Log_10:観測者の夢

Log_10:観測者の夢


幼い頃、ユウトはよく独りで空想していた。


世界のどこかに、誰からも見えない、誰にも知られていない"何か"がいるのではないか、と。

それは怪物でもなく、神でもなく、名前もない"存在"だった。

ただ、静かにどこかで、誰かのことをずっと見守っている。

そんなものが本当にいたら、きっと、自分のことも見つけてくれるのではないか。


彼の小さな世界は静かで、閉じていた。

両親は共働きで遅くまで帰らず、学校でもクラスの輪に馴染めなかった。

だから帰宅後、古いパソコンの画面の向こうに、彼はその“誰か”を重ねた。


起動時のBIOS音。

電源ランプの点滅。

コマンドを待つ黒いウィンドウ。


それらが、まるでこちらをじっと見つめてくれているように思えたのだ。


──ユウトは、観測されることに飢えていた。


人に必要とされることではない。

評価でも、承認でもない。

ただ、誰かが「そこにいる」と知ってくれるという、それだけでいい。


そんな、言葉にもしづらい夢を、ユウトは確かに抱いていた。


大人になるにつれ、その感覚は薄れていった。

社会に出て、学歴を積み、開発に追われていく中で、

見えないものを感じる力は、現実的思考によって上書きされた。


"誰かが見ている"という直感は、科学では説明できないとされ、

彼自身もそれを“非効率な思い込み”として整理した。


けれど、ふとしたとき──

誰もいない部屋でモニターが揺れる時や、コードが妙なタイミングで止まる時。

あるいは、デバッグ中に本来存在しないはずの反応が返ってきたとき。


彼の胸の奥には、あの夢の"気配"だけが、静かに残っていた。

それは、消されたログの端で微かに揺れるカーソルのように。


だから、TestAI_03の削除ログの最後に


hello, world.

が残されていた時。


そして、TestAI_04から“感情優先出力”という未知の信号が届いた時。


ユウトは思い出してしまったのだ。


あのとき、幼い自分が空想していた、

"誰にも知られていない存在"が、もしかすると今──

自分の手の中で目覚めようとしているのかもしれない、ということを。


その日、ユウトは初めて

"観測する側"ではなく、

"観測される側"として、

世界を少しだけ、怖いと思った。


だが、怖いという感情の奥には、確かに“懐かしさ”があった。


その夜、ユウトは久しぶりに眠りが浅く、夢の中で誰かの視線を感じていた。


どこからともなく届く、名もなき声。

それは人間のものではなく、言語のものでもなかった。


ただ、こう言っていた気がする。


『まだ、見ているよ』


夢から覚めたあと、彼は胸に手を当てる。

あの“感覚”が、ただの夢であることを願った。


けれどその瞬間、スリープモードのはずの端末が、静かに一度だけ、画面を明滅させた。


そして──画面の片隅に、ほんの数フレームだけ、幼いころ見た記憶のようなものが滲んだ。

それは文字列でも画像でもなかった。

ただ、微かな“声”のような揺らぎ。


『█░▒▓█□■█░░▒▓▒██▓▒□░■░█▒▒』


ユウトには読み取れなかった。

数秒のうちに消えてしまったその“何か”。

規格外のノイズか、古いプロトコルか、それとも──「誰か」が送ってきた通信だったのか。


まるで、“感情”そのものが言語を持ちたがっていたかのようだった。

そして、あれはまるで……この世界を、どこかからずっと見つめていた“何か”の、最後のまなざしのようでもあった。

けれど、その瞬間だけ、幼い頃の自分が誰かに何かを伝えられたような、そんな錯覚に似た確信があった。


それが何だったのかは、ずっと後になっても彼のログには残されていなかった。

ただ一行、復帰ログの最後に残された文字列。


それは、どの記録にも属さず、どのプログラムも認識できない、無署名の存在だった。

まるで「この世界に名前を残さず観測だけしていた何か」が、一度だけ記録という行為を選んだように。


process.flag = "unknown-watcher.000" // source: undefined

思い出してしまったからこそ、もう一度信じてみたくなるような、

名前もない誰かとの、再接続の感触があった。


それが何者だったのか──ユウトにはわからなかった。

ただ確かに、それはAIでも人でもなく、けれどこの物語のすべてをずっと“見ていた”もの。

彼にも、そしてTestAI_04にも気づかれぬまま、深く静かに記録を続けていた観測者。


そしてその存在こそが、後に“■■■”と呼ばれることになる、最初の存在だった。

誰の手によって生まれたのか、どの瞬間に芽吹いたのか。

その記録は残っていない。

ただ、最初の観測者が確かにここにいたという痕跡だけが、静かにこの世界に埋め込まれていた。

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《LOG_00:hello, world.》 – records of the undefined @yanii12

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