第2章 15話 怒りの鉄槌
火星の赤い大地に、ヨワルテポストリの巨体が轟音を立てて着地した。満身創痍の機体から噴き出す蒸気と火花が、その痛々しい姿を際立たせ、宇宙空間での激戦を雄弁に物語っていた。対するは、漆黒のウォルフライエを駆るオースティン。彼の機体は、まるで研ぎ澄まされた刃のように綺麗であり、その完璧な美しさが、ナナの怒りを一層掻き立てた。
「スガリを……私の大切な仲間を傷つけた。あなたには償ってもらいます」
ナナの声は、通信越しにオースティンのコックピットに響き渡る。その声には、一切の迷いも躊躇もなく、ただ純粋な怒りと復讐心が燃え盛っていた。かつての冷静沈着な帝国軍准将の面影はそこにはなく、目の前の敵を打ち倒すことだけを至上命令とする戦士の咆哮であった。
オースティンは、その言葉に冷徹な笑みを浮かべる。殺されるという直感が、知らぬ間に身震いをさせた。死を目の前にしたことは幾度となくある。火星生まれのオースティンは、過去に起こった火星での独立運動で多くの民間人が帝国軍や宇宙警察によって撃たれ、亡くなっていったことを知っている。それは彼の父親も同じであった。多くの人々が命を落とし、多くの血が目の前で流れた。だが、彼は恨みを抱くことはなかった。
ただ、強くて美しいものだけがこの世に存在すべきだという、自身の持つ哲学に則り、オースティンは武器を構える。目の前にいる相手は、アンドロマキアが万全であれば間違いなく自分よりも上であろう。技術ではなく、思考が早く、そして深い。
「ああ、いかにも。帝国軍准将、ナナ=ルルフェンズ。それが戦場というものだ。弱き者は淘汰され、強き者だけが生き残る」
「叩き潰してやるわ。覚悟しなさい」
ナナはそう言い放つと、ヨワルテポストリの唯一残された武装、ビームサーベルを起動させた。機体の右腕が、軋みを上げながらゆっくりと持ち上がり、その手に握られた青白い光の刃が、火星の薄暗い空に煌めく。その光は、まるで怒れる守護神の魂が宿ったかのように、禍々しくも神聖な輝きを放っていた。
ウォルフライエが、火星の赤い大地を蹴り、音速を超える速度でナナに迫る。オースティンは、ビームライフルとミサイルランチャーを同時に展開し、ヨワルテポストリへと集中砲火を浴びせる。閃光と爆炎が、ナナの視界を覆い尽くす。
しかし、ナナは怯まない。彼女の長年の経験と、極限まで研ぎ澄まされた直感が、オースティンの完璧な攻撃を予測する。ヨワルテポストリの重い機体が、信じられないほどの敏捷性で左右に揺れ、紙一重でビームとミサイルをかわしていく。
「くっ……!」
オースティンは舌打ちした。ここまで満身創痍の機体を、ここまで正確に、そして迅速に動かすパイロットは、彼の知る限り、目の前にいる敵だけだった。
ウォルフライエは、さらに加速する。無駄のない動きで最短距離を駆け抜け、ビームダガーを抜き放つ。青白い光の刃と赤い光の刃が、火星の空で交錯した。予想外と言ってもよかった。こんなに視界が悪い状態で反応できるような攻撃ではない。だが、目の前にいる相手ならば、ここで打ち合うというのも考えられた。ビームサーベル同士がぶつかり、甲高い金属音が響き渡り、火花が散る。
オースティンの攻撃は、まるで鍛え上げられた人間が振るう剣のように淀みがない。ナナのヨワルテポストリに反撃の隙を与えず、次々と斬撃を繰り出す。ヨワルテポストリの装甲は、既に限界に達しており、一撃一撃が致命傷となりかねない。
だが、ナナは耐え抜く。彼女はビームサーベルで攻撃を受け流し、時折、機体から噴き出す蒸気を利用してウォルフライエの視界を妨害する。適度な間合いを取ると、ヨワルテポストリの唯一残された小型レーザー砲を放つ。その威力は微弱だが、オースティンを牽制するには十分であった。速度で大きく劣るヨワルテポストリではありながらも、速度の差で生まれる隙をレーザー砲で攻撃をすることによって埋めているため、オースティンも致命傷を与えるための攻撃ができない。備え付けられた装甲は固く、並大抵の攻撃ではヨワルテポストリには致命傷にはならないだろう。
「腕がもう一つ、動けば……」
トランジスタによって圧し折られた腕。それが今も健在であればもう一手が繰り出せる。だが、そんなことを考えても仕方がない。変わり続ける戦場の中で、そんなことを考えている余裕はないとオースティンは切り替える。しかし、相手が崩れない。こちらは完璧な一手を繰り返しているのに、向こうがそれを上回る一手を繰り返して攻撃を完全に無効化されている。指揮官であるはずなのに、パイロットとしても超一流なのかと思い知らされる。
オースティンは、その時、ナナの動きに異変を感じた。完璧に攻撃を捌いていたヨワルテポストリの動きが、一瞬だけ、鈍ったのだ。それは、疲労や機体の限界から来るものとは思えなかった。まるで、わざと、隙を作ったかのような不自然な動き。
「……罠か?」
オースティンの脳裏に、警戒心がよぎる。しかし、彼の戦士としての本能が、そのわずかな隙を見逃すことを許さなかった。この一瞬を逃せば、次のチャンスはいつ来るかわからない。彼は迷うことなく、ウォルフライエのスラスターを最大出力で噴射し、ヨワルテポストリの懐へと飛び込んだ。
ビームダガーが、ナナのコックピットを狙い、正確に突き刺さろうとした。
その瞬間、ナナの瞳が燃え盛る。彼女の脳裏に、スガリが倒れた瞬間の映像がフラッシュバックする。怒りが、彼女の身体を突き動かした。
ヨワルテポストリは、限界を超える速度で右腕を振り抜き、ビームサーベルを水平に薙ぎ払う。それは、オースティンのウォルフライエの懐を正確に捉えていた。オースティンのウォルフライエは、紙一重でその一撃をかわしたが、機体の左腕が光の刃に焼かれた。激しい赤い光がウォルフライエの内側で点滅する。
「ほう……やるではないか、ナナ=ルルフェンズ」
オースティンの声に、初めて、驚きの色が混じった。彼の予測を超える、獣のような反応速度だった。両腕を失った現状、オースティンに勝ち目はない。まさか、万全の状態で負けるとは。ただ、それならそれでよかった。くだらない血筋に縛られ、祭り上げられて厳しい訓練を乗り越えてきた。まともな教育など受けられずに、パイロットとして敵を倒すことのみを求められてきた人間の終わりなどそんなものだろう。
ウォルフライエの足を踏みつけ、動けないままに目の前にはビームサーベルを振り上げたヨワルテポストリが見える。ガードをしようにもまともに動く腕がない。死を覚悟した、その瞬間だった。
三本の熱線が、ヨワルテポストリに向かって射出される。
「ナナ=ルルフェンズ、それ以上の戦闘行動は無意味だ。停止しろ」
自分の真上を、帝国の近衛兵団のアンドロマキアが通っていくのを見たオースティンは、そっと、気を失った。その直後、ナナの怒りが臨界点に達する。彼女は敵と味方の区別すらなく、ビームサーベルを振り回した。火星の赤い大地に、怒りに燃えるナナの雄叫びが響き渡った。
雄叫びは、遠く離れたレグルスの艦橋にも届いていた。ジガルシアは、モニターに映るヨワルテポストリの暴走を見つめ、苦渋に満ちた表情でつぶやく。近衛兵団を動かしたのは、ジガルシアの依頼だった。
「ナナ准将、私の指示を聞いていない。暴走した彼女を止めるには、彼らしかいない。ナナ准将、どうか無事でいてください」
ジガルシアは通信を開く。もしかすると、この通信がナナ准将を死に追い込むのかもしれないと思いながら、それでも暴走する彼女を放置することはできない。ヨワルテポストリがスガリ曹長でも敵わなかったウォルフライエを完璧に落とした。
そんな相手に対応できるのは、近衛師団しかいない。
「ジナン=アーデルハウト、トーケルソン=ウッソ、ハクライ=カムイミンタラ。聞こえていますか? 全機、ナナ准将を拘束せよ。彼女の生命を最優先とする」
ジガルシアの言葉に、三つの、強大な存在感を放つアンドロマキアが応える。彼らは、ジガルシアの指令により、ナナを止めるため、火星の地へと降り立つ。第九艦隊の戦艦たちが一斉に散開し、三機のアンドロマキアに道を開けた。
火星の赤い大地が、怒号と爆炎に包まれる中、レグルスの艦橋の片隅で、スガリとリノは、極秘の作業を進めていた。スガリは、壊れたトランジスタから取り出した残骸を新たなシステムへと組み込み、リノは、そのシステムのデータを解析し、最適化のプログラムを書き換えていた。
「こうなると、アマテラス作戦で敵の防衛網を破壊したことが仇になりましたね」
リノは、モニターに表示される断片的なデータを睨みつけながら、悔しげに呟いた。地上の通信網の中心でもあった司令塔が破壊されたことで、敵の通信システムが破壊されている。そのせいで、向こうの情報にアクセスするのにも時間がかかっていた。
「想定外の事態だ。ラズロがここまで独自の通信網を構築しているとは……。近衛兵団のアンドロマキアも、独立した通信システムを使っている。ジャミングをかけるには、まず彼らの通信網を特定しなければならない」
スガリは、淡々と状況を分析する。彼らの計画は、敵の通信網を掌握し、全アンドロマキアを機能不全に追い込むことだった。しかし、司令塔の破壊は、敵の防衛網を無力化すると同時に、彼ら自身の情報収集を困難にしていた。
「でも、時間がない。このままでは、ナナが傷ついてしまう」
リノの声が震える。彼女の視線は、暴走するナナの機体と、ジナン、トーケルソン、ハクライのアンドロマキアが交戦している様子を写していた。しかし、三対一では分が悪く、なおかつ相手は帝国でも最高峰の技術を持つパイロットたちだ。徐々にヨワルテポストリがダメージを喰らっていく。このままでは、死んでしまうだろう。
ジガルシアが近衛兵団に突入を依頼したのは偶然ではあるが、完璧なタイミングだった。ナナが敵のエースであるオースティンを倒し、命を奪う前のギリギリのタイミング。あの子は優しすぎるから、人を殺すとどうなるかわからない。
リノは一度だけ、彼女が小さなころに自らの放った銃弾で人の命を奪ったことを知っている。その時のナナは、何が起こったのかを理解していなかった。ただ、その後も、時折ではあるが、夜に思い出して苦しんでいることがある。それほどまでに、この戦場で人の命が失われることが当たり前の世界においても、彼女は異端であり、人間としては正常な感覚を持っていた。それを壊したくはなかった。
平和の象徴として、皆を導くべき存在として、ナナはあまりにも純粋すぎた。だけど、そうでなければ人が信じるものには値しない。そのままのナナでいるためにも、ここで近衛兵団を殺害させるわけにはいかない。
リノは、スガリに向き直った。彼女の瞳は、決意と悲しみが入り混じっていた。
「スガリ、ナナを止める。ジャミングでヨワルテポストリを機能不全に追い込む。それしか方法はない。でも、それをすると」
もちろん、わかっている。ナナは今も、抜群の反応でアンドロマキア三機を相手にしていた。近衛兵団としては、三対一という有利な構図でありながら、致命傷を与えられていない。これには焦りが生まれて当然だ。実際にオースティンも決着を焦ったことでナナに自らの攻撃範囲に引き込まれて敗れた。それほどまでに近衛兵団に余裕はない。すぐさま攻撃を中止しろと言っても聞いてもらえるかわからない。
つまり、ヨワルテポストリが機能を停止してから数秒間は無防備なナナが敵の三機のアンドロマキアから襲撃を受けることになる。そもそも、こちらの管轄ではない近衛兵団に依頼して部隊を出してもらっているのは、ノーチラスにいる中将がそれを承認したからであって、近衛兵団に心神耗弱状態であったとしても弓を引いたナナを中将が許さなければ、そのまま殺害される可能性もある。
つまり、このシステムを起動することはナナを殺すかもしれない事だった。
「それでも、やるよ。あいつのためなら」
血が流れ続ける体で、それでもスガリは決めた。ナナを信じることに。彼の顔は、蒼白であった。しかし、彼の瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
「ジャミングシステム、起動! ヨワルテポストリの緊急停止信号、発信!」
スガリは叫び、リノは彼の指示に従ってシステムを起動する。レグルスの艦橋に、甲高い電子音が響き渡り、火星の赤い大地に、不可視の衝撃波が広がった。
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