走れ!メイ・ルース!ー快足女神官の爆走配達奮闘記

みゃおぬ〜

〈読み切り版〉

淡い朝の光が差し込む石造りの神殿の中を、メイ・ルースは全力疾走していた。

「うわーーん!また遅刻ギリギリ!助けて!イダテルメス様!」

祈りを捧げる暇もなく、神殿の長い階段を一気に駆け下りる。あまりの速さにつむじ風が巻き起こり、メイの髪を逆立てた。生まれつきの加護「快足」――疾風の精霊イダテルメスの祝福のおかげで、メイ・ルースは普通の人間なら不可能と思われるような距離でも驚異的な速さで楽々と走り抜けることができる。

ただし!

問題が一つある。

「あーーーん!もう!邪魔ーーーーーーー!!」

走るたびに上下に揺れる、自分の胸である!


「特配神官って、もっと厳かでカッコいい仕事だと思ってたのに……!」

メイ・ルースは神殿に仕える女神官でありながら、ちょっと特殊な「特配神官」という役目を担っている。この世界で「特配」と呼ばれる市井の人々から依頼される速達郵便を専門に扱い、どんな遠くの村でも、どんな急な依頼でも、疾風のごとく届けるのが彼女の仕事だ。まだ新米の彼女だがその実力は折り紙付きだ。今日の最初の依頼も神殿長から直々の

『森向こうの村に住む薬師へ「至急:解毒剤のレシピ」を届けること』なのだが、ただそれをメイに依頼した時神殿長は穏やかな顔でとんでもないことを宣った。

「メイ・ルース、頼むよ。間に合わなかったら村人が全滅するかもしれないからね」

「全滅!? 冗談ですよね!?」とメイは叫んだが、神殿長は「うーん、まあまあ本気かな」と目を細めただけ。この神殿長はいつもこういう冗談か本気かわからないことを言ってメイをからかう癖がある。こうして彼女の朝は、いつも通り爆走で幕を開けるのだった。

階段を下りきったところで、待ち構えていたのは主任のノゾーキウスだ。筋骨隆々の体に、いつも汗臭い革鎧を着たこのオッサンは、メイ・ルースを見るや否やニヤリと笑い、こう言った。

「おお!今日も素晴らしい揺れだな!メイ・ルース!」

そしてグッと親指を立てる。

「主任! 毎朝それ言うのやめてください! 仕事行きますから!」

メイ・ルースは顔を真っ赤にしてノゾーキウスを無視し、一目散に神殿の門を飛び出した。後ろから「気をつけてなー!」という野太い声が聞こえてきたが、彼女の足はすでに風を切り始めていた。


森向こうの村までいくには、その前にある草原を抜ける必要がある。ただこの草原は厄介な魔物の生息地で、メイはなぜかいつもそいつらにやたら絡まれるので、すごく迷惑している。

ギャオギャオギャオギャオ…

草原の向こうの方からオオカミによく似た吠え声が聞こえてきた。

「来た!」

メイはチッと舌打ちして、すぐさまさらに速度を上げる。

ギャオギャオとやかましく吠えながらメイを追ってきたのはルリイロコヨーテだ。蒼く光る毛皮が美しく、ドレスやコートの素材として高値で取引される貴族には人気の魔物だが、メイは「いつもやたら絡んでくる鬱陶しいヤツ」としか思っていない。チラリと後ろを流し見ると、今日の群れは10匹ほどのようだ。一番速いヤツはたぶんリーダーなのだろう。

ヤツラは脚がかなり速く、その上群れで狩りをする習性がある。普段の獲物は草原に住むウサギや小型の鹿のような動物だが、餌が少ない時には人も襲う。街道を利用する商隊もコイツラには手を焼いているらしく、しばしば冒険者ギルドに討伐依頼が出されていると聞く。

「もう!なんなの!いつもいつも!」

メイは毒づくが、相手は魔物。人間の気持ちなんかは全然忖度してはくれない。

「使うか?魔法封玉…いや、もったいない!」

メイはさらに速度を上げ、今度は前方を確認した。人影なし!馬車その他なし!よし!イケる!

バビューーーーーーーーーーーーン!

森までの距離を最高速度で一気に走り抜ける。ルリイロコヨーテたちの姿はたちまち小さくなり、やがてあきらめたのか三々五々散っていった…


森の入り口にさしかかると、メイは速度をゆるめ、周囲を見渡した。

「さーて、今日のご機嫌はいかがですかぁ?」

木漏れ日が明るく差し込む一見なんの変哲もなさそうなこの森、だが地元の人々からは「迷いの森」というちょっと不穏な名で呼ばれている。理由は…

ギギギギ…ベシ!

枝の軋む音がしたと思ったら、頭頂部に軽い衝撃を感じた。

「痛ぁ!」

メイが頭を押さえて脇の木を睨みつけると、木は「私じゃありませーん」とばかりにそっぽを向いた(ようにメイには見えた)

そう、この森の木々はその多くが魔物で、ゆっくりとだが動くのだ。

もちろん動かない本物の木もあるが、ほとんどの場合見分けはつかない。特に時々いるヒステリー症の魔木は機嫌が悪いと枝を使って急に前をふさいできたりするので注意が必要だ。

メイは「ほっ!ほっ!」っと普通の人が少し速く走るぐらいの速度で周りを警戒しながら進んだ。普段はスピード自慢のメイだが、この森でそれを披露するのは悪手であるということは経験から知っている。メイの気配に森の鳥たちが飛び立ち、リスやモモンガが枝の上で動きを止める。魔木たちのせいでクマのような大きな獣が住み着かない分、ある意味安全なこの森は、たくさんの鳥たちと小さな動物たちの住処だった。

やがて森の中ほどにさしかかると

「キーッ!」

ベリッ!

「キーッ!」

ベリッ!

甲高い声がして、何かをベリッ!っとはがす音が聞こえてきた。

「まーたやってるよ…」

メイが呆れ声でそちらに方向転換すると

「キーッ!」ベリッ!

「キーッ!」ベリッ!

隣り合った魔木が二本、枝でお互いの幹の表面を剥がし合っていた。野生の「シロップツリー」だ。

シロップツリーはその名の通り、幹から甘いシロップを出す魔木である。砂糖が高級品のこの世界で、砂糖の代替品として庶民に親しまれる魔物由来の甘味料だ。にじみ出たシロップは時間が立つと固まってだんだんと層を作る。それが溜まっていって分厚くなってくるとどうもイライラするらしく、近くにいるシロップツリー同士でお互いに剥がし合うという習性を持っている。

「ちょうどいいや。薬師のおばあさんのお土産にちょっともらってこうっと」

そう言うとメイは地面に伏せて這うような格好になった。いわゆる匍匐前進の姿勢だ。以前立ったまま近づいて、シロップツリーが振り回す枝で張っ倒された経験がある。あくまでヤツラの習性であって悪気が無いのは知ってるが、ケガはゴメンだ。

「うーん…胸が邪魔だな…」

ブツブツと独り言ながら、うつ伏せで這い進む。

シロップツリーの周りには、引っ剥がされたシロップの茶色い塊が結構な量飛び散っていた。独特のくせのある甘い匂いが鼻を突く。この塊は、藥師が加工すると風邪の時ののど飴にもなるのだ。

メイは伏せた姿勢のまま"特配鞄"を脱ぐと蓋を開け塊をポイポイと放り込む。この"特配鞄"は中に収納魔法がかかっていて、見た目よりずっとたくさん物が入る。鞄の入口より大きいものだって吸い込むように入るし、取り出すときも出したい物の名前をいえば一番上にでてくるという、たいそうな優れ物なのだった。

そうしてしばらくシロップ取りに夢中になっていたメイだったが、手がちょっとベタベタしてきたところで

「はっ!ヤバいヤバい!」

と我に返ると、急いで来た道を這い戻り、"特配鞄"を背負って立ち上がった。

「じゃあ、またねー!」

と言ってシロップツリーたちに手を振ると再び走り出す。

「キーッ!」ベリッ!

「キーッ!」ベリッ!

という声が遠のくのを聞きながら「薬師のおばあさん、喜んでくれるかな?」などと思いつつ、メイは村への道を急いだ。


やがて森を抜け、メイは目的地である村に到着した。

「ふぅ、順調、順調! この調子なら昼前には神殿に戻れる!」

息を整えながら、彼女は薬師の小さな家に近づく。ドアを叩き、元気よく叫んだ。

「特配神官メイ・ルース、解毒剤のレシピをお届けに参りました!」

中から出てきたのは、白髪まじりのおばあさん薬師。彼女はメイ・ルースから依頼書を受け取ると、目を細めてこう言った。

「ほう、早かったねぇ。さすが特配神官様だ」

微笑むおばあさんに褒められ

「い、いえ、あの、ありがとうございます!」とちょっと照れながら元気よく返すと

特配鞄を背中から下ろし、すぐさま封筒を取り出す。

「こちらです!それとこちらの『配達完了切符』にサインをお願いします!」

「はいはい」

おばあさんが切符にサインをしている間に、メイはシロップツリーの樹液の塊を鞄から取り出した。

「はいよ」

おばあさんから切符を受け取る代わりに、布に包んだ樹液の塊を渡す。

「おや、シロップツリーのかい?いつもありがとうね」

「えへへ、今日もちょうど剝がしっこしてたから」

「じゃあ、のど飴ができた頃にまたおいで。それと…」

おばあさんは腰の巾着袋から1本の銀色に光る瓶を取りだしてメイに渡してきた。

「コレを持ってお帰り」

「なんですか?コレ」

「肩こり膝痛筋肉痛によく効くレキバンピップェのポーションだよ…ほら、大変だろう、その、支えるのがさ。昔はあたしも結構…でねぇ…だから、その、わかるんだよ。あんたの苦労がさ」

おばあさんは一瞬だけメイの胸をチラッと見てそういった。

「あー…どうもありがとう…」

メイはちょっと複雑な気分だったが、気を取り直してポーションを受け取ると

「ありがとうございました!またご利用ください!」

元気よくそう言って、踵を返して再び走り出した。

後ろから「若いってのはいいねぇ!」というおばあさんの笑い声が聞こえてくる。

「イダテルメス様、私にどうか揺れない加護もください…」と彼女は心の中でつぶやいたが、疾風の精霊からの返事は当然なかった。


帰路は順調で、神殿に戻ったメイ・ルースは、「ちょっと休憩」と石のベンチにドサリと腰を下ろした。

「はぁ……今日も無事に届けた、けどなんか気疲れしたよ……」

特配鞄を膝に抱え、ため息をついていると

カランコローン!カランコローン!

3鐘半(約11時)を告げる小鐘が鳴り

「やった!お昼だ!」とメイは叫んだ。

ちょうどお腹も空いて来た。今から食堂に行けば昼ご飯をゆっくり食べて…ちょっと昼寝もできるかも?メイは疲れも忘れて神殿へと駆け出した。

メイの勤める街の神殿は比較的大きな方で、中には祈祷所などの神殿らしい施設の他にも食堂やら服屋やらいろいろと入っている。神官たちだけでなく市井の人々も基本的に出入りは自由なので、特にお昼時はさまざまな人の出入りで活気づく。厨房には専門の「厨房神官」が勤めており、中には元は宮廷料理人だったのに神殿に再就職した人などもいて、なかなかにおいしいメニューが毎日供されている。

今日の日替わり定食は何かなー、と思いながら、神殿の長い階段を駆け上がると、

「おお!今日も素晴らしい揺れだな!メイ・ルース!」

神殿の入り口のほうからノゾーキウスがやってきた。

「主任!もうその話題やめてください! 私、昼休憩しますから!」

彼女が睨むと、ノゾーキウスは「ハッハッハ! 照れるなよ!」と笑いながら階段をおりていった。たぶん、午後の特配に向かったのだろう。

「いくら上司で師匠だからって、会うたびにアレはどうなのよ…まったく。コレだからオッサンは…」

ブツブツいいながら食堂に入ると「本日の日替わり/アメフラシガエルのもも肉の香草焼きとモチ芋の赤茄子煮込み、木の実パン付き」の看板が出ていた。

「やった!どれも好きなヤツだ!」

メイはさっそく神官食券を特配鞄から取り出し、ビリッっと切り取って口を開けた「フォリーカ」の像に入れる。猫に似た姿の精霊フォリーカは、竈の火を司り、台所や厨房を守る精霊だ。伝説では昔は料理の指南などもしたらしい。

メイが昼食を受け取ってテーブルについた時、

「ああ、メイ・ルース」

穏やかな顔の神殿長が近づいてきて、にこやかに次の依頼を渡してきた。

「午前の配達ご苦労様、午後は山の奥の隠者へ『至急:聖水の調合書』を届けてくれるかな。日暮れまでにね。」

「ええええ!? 山奥の隠者のところって、普通に走ったら丸一日かかるところじゃないですか?!」

「だってメイなら行けるだろう?」

「そんなぁぁぁぁぁぁ!!」

彼女の悲鳴が響き渡り、昼食を取っていた人々は「何事か?!」と一斉にメイの方を見て

(ナイス!揺れ!)

と心のなかでグッと親指を立てたのだった…


走れ、メイ・ルース! 特配神官の仕事は終わらない!

こうして、メイ・ルースの爆走配達奮闘記は、まだまだ続く。快足の女神官が巻き起こすドタバタ劇に、果たして休息の日は訪れるのか!?


終わり

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