第7話 恐怖




 紫宙しそらは後ろから羽交い絞めされた瞬間、止めろと叫んだ。

 それが幌馬車を止めた羅騎らきで、自分を殺そうとしていると思ったからだ。

 死にたくないので止めろと叫んだわけではない。

 自分の命くらい自分で刈り取るし、何より、羅騎が手を汚す様を弟である琉偉るいの眼前で見せたくなかったからだ。


「離れろっ!!!」

「離れません」


 羅騎を殺してでも拘束を早く解き放て。

 血の涙を流し続ける紫宙は騒ぎ立てる肉体を全身全霊で抑えながら、せめても言葉で以て羅騎を諦めさせようとしたが、拘束はますます強まるばかり。

 もしや絞め殺そうとしているのでは。

 流石は人狼である。

 皮膚はすでに食い破られ、筋肉も脂肪も血管も骨も臓器も押し潰されては、絶え間なく悲鳴を上げ続けている感覚に陥っている。いや。すでにすべてが砕けているのではないだろうか。

 殺される。

 その事実に本能が抗うべく肉体を操って羅騎を殺される前に殺そうとするのを、必死に抑え続ける。最早己を殺す事はできない。羅騎を殺そうとする肉体を抑え続ける事しかできやしなかった。

 もう。いいか。

 掠れ行く意識の中で、白旗を揚げる。

 羅騎と琉偉には申し訳ないが、琉偉を殺してしまうよりは遥かにましである。


(兄ちゃんなら、坊ちゃんに悲惨な死に様を見せずに。眠ったような感じで。殺して。くれるだろうし。いい。かあ)


「………悪い。兄ちゃん。手間を。かける」

「本当に。君は私に手間をかけてばかりですね」


 羅騎は仄かな溜息を出しては控えめに口を開いてのち、紫宙の肩に優しく歯を立てて勢いよく喰い込ませた。

 激痛に顔を歪ませた紫宙は身体に異物が侵入していく様をありありと感じ取った。

 まるで強い清涼感とピリリとした刺激のある冷たいクールミント飲料水が、身体の抵抗感をよそにしれっと身体の隅々まで流れ巡っていく。


(………絞殺。じゃなくて。毒殺。か)


「『いち早くアルコール依存症を治して元気に私たちの目の前から姿を消して、金輪際視界に入らないでくださいね』。私がそう、君に言った事を覚えていますか?」

「ん」

「『ふじ殿にも随分とお世話になっています』。そう言った事も、覚えていますか?」

「んあ」


 麻痺しているかのように呂律が回らなくなってしまった紫宙。纏まらない思考の中で、何とか耳元で囁き続ける羅騎の声を拾っては返事を口にした。


「弟があなたの生を望んでいるのです。死なせはしませんよ。決して。私たちの目の前から姿を消した後も。生き続けてもらいます。弟の耳にあなたが死んだという噂話すら聞かせはしません」

「………」

「死を自ら選べない事ほど恐怖する事はないでしょうが。諦めてください。私が決して君を死なせはしません」


 時と場合によっては喜悦に咽び泣く台詞であったが、まさに恐怖しか感じなかった紫宙。何だってと、暗闇に塗り潰されていく意識の中で愚痴を溢した。


(何だって。俺の周りのやつらは。俺を。死なせまいと、)


 名も知らぬ子どもと藤の顔が過っては、意識が完全に暗闇に塗り潰されてしまったのであった。


(ほんと。おっかねえ兄ちゃん。だ)











(2025.4.20)



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