第8話 “ただいま”のない日
その日は、朝からエルナが外出していた。
隣町の診療所まで薬草を届けに行く日で、朝早くから荷物をまとめて、馬車で出かけて行ったのだ。
「ティオ、お留守番お願いね。今日はダグラスが一緒にいてくれるから」
「……うん、気をつけてね」
そう言って見送ったのだけれど――
夕方になっても、日が暮れても、エルナは帰ってこなかった。
「……遅いね」
薪をくべながら、ダグラスがつぶやく。
彼が落ち着かない様子を見せるのは、ちょっと珍しい。
「道、わかんなくなったのかな……?」
「いや、エルナはあの道を何度も行き来してる。帰りが遅れてるってことは、何かがあったってことだ」
その言葉に、胸の奥がざわつく。
今までは、どんなに遠くに行っても「ただいま」って言ってくれた。
それが今日は聞こえない。それだけで、不安が胸いっぱいに広がっていく。
「……ダグラス、探しに行こうよ」
「ティオ……」
「ぼく、エルナが帰ってこないとイヤだ」
気がつけば、涙がにじんでいた。
この世界に来て、何度も泣いてきたけど――今回の涙はちょっと違う。
ただの寂しさじゃない。心のどこかが、ぐらりと揺れている。
ダグラスは俺の頭に手を乗せ、ゆっくりと頷いた。
「よし、行こう。でも寒いからな、ちゃんとマフラー巻いて、手袋してくんだぞ」
「うん!」
*
雪こそ降っていなかったけど、夜の道は冷たく、そして静かだった。
エルナの乗っていた馬車の轍(わだち)をたどって、ランタンを手に森の外れまで歩く。
「……あっ、あれ……!」
遠く、道の脇に止まった馬車を見つけた。
車輪が片方、深くぬかるみに埋まっている。
馬は無事だったけれど、運転手が「少し怪我をして動けない」と言っていて、エルナはその看病で遅れていたのだった。
「ティオ!? ダグラス!? なんでここに……!」
エルナが心底驚いたように駆け寄ってきた。
「心配で……ぼく、待ってたけど、ただいまって聞こえなくて……」
涙交じりで言うと、エルナはぎゅっと抱きしめてくれた。
「ごめんね、ごめんね、ティオ……。でも、来てくれてありがとう。あなたの“ただいま”が聞きたかったのは、わたしのほうだったわ」
その夜、3人は凍えた手を握り合いながら、雪が降り始める空を見上げた。
寒さの中でも、心だけはぽかぽかしていた。
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