人鳥温泉街の用心棒

高橋志歩

人鳥温泉街の用心棒

 第3秘書は、ポトポトと軽い音を響かせながら人鳥温泉街の中央通りを小型2輪車で走っていた。運転席の籠の中のマカロンを入れた袋がカサカサと音をたてる。

 もちろんヘルメットはきちんと着用し交通法規も守っている。決まり事を遵守しないと全宇宙征服連盟日本支部のエーテル所長の秘書は務まらない。

 第3秘書は中央通りを曲がり、すぐに見えてきた「雲雲温泉館」の大きな門をくぐり、駐車場に小型2輪車をきちんと駐車した。それからマカロンの袋を手に持って、建物の中に入っていった。


 しばらくして、第3秘書は「雲雲温泉館」の庭の奥にある人鳥温泉街の人気マスコットペンギン、大福の小屋に近づいた。少し離れた場所から声をかける。

「大福君、おはよう。今番頭さんに聞いたけどだいぶ具合が良くなったらしいね。そばに行っていいかな?」

 小屋の入り口から少しだけペンギンのくちばしが見えて、すぐに引っ込んだ。拒否の声は聞こえないので、第3秘書は注意しながら小屋に近づき、しゃがんでそっと中を覗き込んだ。

 小屋の中に特別に置いてもらった人間用の布団の上で、ペンギンの大福は元気の無い様子で座り込んでいた。右足には包帯が巻かれ、お腹にも塗り薬の後が見える。いつも元気に歩き回る大福の姿を思い出して、第3秘書は胸が痛んだ。

「羽の傷は見えなくなったね。安心した。これね、洋菓子屋の店長さんからお見舞いを預かってきたの。大福君の好物のマカロン。店長さんが大福君のために作った特製品だって。後で食べてね」

 大福は顔を上げると羽を少しだけ動かして見せた。


 第3秘書は、事務所の所長室でエーテル所長に怒っていた。

「本当に腹が立ちます。人懐こくて無抵抗のペンギンを傷つけるなんて、最低の人間たちです、本当に!」

 しかめ面のエーテル所長もコーヒーを飲みながら同意した。

「最低の人間たちというのには賛成だ。専門医の話では、傷はもうほとんど治っているそうだが、大福が小屋から出るのを嫌がっているというのがなあ」

「無理ありませんよ。暴行を受けたんですから怯えて当然です。しかも連中は面白半分、笑いながら大福君を傷つけたんですよ! 私が代わりに蹴り飛ばしてやりたいです」

「どのような事情があっても、暴力は絶対にいかん。が、気持ちはわかる」

 エーテル所長は溜息をついた。やがて第3秘書はまだ怒りつつ自分の席につき、仕事を始めた。

 今朝は会議があったので、大福の様子を見に行くのは第3秘書に任せたのだが、やはりまだ引き籠りの状態か。これからマスコットペンギンの大福には大いに活躍してもらわないといけない。しかし今の大福では……エーテル所長は再び溜息をついた。


 今から2週間前の夕刻。人鳥温泉街の中央部から少し離れた噴水広場で、ペンギンの大福は集団暴行を受けて、大怪我をした。

 いわゆるチンピラ集団の仕業で、最近マスコミなどで紹介されて人気の出てきた大福を囲んでからかい、無理に抱き上げようとしたので当然大福は抵抗した。そして一人が羽で顔を叩かれカッとなり大福を殴った。そこからは集団での殴る蹴るの暴行だった。

 ぐったりと動かなくなった大福を噴水に放り込み、犯人たちは逃走した。

 ちょうどその時、中央通りで小規模だが提灯パレードが行われていたせいで、温泉街の住民はそちらに注目していた。

 事態を察知した監視カメラの鋭い警告音が鳴り響き、警備ドローンが噴水広場に飛んだが、肝心の人間たちの対応は一瞬遅れた。

 その隙をついて、暴行犯たちは行方をくらまし、まだ捕まっていない。

 監視カメラに映像は記録されていたし、温泉街の自治会は警察に被害届を出した。マスコミにもかなり大きく報道されたのに……。


 大福は大怪我だったが、幸い命に別状はなく隣の市の大きな動物病院で十分な治療を受けた。だが人間に暴力を受けた恐怖で怯え、自分の小屋から出てこない状態が続いている。


 本当にどうしてやればいいんだろう、とエーテル所長は悩んでいた。例えペンギンでも無理はさせたくない。どこか他の場所、設備のしっかりした動物園で療養させてやろうか……。

 悩みながら書類を読んでいたエーテル所長の、仕事机の隅に置かれた小さな電話機が鳴った。この秘密電話の番号を知っている人間は、組織幹部などごく少数しかいない。しかしこんな時期に? エーテル所長は一瞬考えてから、受話器を取った。


「もしもし」

「お邪魔します。俺ですよ」

 エーテル所長はしかめ面になった。諜報員の声だ。

「君か。どうやってこの番号を知った?」

「まあ仕事柄、色々と。今ちょっといいですか?」

「構わないが、手短にお願いする」

「さっき知ったんですが、ペンギンの大福が怪我をさせられた件です。奴の具合はどうですか?」

「怪我はほぼ治ったんだが、集団暴行を受けたせいで人間が怖くなったようでな。ずっと小屋に引き籠っているよ」

 諜報員はしばらく黙ってから呟いた。

「そうか。無理もないですね、可哀想に」

「全くだ。一応自治会では、動物園への転地療養なども考えているが……」

「いいですね。十分に考慮してやってください。で、犯人連中はまだ捕まっていない」

「そうだ。もちろん警察が捜査はしているが、やはり被害者がペンギンだからな」

 くすくすと笑い声が聞こえてきた。

「警察は優秀ですが、勝手が違うでしょうね。わかりました。では」

 カチャリと音がして電話は切れ、エーテル所長も受話器を置いた。さっき大福の怪我の件を知ったとは、諜報員は今までどんな所にいたんだろうと、エーテル所長は不思議に思った。


 その日の深夜。ペンギンの大福は暗い小屋の中で、眠れずに座り込んでいた。

 大福は決して人間が嫌いになってはいなかった。

 ずっと人間と仲良くやってきたし、人鳥温泉街に引き取られてからは人間と一緒に頑張って来た。大怪我をしてからだって、皆心配して親切にしてくれている。

 ただ、暴行を受けた時の恐怖と衝撃で、今までのように小屋から出て温泉街へ行くのが怖くてたまらない。ずっとこの状態でいい筈がない。でも大福はただじっとしている事しか出来なかった。


 その時、小屋の外で静かな足音がした。こんな真っ暗になってから? 大福が思わず緊張した時、馴染のある声がした。

「よお大福、具合はどうだ?」

 諜報員だ! ここしばらく会っていなかったので、大福は嬉しくなって小屋から顔を出した。少し離れた場所に、庭の外灯に照らされ、しゃがみ込んだ諜報員の姿が見えた。今夜はスーツの上に短いコートを羽織っている。


「仕事でちょっと遠くに行ってたんでな、見舞いに来るのが遅くなった。大変な目にあったな」

 大福は久しぶりに小屋から出て、諜報員に近づき羽をパタパタさせた。包帯を巻いた足はもう痛まないけど、諜報員がじっと見ているのがわかった。

「大福、くれぐれも無理はするなよ。お前が馬鹿な人間のために辛抱をする必要は無い。人間なんざ、どいつもこいつもほっとけばいいのさ」

 諜報員も人間なのにひどい事を言うな、と大福は不思議に思った。でも自分を見ている諜報員の目は優しい。

「例の連中は、俺がきっちり締め上げるから安心しろ。そしてこれからは、もっとお前を守るように動く事にする。いい機会だ。そうだな、いずれは大福の奥さんも一緒に守る」

 大福は嬉しくなって羽をパタパタさせた。諜報員が守ってくれるなら、また外に出られるようになるかもしれない。

 諜報員はしばらく話をしてから、お見舞いのプチシュークリームを置いて立ち去った。そしてその晩、大福は久しぶりにぐっすり眠った。


 数日後。エーテル所長は、ペンギンの大福を暴行した連中が全員捕まったという連絡を受けた。


 首都警察署の玄関に大型車が乗り付け、縛り上げられた状態のチンピラ連中を車内から蹴り落とすと、すぐに走り去った。

 どうやらその地域の「顔役」の指示で、「屈強な男たち」が動いたらしいという噂も同時に流れてきた。

 どうせ諜報員が裏で何か糸を引いたんだろう、彼はとにかく言葉で他人を動かすのが上手いからな、とエーテル所長はコーヒーを飲みながら考えた。


 その頃ペンギンの大福は、ゆっくりと明るい庭を散歩していた。足の包帯も取れたし、もう少ししたら前のように温泉街を歩き回れるようになるだろう。


 人鳥温泉街はもうすぐ爽やかな初夏の季節を迎える。

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