第8話 “ただいま”のない日

 その日は、朝からエルナが外出していた。

 隣町の診療所まで薬草を届けに行く日で、朝早くから荷物をまとめて、馬車で出かけて行ったのだ。


「ティオ、お留守番お願いね。今日はダグラスが一緒にいてくれるから」


「……うん、気をつけてね」


 そう言って見送ったのだけれど――

 夕方になっても、日が暮れても、エルナは帰ってこなかった。


「……遅いね」


 薪をくべながら、ダグラスがつぶやく。

 彼が落ち着かない様子を見せるのは、ちょっと珍しい。


「道、わかんなくなったのかな……?」


「いや、エルナはあの道を何度も行き来してる。帰りが遅れてるってことは、何かがあったってことだ」


 その言葉に、胸の奥がざわつく。


 今までは、どんなに遠くに行っても「ただいま」って言ってくれた。

 それが今日は聞こえない。それだけで、不安が胸いっぱいに広がっていく。


「……ダグラス、探しに行こうよ」


「ティオ……」


「ぼく、エルナが帰ってこないとイヤだ」


 気がつけば、涙がにじんでいた。

 この世界に来て、何度も泣いてきたけど――今回の涙はちょっと違う。

 ただの寂しさじゃない。心のどこかが、ぐらりと揺れている。


 ダグラスは俺の頭に手を乗せ、ゆっくりと頷いた。


「よし、行こう。でも寒いからな、ちゃんとマフラー巻いて、手袋してくんだぞ」


「うん!」



 雪こそ降っていなかったけど、夜の道は冷たく、そして静かだった。


 エルナの乗っていた馬車の轍(わだち)をたどって、ランタンを手に森の外れまで歩く。


「……あっ、あれ……!」


 遠く、道の脇に止まった馬車を見つけた。

 車輪が片方、深くぬかるみに埋まっている。


 馬は無事だったけれど、運転手が「少し怪我をして動けない」と言っていて、エルナはその看病で遅れていたのだった。


「ティオ!? ダグラス!? なんでここに……!」


 エルナが心底驚いたように駆け寄ってきた。


「心配で……ぼく、待ってたけど、ただいまって聞こえなくて……」


 涙交じりで言うと、エルナはぎゅっと抱きしめてくれた。


「ごめんね、ごめんね、ティオ……。でも、来てくれてありがとう。あなたの“ただいま”が聞きたかったのは、わたしのほうだったわ」


 その夜、3人は凍えた手を握り合いながら、雪が降り始める空を見上げた。


 寒さの中でも、心だけはぽかぽかしていた。

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