第10話 襲来
航星暦253年。カルナ5歳。身長は110センチ程になった。
この世界が本当にバーチャルなゲーム世界なのか、もはや判断がつかなくなってきた。
それでも、月下だった頃の記憶は鮮明に残っている。どんな形でもいい、元の世界に戻りたい……。
書を公開して他のゲームプレイヤーに見つけてもらおうとした試みは失敗に終わっている。
確かに書の評価は上がり、オークションに出品できるレベルになったものの、それは単なるデザインとしての評価に過ぎなかった。
誰も文字として読み取ってはくれず、日本の文字だと気づく人も、東洋の文字だと指摘する人も一人もいないのだ。
まぁ、これのおかげで5歳児にしてポイントを稼げるようにはなった。口座がないのでキャッシュにはできないけれど。
そんな時、事件は起きた。
突如、グリーンウッド学園に警報が響き渡る。
「大変だ!」タロン先生が保育室に駆け込んできた。「ラムダファージ警報だ! 奴らがここに、まさにここに出現する!」
「なんですって!」カメリア先生は青ざめた。「そんな……赤ちゃんたちを下層に避難させないと」
だが、タロンは首を振る。「駄目だ。マニューバからの警告では、超強力な奴が出現するらしい。普通のシェルターでは持たない。西ブロックの大規模シェルターまで行かなければ」
マニューバはゴルディロックスを管理する最上位階級の人々である。政府よりも上位の存在から直接警告が来るということは、事態が極めて深刻だということだ。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「俺がトラックを持ってくるから、連れて行けれる子だけを乗せて逃げるんだ! 赤ちゃんはおいていこう!」とタロンは非情な決断をする。
「そんなのだめよ!」とカメリアは拒否した。「置いて行くくらいなら、わたしは残るわ」
「みなさん、落ち着いてください」と、保育士補佐のライアが保育室に入ってきた。他の保育士補佐たち三人も続いて集まってきた。
「保育カプセルが百個以上もあるんだ。こんなに多くては持ち出せない」とタロン。
先生たちは明らかに動揺していた。
「ラムダファージはいつ来るの?」と、私は冷静に尋ねた。
「30分後だよ!」
「だったら、先生たちと私たち4、5才の子でバケツリレーをしてトラックに積めば間に合うわよ!」
「バケツリレーって何?」とカメリア。
「とにかく、タロン先生はトラックかバスを2、3台調達してきて。カメリア先生は園児たちの脱出準備を、ライア先生は保育カプセルをラックから出し始めて」と、私は指示を出す口調で言った。
「ダメよ! ダメ!」とルーシーが小さな両手で机をペシペシと叩いて反対する。「下のシェルターの方がいいわ! 30分なんて信じちゃダメ!」
「ルーシー、マニューバの言うことに間違いはないよ。カルナの言う通り、みんなで助け合って脱出しよう」とタロン。
「カルナは? ほんとうにその方法でいいと思っているの? 先にファージが来たらおしまいなのよ! はやく下に逃げるのよ!」とルーシーは譲らない。
私を除けば園児たちで一番頭がいいのはルーシーだ。
だから、ただのわがままとは取れないけど。
「ルーシー、大丈夫よ。出現するファージが強力ならそれだけ出現に時間がかかるって、HOUSEに書いてあったわ。だから、協力して」とルーシーを諭した。
「きっと後悔することになるわ」そう言いながら、ルーシーは頭を抱えて座り込んでしまった。「よし、すぐトラックを持ってくるから、リン先生とキリア先生も一緒に来てくれ!」タロンはそう言うと、二人を連れてエントランスへ走っていった。
校庭では学園の小中高等部生徒たちが集まって整列し始めている。園内にバスが入ってきて、全員を乗せようとしているようだ。
悠長すぎる。どうせ全員を乗せられるバスなんてないのだから、高等部生くらいは自力で大規模シェルターまで走るべきだ。
保育園の棟の入り口に三台のトラックを停め、繭のような形をした保育カプセルをバケツリレー方式で運び込んでいく。
これは小さな子供たちにとってはかなりの重労働だ。特にアンドロイドの子たちは、五歳児であってもベビーボディを使用しているため、このようなバケツリレー作業には適していない。
アンドロイドの子たちには、ルーシーを中心として幼年生の避難補助を任せることにした。
私は一台目のトラックへのカプセル運搬リレーに加わった。
割り当て分のカプセルは約十分で積み込むことができた。続いて、リレーに参加していた園児たちを一台目のトラックへ誘導する。
このペースなら30分以内に西ブロックのシェルターまで避難できそうだ。しかし、まだ不安は残る。ルーシーはタロンの言う30分という時間を鵜呑みにするなと警告していた。
その時、空に大きな穴が開いた。一瞬、都市ナスターシャの天井に穴が開いたように見えたが、それよりも低い空間だった。そこから巨大なラムダファージがグリーンウッド学園の校舎へと落下してきた。
校舎を押しつぶしたラムダファージは、その全高が百メートルを優に超えていた。
トラックの荷台で園児たちを引き上げる役をしていた時、その姿を目の当たりにして思わず叫んだ。「ラムダファージよ! すごく大きい! バハムート級だわ!」
それは、以前バイパーから聞いていた。
『バハムート級というダイノ級よりでかい奴がいる。そいつの危険度はフェーズ4だ。フェーズ4のファージは知的生命体をフェーズ4のファージにしてしまう。つまり人間がいる所に出現したら無限増殖を始めてしまう、ぶっ壊れ設定を持つ奴なんだ』
そんなラムダファージが学園に出てくるなんて!
予報よりも早すぎる! こんなに早く来られては、逃げ切れるはずがない。
耳をつねってみると痛みがはっきりとする。これが現実なのか?!
巨大なラムダファージは、避難途中の校庭にいた小中高生徒たちへ黒いプラズマを放った。プラズマを浴びた生徒たちは意識を失い、その場に立ち尽くした。
次第に生徒たちの体にラムダ結晶が纏わりつき始め、彼らはビースト級のラムダファージへと変貌していった。さらにその一部は、ダイノ級へと進化を遂げていく。
新たなラムダファージは他の生徒たちを襲い始める。もう避難するしないの問題ではない。状況は絶望的になった。
「タロン先生! 車をすぐに出して! すぐに出ないと間に合わない」と、私は積み込みを手伝っていたタロンに向けて叫んだ。
「まだ後ろの車には全員乗っていないよ!」と、タロン。
「すぐに追いつくから、先に行って!」と、カメリアが叫び返した。
「わかった。カメリア! 先に行くからね!」と、タロンはそう大声で言いながら運転席に乗り込む。
一緒に園児の収容をしていたライアがカメリアの所へ駆け寄っていく。
カメリア先生たちを置いて行けない! でも、どうすれば……
「カルナ! 乗せて!」と、いつの間にかそこにいたルーシーが呼びかけてきた。私が彼女を荷台に引き上げると、タロンがトラックを発車させた。
荷台は保育カプセルと園児たちでいっぱいだった。ほとんどの園児たちは異常事態に泣き出している。
後ろのトラックでは、カメリアやライアたちが残りの園児たちを必死に荷台へ乗せようとしていた。
私たちのトラックはその場を離れていく。私にとってカメリアは母親も同然だ。今、その彼女を見捨てた……。
次の瞬間、黒いプラズマが保育園を薙ぎ払った。
タロンは後ろを見ずにトラックを走らせる。
私は悔しさで歯を食いしばった。……違う! 私だけが助かりたかったわけじゃない! でも助ける方法がなくて……。
「大丈夫よ、カルナ」とルーシーは静かな声で言った。「誰もカルナを責めたりしないわ」
崩壊した学園校舎の上で、二体のダイノ級ラムダファージが巨大化を始め、新たなバハムート級へと進化を始めていた。
「ちくしょう! 何をやってるんだ」とタロンが唸る。グリーンウッド学園の正門でスクールバスが立ち往生している。
荷台から身を乗り出してみると、バスの中には恐ろしいことにラムダファージがひしめき合っていた。
「カルナ! 子供たちを下ろして、あの通用口から逃がすんだ!」とタロンが叫んだ。
「タロン先生! 赤ちゃんはどうするの?」
「仕方がない。赤ん坊は乗せたままにしろ。大丈夫、俺が強行突破してやる」
だが、その試みが実行される前に、背後から迫っていたダイノ級ラムダファージの黒いプラズマがトラックを直撃した。
「うあぁぁ!」強烈な衝撃を受け、私は荷台から転げ落ちた。
体中が痺れ、感覚が徐々に失われていく。必死に這いずってトラックから離れようとする。
やがて、痺れは少しずつ薄れ、意識が戻ってきた。
……ファージ化しないの? 黒いプラズマを浴びても必ずしも変異するわけではない?
そのとき運転席からタロンが現れた。明らかに様子がおかしかった。
タロンはアンドロイドだ。しかし、黒いプラズマの効果には人工生命体も例外ではなく、空気中から現れたラムダ結晶体が彼を包み込み、ファージへと変貌させていく。
荷台の方を見ると、園児たちのファージ化も始まっていた。その中で、ルーシーが私を見つめている。そして彼女も結晶体に包まれていった。
その時、突如として正門の向こう側から三台のフルオープントラックが現れ、立ち往生していたスクールバスを押しのけて園内に突入してきた。ストライカーたちだ。
もっと早く救援に来てくれれば……ファージの出現位置は分かっていたはずなのに。そう思いながらも、私は「助けて!」と叫んだ。
ストライカーの一人が叫んだ。「大量のファージだ! 撃ちまくれ!」
そして、タロンと園児たちが変貌したラムダファージめがけて、STライフルの弾丸が容赦なく放たれていく。
「待って! みんな人間なのよ!」なんとか止めようと叫ぶと……。
「おい、子供がいるぞ」
「かまわねぇ。どうせファージの餌だ。撃っちまえ」
「待て! ファージ化してから撃った方が、点数が高いんだぞ!」
……なんてことを! こいつらは学園が襲われるのを待っていたのだ!
ストライカーたちが次々と正門から押し寄せてくる。
私は両手を広げて必死に叫ぶが、ストライカーたちを止めることはできない。
その時! 巨大なアンドロイドが空から私の目の前に降り立った。瞬時に私を抱き上げ、高速ホバリングでストライカーたちの間をすり抜けて脱出した。
「待って! まだ無事な子供たちがいるはず!」と、私は必死に叫んだ。
彼は重々しい声で答えた。「すまない。君一人を救うのが精一杯なんだ」
「そんな……これじゃ誰も助からない」
彼は私を抱きかかえたまま、学園から遠ざかっていった。振り返ると、学園内はラムダファージが溢れ返っていた。
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