月下の章
第1話 佐藤宅
西暦2026年9月12日
「
僕は玄関のインターホンに向けてそう言うと、左腕に付けた『風紀』の腕章を指さした。
一年生だけど風紀委員長ならばビシッとしなくてはならない。
まぁ、風紀委員で腕章を付けているのは僕以外にはいないのだけど。
一年生で委員長になったのは、初めての風紀委員会会議で上級生たちがジャンケンで委員長を決めようとし始めたため、僕が思わず立候補してしまったからだ。。
ジャンケンで負けた人に指図されるなんて、納得できないじゃないか。
訪問先は二年一組の
学校が母親にメールでやり取りして聞いたところによると、佐藤君はひとり部屋に閉じこもりきりで、誰にも会いたくないと言っているそうだ。
なんでも、新しいVRヘッドセットを買ったときから、ずっとそれで遊んでばかりらしい。
学校側は誰かに様子を見に行かせることにしたが、彼には特に親しい友達がおらず、先生方も時間がとれなかった。
そこで母親を通じて誰なら会ってくれるか本人に確認したところ、彼は風紀委員長である僕を指名してきたのだ。
VRヘッドセットならば学校支給のテラミスがある。それがあればクラスメイトと会うことができる
また、生徒がテラミスの性能に不満を持つ場合や、学校からの監視を避けたい場合は、別のVRヘッドセットを購入することがある。
そのこと自体は禁止されていないものの、それを理由に学校を休むのは全く別の問題だ。
そもそも、VRヘッドセットに夢中になるというのは、いったいどういうことなのだろう? このヘッドセットでしか入れないワールドがあるのだろうか?
これは一つの懸念を引き起こす。
メタバースには悪質なカルト集団が存在するという。これらの集団は独自のバーチャルワールドを運営し、高額なVRヘッドセットの販売で会員を囲い込む。
そして、そのバーチャルワールドを通じて会員を洗脳し、さらなる金銭を搾取していくのだ。
佐藤君もこうしたカルトの会員になってしまった可能性がある。
インターホン越しに返事がした。佐藤君のようだ。
ドアを開けた佐藤君は微笑んでいた。愛想笑いかもしれないが、何か楽しげな様子だ。
彼はそのまま僕を自分の部屋に通した。
部屋はごく普通だった。六畳の広さでベッドと机、本棚があるだけ。間取りは僕の部屋とさして変わらない。
彼はベッドに座ったので、僕は学習机の椅子に座ることにした。
「呼んでくれて良かったですよ。佐藤先輩」
「そんな事ないでしょ、委員長。迷惑じゃないの?」
「いえ、二学期になっても姿を見せないから心配でしたよ」
「まだやってるの? あいさつ運動」
「そうですよ。全校生徒に挨拶しています」
そろそろ本題に入ろう。
「ところで、新しいVRヘッドセットにハマっていると聞いたんですけど……いったいどんなヘッドセットなんですか?」
「これだよ」佐藤君は横に置いてあった赤いヘルメットのようなものを膝の上にのせて微笑みかけた。
今日のためにVR関連サイトを一通り見ていたが、このような物は見たことがない。ゴーグル付きの真っ赤なヘルメット型で、普通のVRヘッドセットやゴーグルよりずっと大きい。
やばい……これは『本物』かもしれない。カルト的な意味で……。
「VRヘッドセットなら学校支給の『テラミス』があるじゃないですか。普及型だけど大抵のことは出来ますよ」
「あれとは別物だよ!」と、佐藤君は言う。「これは世界初の脳神経接続型VRシステム、VRSヴァーミリオンなんだ」
「ヴァーミリオン……それ、どこで買ったのですか?」
「ランパウという会社が製造していて、抽選販売に当選したんだ」佐藤君は目を輝かせて言った。「ランパウは誇大妄想的とかエセ科学だとか批判されがちな会社なんだけど、実際に使ってみたら、彼らの技術が本物だって分かったんだ!」
「いくらぐらいしたんですか?」
「モニター価格で十万円!」
「それは……安いですね」と僕は言っておいた。「どんなゲームが遊べるのですか?」
「
「RPG?」
「そう。でもまだアルファ版なんだ。今対応しているのはこのゲームだけ」
唯一のゲームがまだベータにもなっていない……。
「行けるワールドに制限はあるのですか? 樫高ワールドには行けますか?」
「他に行けるワールドはないね。RPGがワールドだから、それで十分だよ」
……うーん……やっぱり『本物』なのかなぁ……。
正直、脳神経接続型のVRが実用化されているなんて信じがたい。きっと、テラミスのようなVRヘッドセットに脳波測定器を付けただけのものなんじゃないか?
「じゃあ」というと佐藤君はベッドから立ち上がって部屋の隅にある箱の所に行き、箱の中からもう一つの黒いヴァーミリオンを取り出した。
「なんで二つあるの!?」
「先週、新バージョンのヴァーミリオンが届いたんだ。古い方は返却するように言われているんだけど、このときのためにとっておいたんだ」
そう言うと、佐藤君は箱から出した黒い方のヴァーミリオンを僕に差し出した。
まずいんじゃない? 佐藤君がカルトにハマっているのなら、何とか抜け出す手助けになればと考えたけど、これでは逆に勧誘されようとしているじゃないか。
そう考えると、一年生風紀委員長である僕を指名したのも策略かもしれない。
風紀委員長をカルトに染めれば、学校を一気に手中に収められると思ったのかも……。
しかし、それでも引き下がるわけにはいかない。虎穴に入らずんば虎子を得ず。このヴァーミリオンの正体を確かめるしかない。
僕はその黒いVRヘルメットを受け取った。
重いなこれ、二キロ以上はありそうだ。こいつを頭にかぶるのはしんどい。
額に当たる部分に「VRmillion」と書いてある。ヘルメットはいくつかのパーツに分かれていて、それぞれずらす事によってどんな頭のサイズにも合うようになっているみたいだ。
ゴーグルの中を覗いてみると、テラミスのような接眼レンズがある。それから、うなじが当たる部分には六つのパッドが整然と並んでいる。もし脳に接続するのだとすれば、このパッドを通してなのだろうか。
「これって、脳に影響があったりしませんか?」と、おそるおそる聞いてみる。
「大丈夫、過負荷がかかった時はちゃんと覚醒するように安全装置があるから」
十分に危険そうなのだが……。
しかし、脳神経接続なんてフェイクに違いない。ここを見破れば、佐藤君の目を覚ますことができるかもしれない。
佐藤君は一旦部屋を出ると、丸めたマットとミネラルウォーターを二本持って戻ってきた。
「トイレ行っとく? 長丁場になるよ」と言って、佐藤君は水を差し出した。
「ありがとう。大丈夫です」と答えて水を受け取り、一口飲んでおく。
佐藤君は水を飲む間に床にマットを敷いた。「この上に寝て。僕はベッドに寝るから」
「え? これ寝た状態で使うのですか?」
「そう、そこに寝て使うんだ。あ、これをつけてね」と言って、佐藤君はACアダプターを手渡した。
完全ワイヤレスでは無いらしい。コンセントにACアダプターをつないでコードをヴァーミリオンに差し込むと、キュイーンというダサい効果音が出た。これがスイッチになっているらしい。
これを頭にかぶってゴーグルを閉め、耳元のダイアルをまわしてヘルメットを頭のサイズぴったりになるように締めた。首の後ろのパッドがうなじの辺りにピッタリと張り付いた。
「最初にキャラ名を付けるんだけど、今考えて。僕のは……そう……『ミーコ』って言うんだ」と佐藤君が話しかけてきた。
「はい……じゃあ『月光』で」
月下と言う名前が嫌いなわけではない。ただ、女性的な響きがあるので、男としては使いにくいだけだ。
ゴーグル内の前面スクリーンが目の前の光景を映してくれるので前は見える。とりあえずここまではテラミスと同じだ。そのまま仰向けに寝て気を落ち着かせると、ふっと目の前が暗くなった。
◇◆◇
少し間があって、気が付くと僕は草原に寝転がっていた。立ち上がって周りを見てみる。はるか遠くに山脈が見えるがそれを除けば永遠に続く草原のようだ。
すると目の前にウェルカムパネルが現れた。樫高ワールドのそれと比べても随分とそっけない。
あらためて自分の姿を見ると、体が昔のSF映画に出てきそうな骨組みだけのヘッポコロボットになっている。これがバーチャル? すごすぎないか?
手足がまるでフルトラッキングでもしているかのように、思い通りに動く。それどころか、体をコンコンと叩くと、叩かれた振動も感じる。今、僕は寝転がっているだけのはずなのに、そんな感じがしない。
パネルには「ようこそ! 新プレイヤー」と書いてある。バーチャルキーボードが現れたので『GEKKO』と打つ。パスワードを聞かれる事は無かった。おそらくは生体認証なのだろう。
登録が終わると『MIECO』がフレンド申請をしてきた。承認すると目の前にピンク色の服で耳が尖った小さな魔法少女が現れた。
「ジャーン、魔法少女ミーコちゃん登場! こんにちは、ゲッコーくん」
「えーっと、佐藤先輩ですよね?」
「ブッブーッ! ここでリアルネームを呼ぶのは重大なマナー違反です」
「それはすみません、ミーコちゃん」
「さてさて、ゲッコーくん。問題ないようね。つぎはアバターを作ってもらいまーす。一度作ったアバターはそう簡単には作り直せないから気を付けてね」
「わかった、アバターだね。ゲームでよくあるキャラメイクだね」
「スポーンポイントを送信するわね……これで迷うことはないわ。キャラメイクは大事だけど、あまり時間をかけすぎないでね」と言って、ミーコちゃんは消えた。
同時に草原も消えて、場所は薄暗い部屋の中に移った。
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