第2章 16話 1分間の演劇
「動きが、止まった?」
ハクライのアンドロマキアは、ビームライフルを構えたまま、目の前の光景に警戒態勢をしいた。先ほどまで三対一という不利な状況を物ともせず、猛烈な反撃を繰り返していたヨワルテポストリが、あまりにも唐突にその動きを停止させた。まるで、糸が切れた人形のように、その場で静止している。
近衛兵団には、帝国の持つアンドロマキアの全てのデータが回されてくるため、ほとんどの機体の動きには対応できる。だが、カミル=デリヴァーの研究開発機関は、そのデータの提出がいつも遅い。そのせいで、ヨワルテポストリという近衛兵団の持つアンドロマキアのベース機クラスの性能しかない相手にも、様々な警戒をしながら遠距離で攻撃せざるを得ず、結果として時間を浪費してしまった。
「おい、ハクライ。追撃だ!」
左隣に構えていた、ジナンの乗るアンドロマキアが、一瞬で姿を消した。彼はハクライの警戒をよそに、ヨワルテポストリへと一直線に向かっていく。ジナンは、近衛兵団の中でも最も優秀なパイロットの一人であり、その判断の速さは普通ならば危うさと隣り合わせでありながら、アンドロマキアの操縦技術があるために問題にはならなかった。だが、今回は違う。ナナ=ルルフェンズは強かった。
「待て、ジナン! 罠かもしれない!」
ハクライは通信で叫んだが、ジナンは答えなかった。彼は、目の前の獲物を逃すことだけを恐れていた。ジナンのアンドロマキアは、ヨワルテポストリのコックピットを狙い、ビームダガーを振り上げた。その動きは正確無比であり、僅かな躊躇もなかった。
その瞬間、火星の空が閃光に包まれた。頭上の火星軌道に浮かぶ、第九艦隊の旗艦、レグルスの巨体が、不気味な轟音と共に艦首の主砲を起動させた。その砲口から放たれたのは、強大なエネルギーを収束させた一筋の光。それは、ヨワルテポストリを狙うジナンのアンドロマキアと、ヨワルテポストリの間に、寸分の狂いもなく着弾した。爆風が巻き起こり、視界が奪われる。
しかし、高度なレーザーシステムの連携により、近衛兵団のアンドロマキア同士の連携はとれるようになっていた。その一撃は、火星の地に巨大なクレーターを生み出し、激しい爆風がジナンの機体を吹き飛ばした。衝撃に耐えきれず、ジナンのアンドロマキアはバランスを崩し、赤い大地を転がる。
レグルスの艦橋では、ジガルシアがメインモニターに映るジナンの機体を見据えていた。ここまで来た以上は覚悟をしていたことだが、わずかな艦隊で近衛兵団に対して砲撃を加えたことは恐ろしいことだった。しかし、スガリ曹長の決断は間違ったものではない。順番に、この戦場から戦闘を取り除いていく。そして、ナナを守るため、自らの旗艦を動かすという、前代未聞の決断を下したのだ。
レグルスの艦橋では、ジガルシアがメインモニターに映るジナンの機体を見据えていた。ここまで来た以上は覚悟をしていたことだが、わずかな艦隊で近衛兵団に対して砲撃を加えたことは恐ろしい事だった。しかし、スガリ曹長の決断は間違ったものではない。順番に、この戦場から戦闘を取り除いていく。そして、ナナを守るため、自らの旗艦を動かすという、前代未聞の決断を下したのだ。
「近衛兵団に告げる。これ以上、ナナ=ルルフェンズ准将に危害を加えることは許さない。我々は、准将の保護を最優先とする。我々の依頼通りにナナ准将を止めていただいたこと、感謝する。ここからは我々で機体の回収を行うため、不要である」
ジガルシアの声は、通信を通じてジナンとハクライ、そしてトーケルソンのコックピットに直接届いた。その声には、一切の揺らぎもなく、氷のように冷たい、絶対の意志が宿っていた。しかし、それで止まるほど簡単な戦場ではない。
「そうはいくか。今の攻撃もそうだが、貴様らは近衛兵団に、皇帝陛下に対して弓を引いたんだ。死んで当然ということだな。ただ、俺は優しいからすぐに息の根を止めてやるよ。反逆罪で拷問、ピアノ線による絞殺なんて嫌だろう?」
ジナンの声は、憎悪と嘲笑に満ちていた。彼は、ジガルシアが艦隊を指揮する立場であることを知っていながら、あえてそのプライドを踏みにじるような言葉を選んだ。
「やめろ、ジナン。閣下からの命令は来ていない」
ハクライは、冷静にジナンを諫めた。通信をノーチラスで聞いているはずの中将閣下は、この状況において沈黙を貫いている。別に目の前のレグルスを落とすことも、動きを止めたヨワルテポストリを破壊することもハクライは興味がない。ただ、命令系統に従うことは正しい事であり、中将閣下は皇帝陛下から自分たちに対する指揮権を託された相手だから、それに従うことは皇帝陛下の意志に則るということだ。
「ハクライ、貴様、何を言っている! 皇帝陛下の御為に、反逆者を討つのに命令がいるか!」
ジナンは叫び、その機体を前進させる。彼は特に皇帝陛下への神聖視が強い人物だった。だが、彼のその信仰は、もはや理性的な秩序を超越し、狂信へと変質していた。皇帝陛下への絶対的な忠誠が、彼の目を曇らせ、目の前で起こっている事態の本質を見えなくさせていた。
ジナンにとって、ジガルシアやナナは、皇帝陛下に弓を引いた反逆者に他ならず、討つべき対象であった。そこに、命令や規律など入り込む余地はなかった。
「反逆者め、俺は絶対に、お前たちを許さない!」
ジナンは叫び、アンドロマキアの武装を全て展開する。ビームライフル、ミサイルポッド、そして、対艦隊戦で使用される大型のビームキャノン。トーケルソンも確信した。これは本気だ。ナナ=ルルフェンズでもこれは止められないだろう。対戦艦にも強い武器は多く、レグルス程度はすぐに壊れてしまうだろう。
その瞬間、ジガルシア側から別の声が聞こえた。
「ジナン、即座に動きを停止しろ」
ハクライも、トーケルソンもその声には聞き覚えがあった。リノ=セルヴェリオ。ナナ=ルルフェンズの副官を務めている女性だ。彼女は現在、第九艦隊の旗艦、レグルスの艦橋にいた。本来、彼女がいる場所ではないと考えながら。
「リノ=セルヴェリオ。貴様か、この戦闘を演出したのは」
「残念ながら違う。私にはこの戦闘の全てを計算はできない。ナナ=ルルフェンズの暴走はともかく、それ以外の事は全てがお前たちの目の前にいるナナ=ルルフェンズ准将の想定したプランのいずれかにそって進んでいる。ここで我々に争う理由はなく、ナナの描いたプランにずれが生じれば我々は目的を達成できない可能性すらある。そうなれば、近衛兵団を投入してもなお火星のレインレールを制圧するという目的を達成できなければ、皇帝陛下の威信を汚すことになる」
「近衛兵団、聞こえていますか」
リノはジナンの罵倒を無視し、ハクライとトーケルソン、そして近衛兵団全体に向けた通信へと切り替えた。彼女の声は、まるで、近衛兵団の規律を利用するかのように響き渡った。
「ジナン中尉の言った通り、我々は帝国第九艦隊だ。立場は違えど、皇帝陛下のために戦う存在だ。そして、近衛兵団に敵対する意思はない。もし、このまま戦闘を続ければ、我々と近衛兵団の間で不必要な衝突が起きるだろう。それは、中将閣下が望んでいないことであり、皇帝陛下の御意に反する行為だ」
リノは言葉を選びながら、巧みにジナンの狂信を逆手に取った。彼女はジナンが最も重要視している皇帝陛下の威信という言葉を使い、彼の暴走を止めようとした。
「我々の目的はただ一つ、指揮官であるナナ准将を確保し、再び指示を仰いで火星のレインレールを制圧すること。そして、その目的は、近衛兵団の目的と一致している。ならば、なぜ争う必要があるのですか?」
詭弁だ。それはわかっていた。リノは近衛兵団の規律と忠誠心を利用して、自分たちに有利な状況を作り出そうとしている。ハクライはそう思った。しかし、話が上手い。言葉の抑揚なんかを上手く扱い、なんとか無理やりにでも説得力を持たそうとしている。ハクライはまだしも、戦いの技術のみを教え込まれてきた近衛兵団の多くには混乱が広がっている。相手が、リノ=セルヴェリオというのも悪い。彼女は、戦闘のプロではないが、言葉のプロだった。
「近衛兵団の皆様、どうか、冷静になってください。この戦闘は、我々の計画に沿ったものです。我々がここで戦うことは、双方にとって何の利益にもなりません」
リノの声は、近衛兵団の通信網に深く浸透していった。彼女はまるで、兵士一人一人に語りかけるかのように、優しく、しかし、確固たる意志を持って語り続けた。その声に、多くの近衛兵団のパイロットが戸惑い、動きを止めた。
ハクライは、仕方なく中将に訴えかける。
「閣下、すぐに我々に指示を。戦場が混乱しております!」
しかし、応答はない。通信は沈黙を保ったままだった。ハクライは苛立ちを感じた。中将はこの戦闘を全て把握しているはずだ。しかし、一切の指示を出さない。まるで、近衛兵団を試しているかのように。
「中将……何故、黙っておられるのですか……」
ハクライの呟きは、誰にも届かなかった。ジナンの罵倒と、リノの詭弁が交錯する戦場で、彼らは孤立していた。自分たちの判断が全てを決める。そう突きつけられたハクライは、覚悟を決めた。このまま近衛兵団が暴走する方が怖い。ジナンの言う通り、確かに帝国第九艦隊は皇帝陛下に弓を引いた。しかし、リノの演説ともいえる詭弁に騙されているやつもいる。戦闘にのみ特化した部隊はここまで弱い。
「トーケルソン! ジナンを拘束しろ!」
ハクライの指示に、トーケルソンは迷うことなく従った。二人のアンドロマキアは、ジナンのアンドロマキアへと向かっていく。ジナンは怒りに顔を歪ませながらも、ハクライたちの動きを見て、ビームキャノンの照準をレグルスから外した。
「ハクライ……貴様……!」
ジナンの叫びは、宇宙に虚しく響き渡る。この瞬間、戦場はリノの言葉によって支配された。彼女は武力ではなく、巧みな言葉の力で近衛兵団を制圧したのだった。
「ふぅ、これで終わりましたね」
リノは落ち着いて水を口に含む。レグルスの艦橋には、先ほどまでの緊張感が嘘のように静寂が戻っていた。メインモニターには、戦闘を停止した近衛兵団のアンドロマキアと、火星の地で静止しているヨワルテポストリが映し出されている。
リノはジガルシアに振り返り、その頭をそっと撫でた。
「あなたの判断は見事でした。ナナを助けるにはあそこで踏み込むしかありませんでした。やっぱり、ナナが見込んで教育を受けさせているだけありますね」
「しかし、どうして中将閣下は言葉を発さないのでしょうか?」
これはナナ=ルルフェンズが決めた作戦だ。しかし、それを公表することはナナは望むだろうが、リノの意向には沿わない。まだ、彼女には平和の象徴であり、戦う理由にならなければならない。そこまで、この帝国の第九艦隊の力は強くない。
通信がきれていることを確認してから、リノはジガルシアにだけ聞こえるように話す。
「さあ、ノーチラスに載せられた避難民が暴走してしまったのでしょうか?」
数秒の間を空けて、リノは続ける。
「あるいは、中将はすでに……」
リノの言葉に、ジガルシアはハッとして息をのんだ。彼女の脳裏に、数々の可能性が閃光のように駆け巡る。ノーチラスは、第九艦隊の指揮艦であるレグルスとは異なり、強襲揚陸艦という性質上、大量の物資や人員を詰め込めるようにできている。そのため、ナナ達は事前に火星の避難民をノーチラスに保護させるように相談しておいた。しかし、そこに避難した火星の人々がもしかすると暴走したのかもしれない。いや、もしかするとそれも計算通りか。ジガルシアは、リノの言葉の裏に隠された真意を読み取ろうとした。リノは、中将の沈黙を避難民の暴動によるものだと示唆している。だが、それはあくまで建前だ。武器もまともに持たない彼ら彼女らが何人集まろうとも、保安部も存在するノーチラスの艦橋まで登れないだろう。しかし、武器を奪われればどうか。リノの目的は、この騒動を平和裏に収拾し、ナナを英雄として帝国に帰還させること。そのためには、近衛兵団との決定的な対立は避けなければならない。
避難民が暴動を起こしたというストーリーは、そのための完璧な口実だった。近衛兵団の兵士たちは、その命令への絶対的な忠誠心が武器である。しかし、その実情は幼い頃からパイロットとしての適性を見込まれた少年少女が、勉学も、恋愛も、運動もすべての可能性を捨てて戦わせている。そんな中でリノの魅力的な声が聞こえれば、騙される兵士も出てくる。そうなれば、もう止まらない。
「リノ=セルヴェリオ、あなたは……」
ジガルシアの言葉に、リノは静かに微笑んだ。
「ジガルシア。あなたは優秀な指揮官です。そして、何よりすごく正しい。だからこそ、私たちのしたことを肯定しろとは言いません。ただ、この場所に置いて近衛兵団との対立は避けるべき。我々の目的は、帝国の安定による平和です。そのためには、ナナ准将の行動を正当化し、彼女を新たな平和の象徴として打ち立てなければならない」
リノの言葉は、ジガルシアの心に深く響いた。彼は、この一連の騒動の全てが、ナナとリノによって仕組まれた壮大な演劇であることを悟った。そして、自分もまた、その舞台で演じさせられている役者の一人に過ぎないということに気づく。
「全ては、この太陽系の平和のために」
リノはそう呟くと、再び水を口に含んだ。その静かな姿からは、想像もつかないほどの冷徹な計算と、恐るべき意志が感じられた。彼女は、この戦争を終わらせるためなら、どんな手段も厭わないだろう。そして、ナナ=ルルフェンズという存在は、そのための最強の駒なのだ。
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