第8話 暁星




「大丈夫ですか?」

「んあ。大丈夫。大丈夫」


 アルコール店を凝視していた紫宙しそらを心配したのだろう。

 紫宙がベルトで留めず開けっぴろげにして着ている、バックルなどの留め具を使ったベルトで留めるシンプルなデザインが特徴的な灰色のタイロッケンコートの裾を控えめに掴んでは見上げて尋ねる琉偉るいに、紫宙は弱弱しい笑みを向けてはそう答えた。


「ただ見てただけだ。それよりも。俺が十字架から解放されたら、おまえの好きな物をご馳走してくれって約束を果たしてくれよ」

「はい」


 ほんのりと喜色を滲ませた表情を浮かべてのち、琉偉はこっちですと歩き出したのであった。


「………本当に兄弟なのか? 外見はそっくりだけど、中身は全然似てないよな?」


 琉偉の後を追う紫宙は横に並んで歩く羅騎に話しかけた。


「ええ。常に感極まって泣きたくなるほどに貴くて尊い私の愛する弟です」

「………坊ちゃん。大変だな。もしも坊ちゃんが恋人なんか連れて来た日にゃあ、その恋人は地獄を。いや。地獄よりも恐ろしい世界を身を以て味わう事になるな」

「はは。失礼しますね。私が愛する弟の恋人を痛い目に遭わせるとお思いですか?」

「思う」

「しませんよ。弟が選んだ方です。例えば。まあ。あり得ないでしょうが。例えば世間一般的にクズと分類される方であっても、弟と同様に愛しますよ」

「………愛しますよ、が、矯正しますよ、に聞こえる」

「随分と調子が戻って来たようですね。口がよくよく回っていますよ」

「おかげさまで」

「ええ。その調子で一刻も早くアルコール依存症を治してくださいね」

「へえへえ」


 重たく気怠い身体を動かしながら紫宙は、幌馬車を停めた小さな国である『暁星ぎょうせい』を見渡した。

 地震が頻発するようになってしまった『暁星』ではいちいち建物を立て直す金がもったいないと店も家もテントで補うようになってしまったのである。

 ゆえに、ドームテント、ツールームテント、ワンポールテント、シェルターテント、ソロテント、ロッジ型テント、トンネルテント、エアーテントなどあらゆる種類の形状に素材、あらゆる種類の色のテントが設置されていたのである。


「ここです」

「………ここかあ」


 微笑を浮かべた琉偉の後ろに立っていたのは、真紅のワンポールテントであり、あらゆる種類の唐辛子がテントからぶら下がっていた。

 初めての体験だなあ。

 紫宙はのんびりと思った。

 景気よく作っている唐辛子の料理の香りで涙目になるばかりか顔面が痛くなる体験は。


「ぼくの好きな物は唐辛子を使った料理です。その中でも一番好きな料理は、世界一辛い唐辛子、キャロライナ・リーパーを丸ごと一個ココア粉で揚げた「チィティ」です。揚げたてが美味しいですよ。どうぞ」

「ほおう」


 思わず咽てしまった紫宙。ココアがどうやら仕事をしていないらしいと思いつつ、茶色の紙袋に包まれた「チィティ」を琉偉から受け取った。

 大丈夫だ。唐辛子は苦手じゃない。辛い料理も苦手じゃない。食べる事はできる。


「愛する弟が手ずから渡して、愛する弟の好きな食べ物である「チィティ」をすべて食べ終えなければ赦しませんよ」

「………豪火兄め」


 愛する愛するって耳にたこだっての。

 ぶつぶつ呟きながらも微笑を琉偉へと向けた紫宙。いただきますと丁寧に告げてのち、「チィティ」を口の中に噛まずに押し込んだ瞬間。ココアの味にほっと安堵したのも束の間。


(あ。うん。もう。俺の口と喉。当分? 永遠? 使い物にならないな)











(2025.4.22)



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