第39話 二光年半

 案内された部屋は、前世のあの時と同じ星空が見える部屋だった。そこにはまだ誰もいなかった。


 すると、奥の扉から顎髭の長い白髪の老人が現れた。メサイアだわ。


「どういうことかね?」メサイアは書斎机の席に座るなり、挨拶抜きで言った。「なぜロンゲスト・ドライブワープの事を知っている? 情報源はどこかね?」


 ロンゲスト・ドライブワープ……例のワープはそういう名前のようだわ。


 情報源がまさか別世界の当人とは説明しづらい。とりあえず、そこの所は省きましょう。


「わたくしはアグライア・エクセルシオールでありますわ。彼はニコル・グラース技師」と言って、お辞儀をした。


「私達はタイムマシンを探しております。それは、西暦21世紀の地球につながるタイムゲートです」と、急に丁寧にグラースは言う。それも、直立不動で……


「そのようなタイムマシンはかなりのエネルギーを使うはずです」と、グラースは話を続ける。「それはゴルディロックスそのものをタイムマシンとして使っているのではないでしょうか? メサイア殿ならば何かご存知ではないでしょうか?」


 メサイアは顔を穏やかにして言った。「そのような事は聞いたことも無い。今ゴルディロックスのエネルギーは不足しておる。タイムマシンなどに使う余裕はないのじゃ」


「少なくともこの1,2年の間に数多くの人間が地球に降りた筈です。メサイア殿」と、グラース。


 メサイアは、私達を見据えて言った。「実際に21世紀の地球に乗り込んだ人間がいたとしたら、それは由々しき問題じゃな。しかし、何故過去に戻るのかね?」


「それは……過去に戻ったほうが……例えば……技術格差を利用して利益を……」


 グラースは口篭ってしまった。いつものグラースのようには見えない。インプラントデバイスによるヒューマン信仰プログラムの影響を受けているに違いない。


「ふん。どうやら二光年半の意味もわかっておらんようじゃな。何処で聞き出したのか? ロンゲスト・ドライブワープの事はマニューバの中でも一握りしか知らん筈なのに」と、メサイア。


 グラースは言葉に詰まってしまった。


 そもそも、こちらがメサイアを問い詰めるはずだったのに、逆に質問をされている。こちらが推測で動いていることを見透かされているようだ。


「ロンゲスト・ドライブワープ……超長距離ワープ……二光年半のずれ……」と、グラースはブツブツと呟く。彼が頼みの綱なのだけれど……


「とにかく、1200年のタイムワープが存在するのは間違いないことですわ」と、私はグラースに言う。


「あぁっ!」いきなりグラースが天井を仰ぎ、叫んだ。「そうか……なんという勘違いだ……」


 驚いて彼を見る。何に気付いたのでしょうか?


「なるほど、メサイア殿。誤差二光年半。確かにこれは重大な事でございます」と、グラースは言って一息つく。信仰プログラムから解放されたかのような、すっきりとした表情で。


「なにか、おわかりになりましたの? グラース技師」と話を促した。


 グラースは言う「マニューバはゴルディロックスにロンゲスト・ドライブワープを実行させました。今から十七年前のことです。名称の通り、超長距離ワープだと想像いたします。しかし、ワープゲートを通り抜けた際、その出口が予定位置から二光年半もずれていたとのことです」


 と言って、彼は額の汗をハンカチで拭った。「……ですが、正しくはそうではなかったのですね。つまり、ワープゲートは予定通りの位置に作れたものの、星々の実際の位置のほうが二光年半ずれていたのではないかと考えます」


「それはどういうことですの?」と、私は聞いた。


「アグライアは銀河系が移動している事は知っているかな?」


「え? 銀河が回転しているという事でしょうか?」


「それもある。しかしそれに加えて、銀河系そのものが秒速六百キロメートルで移動しているのだよ」グラースは続けて言う。「その速度で移動すると、1200年ほどで銀河系はだいたい二光年半移動することになるな」


「ちょっと、待ってくださいな」もし私がヒューマノイドだったら真っ青な顔をしていたかもしれない。「では、誤差二光年半などと言っていましたけれど、実際は誤差1200年だったということなのですか?」


「だったら、どうだというのじゃ!」とメサイアは強気に言った。「37000光年の超大ジャンプで千年程の誤差などたいしたことではない」


「そんなはずがありませんわ!」と私は叫んだ。「もし過去の方向に1200年のタイムスリップをしたのでしたら……」


 グラースがさらに言った。「メサイア殿、そのようなロンゲスト・ドライブワープで一体何処へ向かわれたので御座いましょうか? 銀河の深淵への大ジャンプでしたならば、銀河探査船の面目も立つ所存ですが……」


「そ、それは……」メサイアが下唇を噛んだ。


「ま、まさか」と、私は声を震わせながら言った。「戻ったのですわね? スタート地点に! 地球に!」


「選択肢としては最良のものであった!」メサイアは叫んだ。「37000光年のワープで地球に届く。地球に戻れば中間報告ができ、新しい技術があればそれを持ち込める。補給もできたじゃろう。そうすればさらなるロンゲスト・ドライブワープが可能となったはずじゃ。うまくいけばプロジェクト・ゴルディロックスを予の代で終わらせられた!」


「でも、戻れなくなってしまったのですわね……」自分の量子脳がぐるぐると回転しているような気分になった。「では、いまゴルディロックスは何時いつ何処どこにいるのでしょうか?」


 メサイアは観念したように言った。「ゴルディロックスは今、地球から三光年離れた位置におる。今は航星暦紀元前……」


「航星暦などこの場では意味がございません。西暦何年でしょうか? 地球は観測されているのでしょうか?」と、グラースは丁寧に、しかし強く尋ねた。


「今は……」とメサイアは言う。「西暦2027年じゃ」


 量子脳が目まぐるしく回転する。「西暦2027年! あれからたった一年しか経っていないなんて! その地球がジャンプシップで一飛びの距離にあるというの!?」

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