第6話 両極




 カタコトカタコト。

 急ぐ旅でもないのだろう。

 ゆったりと穏やかに幌馬車が二頭の亜麻色の馬によって進み続ける。


 琉偉るい羅騎らきの互いへのブラコンっぷりに飽きれるやら微笑ましいやら。

 この長閑で懐かしい空気に移動方法に癒されるやら眠くなるやら。

 心情的にも肉体的にも、不思議と凪いでいた。

 思えば生きていて初めてかもしれない。

 アルコールにも、吸血鬼ハンターにも、他の何ものにも、掻き乱される事のない時間というのは。

 平和だなあ。

 ゆったりとした心持ちで濃い青色のベッドの眠っていられたのは、しかし短い時間であった。


 おかしいと、自らの肉体に、魂に、精神に異常を感じた紫宙しそらは、何故かアルコール依存症が原因ではないとはっきりと認識できていた。

 すべての意識が、琉偉へと向けられているからだ。注がれているからだ。

 一滴身体に取り入れただけで死に至らしめる猛毒が流れる子ども。

 張りのある肌と、やわらかい肉と、新鮮な血と、禁断の毒を具える清潔で健康体の子ども。

 一度味わってしまった。

 一度味わっては、天にも昇る極上な味を肉体が、魂が、精神が覚えてしまった。欲してしまった。


(まあ。酒も。毒。みたいな。もん。だから。酒を上回る。本物の毒を。欲する。のは。道理。だよ。なあ)


 口の中に収まっていた二本の牙が鋭く長く頑丈に伸び続けるのに呼応して、手の指の爪もまた鋭く長く頑丈に伸び続ける。

 牙だけでは飽き足らず、爪も欲しているというのか。

 食い破りたいという浅ましい欲求を叶えたいというのか。

 ドグドグドグドグ。

 心臓が肉体のあちらこちらに誕生しては自己主張を始める。

 早くはやくハヤク。

 欲求のままにこの肉体を動かせと金切り声を上げ続ける。


(嫌だ。俺は。もう。血は。飲ま、ない。血は。血を飲んでしまったら、)


 史上最高の血だった。

 史上最低の血だった。

 あれだけ。肉体が、魂が、精神が欲するのは、欲し続けるのは、あの両極端の感想を抱く血だけでいい。

 あの子の血だけでいい。

 あの子の血だけが、




『ねえ。お兄さん。ぼくの。血。美味しい?』




 不衛生で、いくつもの病を持っていて、骨が浮き出ていて、肉なんて本当になくて、小さくて、立つ事もままならず、歩く事もままならない、子どもだった。

 子どもの濁り淀みきった血を、命を、吸い上げて、

 子どもを殺して、


(俺を生かし続けるのは。あいつだけだ。あいつ以外は、)




「悪い。ちっと、目を。瞑って。いてくれ。や」


 ひたと、琉偉に瞳を向け続けていた紫宙は赤い血の涙を流しながら、乞うた。

 本当は幌馬車から飛び降りてから琉偉の視界に入らぬところで、嗅覚が及ばぬところで実行に移した方がいいのは重々承知しているが、その時間が惜しい。

 一刻も早く、




『ねえ。お兄さん。ぼくを。生かし。続けて。よ。苦しいって。泣き叫んでも。いい。けど。どんなに。みっとも、ない。姿を。見せても。いいけど』






 しぬのだけはぜったいにゆるさない。






(悪い。わるい。名も知らない子ども。性別も分からない子ども。俺は、)











(2025.4.17)



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