第24話 距離




 石英硝子、ソーダ石灰硝子、ホウケイ酸硝子、クリスタル硝子、結晶化硝子、熱強化硝子、化学強化硝子などなど、多種多様な硝子の生産地でありながら、様々な硝子を用いた建物が観光名所となっている小国『紅鏡こうけい』。


 コンクリート打ちっぱなしの建物内の一室。

 赤、緑、黄、青、黒の五種類の色と、丸、三角、四角の形と、天井近くにいくつも設置してある小さな小窓に結晶化硝子が使われている部屋にて。


「いい加減に覚悟を決めてください」

「え? 何? ここどこ? 何で俺は布団ぐるぐる巻きにされてんの? 兄ちゃんは何で布団ぐるぐる巻きの俺に跨ってんの?」


 紫宙しそらは現状を把握できずに混乱を極めていた。

 居酒屋でビールを何杯も飲んでいた事は覚えている。

 途中でふじが絡んできた事も覚えている。


(兄ちゃんの声が聞こえたかと思ったら、急速に意識が遠のいて。気づけば、この状況)


 きょろきょろと頭を動かしては地面との高低差がある事を確認、背中の感触から低反発マットレスのベッドの上に寝かされていると推測した紫宙は、緊張と恐怖を押し殺して羅騎らきをやる気のない瞳で見つめた。


「俺はおまえと番になるつもりはない」

「二度も吸血しておいて責任も取らないつもりですか?」

「責任は取る。一生。は、無理かもしれないが、姿を見せないようにする」

「逃げますか?」

「逃げる」

「それで藤殿の傍に一生居続けるつもりですか?」

「ああ」

「そんなに私を失う事が怖いですか?」

「もう殺したくない」

「死にませんよ。君の中で生き続けます」

「俺の中で生き続けるおまえに用はない」

「吸血したくないですか?」

「したくない」

「殺さずに済むのならば、どうですか?」

「そんなの無理だ」

「無理じゃないですよ。できたでしょう?」

「できてない。おまえの髪の毛を殺した。濃い金髪だったのに、銀色にしちまった。大事なおまえの一部だったのに。今度はどこを殺しちまうんだ。瞳か、唇か、鼻か、頬か、耳か、手足か、爪か、皮膚か、胴体か、内臓か。全部じゃなくても、必ずどこかを。殺さずにいられない。二度もおまえを殺した。三度目を迎えたくない。おまえだけじゃない。坊ちゃんも。どういうわけか。吸血対象になっている………俺は、最低最悪だ。おまえだけじゃない。一途になれない。さっさとおまえたちの目の前から姿を消したい。もう。俺を追わないでくれ。俺を見限ってくれ。坊ちゃんに手を出されたくないだろ」

「ええ。もちろんです。愛する弟に吸血行為を及ぼしたら絶対に赦しません」

「だったら、俺を排除してくれよ」

「嫌です」

「兄ちゃん」

「酔えないと分かっていてもアルコールに逃げようとしますし、私に一途にもなれないですし、私の名前も呼べないですし。君は本当に情けない吸血鬼ですが。その情けなさすら、愛おしいと。どうしても、君じゃないと、だめなんですよ。君だって、そうでしょう?」

「………そう、だから、逃げたいんだよ。おまえが愛しいから、逃げるんだよ。もう、俺に絶望を味あわさせないでくれよ」

「嫌です」

「兄ちゃん」

「嫌です。絶対に。もう離しません。死ぬのは怖いです。君のおかげで生きていられるようになったのに、死にたくなどない。君に殺される事は、ひどく怖い。同時に、ひどく嬉しい。だから私は。どちらでも構わない。ただ君が嫌だと言うなら。一部分すら私をもう失いたくないと言うのならば。殺さずに吸血できるようになってください」

「………吸血するな。だろうが、そこは」

「我慢のし過ぎはよくありませんよ。吸血したいのであればしなければ、」

「………」

「顔を背けなくていいのですか?」

「俺は情けないやつだ」

「ええ」

「これから情けない事を言う」

「どうぞ」

「おまえが俺よりも力が強い人狼でよかったと心底思っている。俺がおまえを殺しそうになったら、気絶させてくれるから」

「………ええ。いくらでも気絶させてあげますよ」


 羅騎は話しながら紫宙の頬に片手を添えては、顔を近づけて行っていた。

 少しずつ、すこしずつ。

 髪の毛が首にかかるまでに距離が縮まって。

 吐息がかかるまでに距離が縮まって。

 鼻同士が触れ合うまでに距離が縮まって。

 そうして。

 唇同士が軽く触れ合うまでに距離が縮まった。


「興奮して骨肉を喰い千切ったら申し訳ありません」

「俺は、痛いのは勘弁してほしいんだが、」


 とろり、と。

 濃厚な蜜が蕩け落ちそうな微笑を浮かべた羅騎は、本当に情けない人ですねと囁いては、唇を深く押し付けてのち、ゆっくりゆっくりと、紫宙を喰らいにかかったのであった。











(2025.5.4)



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