第2章 17話 破策
ハクライのアンドロマキアは、静止したヨワルテポストリと、武装を下ろしたジナンの機体を後にし、ノーチラスへと急行した。通信は途絶えたままで、彼女の胸中には言いようのない不安が渦巻いていた。中将が言葉を発しない。その事実が、ハクライの冷静さを少しずつ蝕んでいく。
生まれてからこれまで、物心つく前から戦場に身を置いてきた。すべては近衛兵として皇帝陛下をお守りするためだ。そして、その甲斐もあってか近衛兵団の中でも部隊長などを任されることが多いほどにハクライは信頼をされているという自負がある。ただ、そんな自分の考えが当たっている可能性が非常に高いことが恐ろしかった。
ノーチラスに着艦したハクライは、すぐさまコックピットから飛び出した。艦内を走り、艦橋へ向かう。通路には帝国の正規軍の兵士たちが混乱した様子で行き交っていた。その様子に、ハクライは悪い予感が的中したことを確信する。
「中将閣下」
別に彼に対して思い入れはない。つい数日前に我々の指揮権を握っただけの男だ。実力主義と血統主義、さらには年功序列という様々なピラミッドが重なり合った軍の内部で、彼はその年数の長さと帝国内部の保守層の中心派閥である評議会議員のグラックスとのつながりから地位を得ただけの男だ。
本来ならこの戦域は帝国第九艦隊が出ずることなど必要なく、我々がしっかりと働く指示さえ出せていれば今頃は何も問題なくレインレールの制圧が完了していたものを、それができていないのはつまるところ、目の前に転がる遺体となった彼が無能であったことの証左なのだろう。
「何があった? 簡潔に説明しろ」
そう問いかけても、艦橋には応えるものはない。既にノーチラスは自動航行に切り替わっており、艦橋にて息を発しているのはハクライ=カムイミンタラただ一人であった。様々な血がまじりあい、一つの絵を描いている。戦争というには生ぬるい光景だが、平穏というにはあまりにも血みどろな、気分が悪くなる景色だった。
遅れて到着してきたジナン、トーケルソンもその光景を見て唖然としている。ふと、足元に転がっているレーザー銃を拾い上げる。おそらく死の直前まではその横に倒れた彼が使っていたのだろう。しかし、その装いから見るとどう見てもこのノーチラスに乗っていた乗員だとは思えない。
「まさか」
その時点で、ハクライは更に恐ろしいことが思いついてしまった。ナナ=ルルフェンズが火星へ踏み込む前に要望していたのは第九艦隊を使って自由に火星に住む人々の避難誘導をしても良いということ。そして、それらの人々は責任をもって第九艦隊の誘導人員がノーチラスに収容するということだった。
慌ててモニターを起動させると、そこには多数の火星人がノーチラスの使用されていないハッチで待機している様子が映っている。その周りを取り囲んでいるのは、第九艦隊の人間たちばかりだった。そして、その中に数人だけが武器を持っている。そういうことかと、笑いそうになるほどに見事だ。
ハクライの脳裏に、一連の出来事が鮮明に蘇る。中将の無能さと思われた命令の遅れ。現在も命令系統が動いていないためか、反乱軍の火星防衛部隊が効率的に繰り出してくるアンドロマキアの群れに対して、近衛兵団はそれぞれで行動し、まるでゲリラのように動いている。
もちろん、それでも充分に戦果をあげているのだが、いかんせん制圧に向いた行動ではなく、時間がかかっている。しかし、それはどうやら狙って引き起こされたようだ。さすがにナナ=ルルフェンズの暴走に対して指示も出さないような男ではあっては将校などという地位が与えられるわけもない。つまり、あの時点で彼は死亡していたのだ。
ナナ=ルルフェンズは、近衛兵団に火星の避難民を救出させるという表向きの大義を掲げ、ノーチラスに火星人を収容させた。しかし、その実態は、ノーチラスの内部に反帝国派の人間を乗せたかっただけだ。あとは適当に武器を奪われたなんてでも言っておけば、保安部隊を蹴散らして火星人共が顔も知られた、特に保守派として、うがった見方をすれば差別の肯定派として見られるような彼が狙われるのは間違いない。中将が乗るノーチラスは、既に彼らの手によって制圧されていたのだ。
ハクライは、血の跡を辿り、艦橋の隅に転がっている遺体を見つける。それは、中将の親衛隊の者だった。彼は、死の直前まで中将を守ろうとして、反逆者たちと戦ったのだろう。そして、中将は、おそらくナナの頭脳によって殺害された。
「ナナ……貴様はいったい……」
ハクライは、初めて、ナナ=ルルフェンズの真の恐ろしさを知った。戦場でも彼女の動きは異常だった。全てを計算し、その通りに身体が動いてだんだんとこちらが膠着している戦場の中で手足をもがれていく。ある程度の敵の強さは戦闘を見ていればわかるが、敵方のオースティンと名乗った奴も決してパイロットしての技量も、機体性能もナナに劣っているわけではない。ただ、単純に思考速度が違いすぎただけだ。そんな化物が、中将に牙を向いただけだ。
「おい、ハクライ。すぐにでも第九艦隊を落としにいくべきじゃ」
ジナンはこの光景を見て、いてもたってもいられないようだった。しかし、そんなことは関係ない。ナナ=ルルフェンズの目的は中将の抹殺でも、近衛兵団に混乱をもたらすためでもない。そのうえでさらに果たせることが一つある。
「ハクライ中尉。中将閣下はどうなされましたか、先ほどから通信を送っているのですが一向に返事がない」
「リノ」
わかっていて、あえて問いかけているのだろう。これに答えれば、もうすべてが決まる。だが、それを考えられるほどジナンに余裕はなかった。
「おい! お前らが中将閣下を殺害したんだろう!」
ジナンの叫びは、近くにいる誰もを凍りつかせた。しかし、リノの通信の向こうで、わずかに息を漏らすような音が聞こえ、ハクライはそれが彼女の笑い声だと直感した。彼女は、この状況を心底楽しんでいるかのようだった。
「おや、中将閣下は亡くなられたのか。それは誠に残念です」
リノの声は、静かで冷たい。しかし、その言葉には一切の揺らぎがなかった。ハクライは、自分の無力さを痛感する。ジナンのように感情的に行動することはできない。彼女は命令系統に従うことを最優先とする軍人だ。
そして、その命令系統は、今、リノの手に握られている。ハクライは、何も言うことができなかった。彼は、目の前で繰り広げられた、ナナとリノの恐るべき計画に、ただ打ちのめされるしかなかった。
リノの声が、再び艦橋に響く。その声は、先ほどの個人通信から全体通信に切り替わっていた。冷酷なまでに事務的な口調で、彼女は新たな命令を下す。
「近衛兵団の皆さん、落ち着いてください。中将の死は誠に残念ですが、この状況で混乱を広げるわけにはいきません。帝国軍の規定により、中将の死をもって、近衛兵団の指揮権はナナ准将に移りました。そして、彼女は今、避難民の対応に追われています。代理として、私が指揮権を一時的に代行します」
ハクライの体から力が抜けていく。ナナ=ルルフェンズは明らかに精神に異常をきたした状態での戦闘ではあったが、それを証明する手立てはこちらにないため、この戦域に存在する唯一の生存する将校。近衛兵団を率いるという行為に相応しい格というものは、大将、中将、少将、そして准将にのみ許された特権でもある。帝国軍における絶対の階級制度までもが、あちらに味方した。
いや、そもそもこうなることは予想の上での動きだろう。この期に及んで、リノは依然として近衛兵団の規律を利用しようとしている。彼女は、ジナンのような狂信者が暴走することを予測し、そのための口実を用意していたのだ。彼が中将の死を通信によって認めた、中将の死を受け入れた瞬間、我々はリノとナナの掌中に落ちる。
ハクライは、深く息を吸い込み、冷たい床を見つめた。忠誠を誓った皇帝陛下の威信は、もはやこの場所では意味をなさない。この恐ろしい相手を止めるならば間違いなく今すぐに行動を起こして、自分たちが罰せられるのも覚悟のうえでレグルスに対して攻撃を仕掛けることだ。そうすれば、少なくとも帝国の未来における脅威になりうるナナ=ルルフェンズという存在を排除できる。
しかし、身体が動かない。帝国のため、皇帝陛下の御為に戦い続けると決めた時から、自分の考えなどは消した。全ては皇帝陛下が認めた上官たちの指示に従い、ただ言われたとおりに目の前の敵兵を殺害し、奪い、制圧することのみを求められてきた。
それは彼女の誇りであり、同時に彼女の呪いでもあった。自律的な思考を停止し、命令に従うことで得られた安心感が、今、彼女を縛りつけている。ジナンのような狂信者には理解できないだろう。しかし、ハクライは知っている。規律と命令の鎖を断ち切ることが、どれほどの恐怖を伴うかを。
彼女の心は、忠誠心と現実の狭間で激しく揺れ動いていた。皇帝陛下の御為に行動すること。それは命令に従うことなのか、それともこの新たな脅威を排除することなのか。その答えは、どちらも正しく、どちらも間違っているように思えた。その時、再びリノの声が通信を通して響き渡った。先ほどまでの静かで冷たい声とは一変し、指揮官としての絶対的な威厳を帯びていた。声すらも自在に操るのか。
「では、命じます。これより、レインレールの制圧を開始する。ノーチラスに残留している全てのアンドロマキアは全て出撃し、敵兵を拘束せよ。殲滅でも殺戮でもなく、拘束である。これらの命令は君たち近衛兵団のアンドロマキア操縦技能を信頼したうえで、相手を殺害することなく戦闘を集結させることができるということを知っての命令である。行動開始は二十秒後。健闘を祈る」
彼女は、中将の死を残念と一言で片付け、既に次の手を打っていた。殲滅ではなく拘束という命令。今もなお、戦争を知らない木星の民の中には人命の尊さを訴える人々が一定の勢力として存在している。それらはあくまで木星本土が平和であるから言える話ではあるものの、それをハクライが訴えかける方法など無い。
ただ、この戦域において敵である火星防衛を任された反乱軍のパイロットたちの命を守るように指示をしたという事実をナナ陣営は上手く広めるだろう。そうなれば、知識層がナナ=ルルフェンズへの支持を強めるかもしれない。既に一部では木星防衛、月面での不利な戦闘をほとんど無傷で達成しているナナには帝国の左派だけでなく、右派の一部でもその実力を認めるものがでてきている。今は陛下に及ぶほどの影響力など無いが、戦争が続けば続くほどに彼女は与えられた戦場で結果を出し、それにより発言力を高めるだろう。
「ハクライ、あなたに作戦の現場指揮を任せます。抜かりないようにお願いしますね」
リノが話し方を変えた。かつての、リノ=セルヴェリオのような語り口だ。それはプライベートのものだろうかと問いかけようとするが、上官に対して無駄な会話は許されていない。ハクライは一言、こう答えるしかなかった。
「かしこまりました」
ハクライは、静かにノーチラスの艦橋を後にした。ジナン、トーケルソンも後ろに続く。近衛兵団の操縦技術を信頼しての拘束命令。それは、一見すると人道的で、彼らの誇りを満たすものに聞こえる。しかし、ハクライにはその言葉の裏にある、冷酷な意図が見えてくる。
拘束という命令は、敵を殲滅するよりもはるかに高い技術を要求される。相手の機体を無力化しつつ、パイロットに致命傷を与えないよう細心の注意を払わなければならない。それは、近衛兵団の卓越した技量を示すには最適の作戦だ。
だが、その結果として生まれるのは、ナナ=ルルフェンズの人道主義者という新たな顔であり、彼女の帝国における影響力の拡大に他ならない。近衛兵団の力を示すことは一見すれば喜ばしい事だし、敵方にオースティン以外に苦戦させられそうなパイロットもいない。五分もかからずに現在、戦場に繰り出している反乱軍のアンドロマキアはその動きを停止するだろう。
ただ、近衛兵団の力を広く周知させることは、何が狙いだろうかと考える。ここまで、最も残虐で最も強い帝国の切り札という地位を持っていたが、実践からは長らく離れていた近衛兵団を疑問視する見方も少なくなかった。さらに暴走するナナ=ルルフェンズ相手にまったくとどめをさせずにいたというのも評価を下げる要因になる。
ただ、それを挽回するチャンスをわざわざ与えたのはおかしい。帝国の転覆を狙うのであれば、皇帝の私兵である近衛兵団は最も邪魔な存在であるはず。ナナ=ルルフェンズは何を見越して我々にチャンスを与えるのか。
ハクライは、自らの忠誠心が、皮肉にも皇帝陛下の意図を汲まぬ者の手足となって動くという現実に、深い絶望を感じていた。彼女は、皇帝陛下のために戦うことを誓った。しかし、今、彼女の行動は全てナナとリノの思惑通りに進んでいる。彼女らの手の中で踊らされているのだ。命令に反対すれば近衛兵団はその意味を失う。従ってもきっと、その先にはナナとリノの考えた通りなのだろう。
自分のアンドロマキア、ウィラコチャラスカに乗り込み、ハッチが閉まる。狭いコックピットの中で、ハクライは一人、苦悩を深めた。皇帝陛下に忠誠を誓いながら、その行動が陛下を脅かすかもしれない。この矛盾を、彼はどう消化すればいいのか。
「こちらハクライ。全機に告ぐ。作戦命令は聞いているな。これより、各個に散開し、敵機を拘束せよ。決して、殲滅は許されない。我々の誇りにかけて、この作戦を成功させるのだ」
回線を通じて発せられたハクライの声は、いつもの冷静さを保っていた。しかし、その内面は、激しい嵐が吹き荒れていた。彼女の言葉は、彼女自身に言い聞かせるためのものだった。我々は、ただの駒ではない。
我々の行動には、近衛兵団としての誇りがあるのだ、と。しかし、それは果たして心の慰めとなるのだろうか。それとも、さらなる苦悩の始まりに過ぎないのだろうか。
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