんが産まれたらしい。あの渡辺が二児の父親なんて、笑っちゃうよなぁ」と、大樹は明るい声で話しているが、私には少し寂しそうに聞こえた。
そう思っていると、やはりと言っていいのか深刻そうな声でポツリと言った。
「俺、東京の本社に転勤になった」
私は、ショックで何が何だかわからなくなった。
「あの日、お前は、俺を追いかけて来たんだよな。それで、事故に遭ってしまった。お前が、こうなったのは俺が悪い。俺が勇気を出していれば、お前はこんな風にならなかったはず。ごめん」
違う、大樹が悪い訳じゃ無い。私にもっと勇気があればよかったの。と言いたかったが、言えなかった。
「なあ、ユリ、そろそろ目を覚まさないか?お前に話したいことがあるんだ」
私だって目を覚ましたい。大樹のことを見たい。声は聞こえるのに、手も足も私の体は何の反応も示してくれない。
「それじゃあ俺、そろそろ帰るよ。明日は朝早く、出張なんだ」
うん、わかった。またね、大好き・・・。
心の中では素直に言える。長い間、心の中だけで生きてきたからなのか、自分の気持ちが前よりもずっとよくわかる。
私は、大樹が大好きだ。
言葉に出せなかったこの想い。今なら心の準備が整っているのに、今度は体の準備ができていない。こんなに悲しくても、何もできない私はクロユリのようだ。
悲しみは、時に空虚で残酷であるが、深い深い悲しみは、何かを生み出すエネルギーにもなる。
その時、瞳から、一筋の涙が流れたような気がした。
きっと、神様が私にくれたチャンスだろう。
そして、これが最後のチャンスなのだとわかった。
「またね、大好き」
精一杯に発した言葉は、私の耳にもちゃんと届いた。声は想像していたものよりもずっとガラガラで、小さかったが、その言葉は、確かに私の体から発せられていた。
「く、苦しいよ。大樹」
目を開けるよりも早く、大樹の大きな体は、私を包んでいた。
「す、すまん。先生を読んでくる!」
大樹は、ベッドの横にある椅子につまづきながらも、廊下をドタバタと走っていった。
先生の簡単な検査が終わり、私は母の介助で半身だけ起き上がらせてもらった。
大樹は、先ほどの事で少し恥ずかしそうにしている。
窓の隙間から心地良い風が入り、暖かな春の香りがしていた。
夕焼け色に染まった満開の桜が、ゆらゆらと、風に揺れている。
ようやく私は卒業できた気がした。
それは、桜が咲いていたからでは無く、好きと言えたから。
二人に見られないように窓を向き、小鼻をいっぱいに膨らませた。
私は、とても幸せだった。
好きと言えなくて 長坂 咲良 @nagasaka-sakura
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