【外伝②】茜色の華

 「……」


 目の前に置かれた名簿に、さっと目を通す。

 書かれているのは、4人の少女の名前。そのうちの1つは、私――西島利由の名前が記されている。


「夏茂葉、原多勇佳……」


 聞いたことのない名前だ。

 一般人もスカウトの対象だという話を聞いていたから、その伝手で選ばれた子の可能性が高い。

 一般人か……。

 ついこの間まではそっち側だったように感じてしまうけど、私がこの業界に飛び込んでから、もう6年経つ。

 長いようで短かったここまでの期間。色々なことがあったけど、私に良くも悪くも最も大きい影響を与えたのは、おそらく彼女だろう。

 だからこそ私は、今新しい一歩を踏み出そうとしているのだから。


「え……――」


 ふと、視界に入ってきた名前。


「華野、菫……」


 さっきまでの2人とは違う。

 冗談でも聞き覚えがないなんて言えない。因縁の相手と言っても過言ではない、古い付き合いの相手。


「そ、っか……」

 

 彼女も、新しい仲間になるのか。

 新しい情報が、頭の中で現実として落とし込まれていく。

 菫。彼女と今後、一緒にやっていくんだとしたら……――


「……ふっ」


 そんな面白いことが、あっていいのだろうか。




 私が芸能界に飛び込んだのは、自分の意志じゃない。


「利由。もし良かったら、次私が担当する番組に出演してみない?」

「え――」

 

 母にそう勧められたのは、私が小学校に入学したばかりの頃だった。

 私の両親は、国内でもトップクラスに名の知れているテレビ局でプロデュース業をしているやり手だった。当然、芸能界に多くのコネクションを持っている。私も、2人に連れられて何度か現場の見学に行ったことがあったが、一目で分かるぐらい華やかな世界だった。

 しかし同時に、自分には無縁な世界だとも思っていたのだ。決して不細工だとは思わないけど、目を引くような個性があるわけではない顔。特別明るい性格をしているわけでもなく、人混みに紛れれば埋もれてしまうような、どこにでもいる女の子。それが、私の自己評価だった。

 でも、母は違った。やり手である母は、持ち前の行動力と能天気さで、半ば強引に私のことを自分の業界に引きずり込んだのだ。


「今度私が担当する番組がね、小学生以下の女の子を集めて色んな企画をやってもらう番組なのよ。でも、あまりいい感じの女の子が見つからなくて困ってて。ほら、お母さんを助けると思って、ちょっとだけ出演してみない?」

「い、いい。わたし、テレビにでたいとかおもわないし……」

「そんなこと言わないでよぉ。絶対楽しいから!」


 今思えば、テレビどころかちょっとした撮影の経験さえない私のことをどうして番組出演させようと思ったのか、その神経が疑わしいが、まぁ余程切羽詰まっていたのだろう。

 今までも何度かふざけてこういった勧誘を受けたことがあり、その度にやんわり断って出演を回避していたのだが、この日の母はなかなかにしつこかった。


「お願いっ! この番組が成功すれば、今目をつけてる事務所と強力な繋がりを持てそうなの!! って言われても、利由ちゃんには分からないかもだけど……。でも、とにかく、これは絶対に逃せないビッグチャンスだから!!」

「はぁ……」

 

 まだ小学校に入学して間もない娘を呆れさせるなんて、とんだ母親だと思うが、それでも私は、この無鉄砲で一生懸命な母のことを、内心尊敬していた。いつもだったら速攻逃げていたが、この日だけは、私は彼女の進言に折れたのだ。


「……わかった。でてもいいよ」

「え……。ほ、ほんとに? 嘘じゃないっ?」

「うそじゃないよ」


 実の娘の奥ゆかしい気遣いを疑われたことに若干の怒りを覚えたが、そんな私のささやかな感情は、その直後の母の喜びの声によってかき消された。

 その声があまりにも大きかったから、近所から苦情が飛んでくるんじゃないかと怯えたほどだ。


「ありがとう利由ちゃん、この恩は一生忘れないから!!! 早速だけど、今度打ち合わせがあってね……――」


 浮足立っている母が、携帯を取り出しながら詳しい話を始める。

 その声を聞きながら私は、母をここまで夢中にさせる芸能界という場所がどういう舞台なのか、少しだけ興味を抱き始めていた。




 それから数日後。

 私は、初めて出演者側としてテレビ局に足を運んでいた。


「緊張してる?」

「べつに……」


 スーツを着こなしている母に連れられ、細く長い廊下を歩いて進んでいく。

 今までは、撮影現場の見学でしか立ち入ったことがなかったから、こういうオフィス的な裏のスペースに足を踏み入れるのは、本当に初めてのことだった。

 普通だったらドキドキするのかもしれないが、不思議とそういった感慨はなく、私は淡々と足を前に進めていた。


「……ここだよ」


 ある一室の前で、母が足を止める。

 コンコン、とノックをして、母が扉を開けた。


「ほら、入って」

「うん……」


 頷いて部屋の中に入る。

 並べられた4つの長机。まだそこまでの人数は集まっていないようだが……――


「……おっそい」


 そんな私の思考を、部屋に響く高い声が両断した。


「いつまであたしのことをまたせんの? あたしとかなとは、もう30分いじょうまえについてるんだけど」

「ちょっと菫ちゃん、そんなこと言わないでよ……」


 部屋の入口にいる私達と向かい合うようにして席に着いているのは、私とそこまで背丈の変わらない幼い少女だった。

 大人用の椅子に腰かけて立派に足を組み、こちらを睨みつけている。

 その表情には、幼い女の子が放っているとは思えないぐらいの覇気があり――美しいその姿に、私は一瞬目を奪われた。


「ちょっと、聞いてるの?」

「えっ、は、はい」

 

 彼女に声をかけられて、思わず上擦った声を出してしまう。


「ふん。だれだか知らないけど、はやくじゅんびしてよね。このあともしごとがあるのに」

「しごと……」

「ごめんなさいね、華野ちゃん。すぐに準備するから、ちょっとだけ待っててくれる?」

「あああ、そんな風におっしゃらないでください西島さん、元はと言えばうちの子が――」


 どこまでも高飛車な態度に圧倒される私と、それに対して謝る母に、さらにそれに対して慌てる男性――なんというか、すごくシュールな光景だ。

 母にそっと目配せをされ、すごすごと端の席に着くと、件の少女は、「……はぁ」とため息を吐き、私からサッと目を逸らした。

 ……きれいだなぁ……。

 気がつけば、彼女の麗しい横顔に見とれていた。

 今まで私は、『かわいい』というのは理解できても、『綺麗』とか『美しい』とか、そういったものはあまり理解できていなかった。でも、この時出会った少女のことは、『かわいい』とはどうしても思えなかったのだ。もっと高貴で、毅然としてて、俗っぽさのない完成された容姿。

 後から、彼女がすでに芸能事務所に所属済みのモデルだと知り、妙に納得したのを覚えている。

 なるほど、あれだけ素敵な少女なら、確かに芸能界でもさぞ華々しい活躍をしているんだろう。

 今思えば、この時の彼女の発言は、幼い少女が放つにはあまりにも生意気なものであり、それに振り回されている大人は何とも気の毒なものだったのだが、当時の私は彼女の美しさに完全に魅了されていて、先程自分が浴びせかけられた言葉も完全に忘れ去っていた。

 華野菫。私がこの業界で初めて出会った、同年代の少女である。




 そうして彼女と出会ったのが、私が小学1年生の頃。

 私より1つ年上の彼女は、すでに芸能界でその存在感を放ち始めていた。

 結局、彼女と出演した番組は、私自身の大きな活躍のようなものはなく、しかしそこそこの視聴率を維持できたということでそれなりの成功を収めた。

 しかし、大事なのはそこではない。番組の擁立成功を祝した、ちょっとした会合が後日開かれたのだが、その際、私はスカウトを受けた。それも、華野菫が所属している事務所の、彼女のマネージャーに。


「この間の番組でのあなたの様子を見て、ぜひ入っていただきたいと思ったんです」

「わたしに、ですか?」

「はい。まだ幼いのに、受け答えもしっかりしていて、大人との関わり方を心得ているように見えます。今はまだ技術不足かもしれませんが、これからいくらでも伸びる余地があると思いますよ」


 私にはあまりピンとこなかったけど、彼の主張には熱がこもっていた。当然この話は母の耳にも入り、母はノリノリで私のことを事務所に推した。


Lienリアンは、まだまだ所属タレントが少ないけど、これからきっと勢いをつけてくると思うの。今入っておけば、上手くいけば事務所の看板になれる可能性だってある! 利由、これはチャンスよ!!」


 本人以上にノリノリな母に気圧されつつも、断ることもできず、そのまま流れで私は入所することになる。

 後から知ったことだが、Lienリアンはモデルを養成する事務所だったらしい。入所後、まず自分が何をすればいいのか、右も左も分からずにいたが、真っ先にやらされたのは柔軟とポージングの練習だった。


「和泉さんからスカウトされたそうね。これから、一緒に頑張っていきましょうね」


 私のマネージャーは、若いながらも野心的で、指導にとても熱心な人だ。当時から今までずっとお世話になっていて、大切なパートナー。

 モデルのもの字も知らない私に、彼女は丁寧に業界のことを教えてくれた。


「利由ちゃんの1個上の先輩にね、華野菫ちゃんって子がいるの。まだ幼いけど、子供のモデルとしてすでに名前が売れ始めてるのよ。年も近いから、まずは菫ちゃんを目標にして頑張ってみたらいいんじゃないかな」


 マネージャーにはそんな風に言われていたけど、元より私は彼女を追うと決めていた。

 別に、彼女のことを敵視していたわけではない。でも、彼女に影ながら憧れていた身としては、同じ事務所のモデルとして活動できるうちに、少しでも彼女に近づきたいという思いがあった。

 それをマネージャーに伝えると、彼女は心底嬉しそうに顔を綻ばせて、


「そっか、やる気があるのはいいことだね! じゃあ、私もいっぱいお仕事とってこれるように頑張るから、利由ちゃんもレッスン頑張るんだよ?」


と言って、私に華麗にウインクをきめてみせた。

 彼女の行動力は凄まじいもので、その日を境に、私のスケジュールは怒涛の勢いで埋まり始めた。その中にはもちろん仕事もあったが、まだ所属から日の浅いモデルに早々仕事は来ない。基本的には事務所内で行われるレッスンが主で、私はそれをこなすのに精一杯だった。

 ……ある日、レッスンを終えてスタジオを出ると、マネージャーに手招きされた。


「利由ちゃん、お疲れ様。ちょっとこっち来てくれる?」


 彼女についていき、空いている小さな会議室に入る。彼女は私に席に着くよう促すと、懐から1冊の雑誌を取り出した。


「これ、見てみて」


 彼女が広げたのは、雑誌のある特集ページだった。その中心――華やいだ笑顔を浮かべる少女に、私は目を奪われた。


「利由ちゃん、菫ちゃんのこと好きでしょ? すごく良い記事が見つかったから、これは見せなきゃ!って思って」

 

 マネージャーが何かを話しているが、私の耳にはあまり入ってこなかった。

 やっぱり、すごく綺麗……。

 自分の魅力の見せ方を分かっている人の振る舞いだ、と私は感じた。さすがに小学生に色気もへったくれもないだろうが、大人になったらさぞ素敵な女性になるんだろうと感じさせるような雰囲気がある。やっぱり、彼女に憧れの気持ちを抱いたのは間違いじゃなかったと、その記事は私に改めて確信させた。

 でも……。

 ふと思う。それに比べて、自分はどうなのかと。

 私だって、人並み以上にレッスンを頑張っているし、仕事だってちょっとずつ増えてきている。マネージャーもお母さんも、そんな私のことを心から応援し、支えてくれている。年齢というハンデを埋められるぐらいには、私は頑張っているという自負が当時はあった。

 でも、現実は無情だ。どれだけレッスンを頑張っても、元々事務所に所属していた彼女に追いつくことは簡単じゃない。ここまで事務所でやってきて、華野菫のレッスン参加率は私より明らかに悪かったけど、キャリアという意味では彼女の方が圧倒的に輝かしかった。

 この雑誌だって、それなりに名の知れているファッション誌のはずだ。大人でも載るのが難しい雑誌に、彼女はいとも簡単に自分の姿を曝け出している。

 悔しい……。

 その時初めて、私の中にそんな感情が浮かんだ。頑張っても頑張っても、なかなか彼女に追いつくことができないというジレンマ。それぐらい彼女との差は圧倒的で、モデルという舞台では私は輝けないということを悟らされた。

 それでも、ここの事務所にいる限り、私は頑張らなきゃいけない……――。

 自分で言うのもなんだが、私は当時から非常に責任感が強かった。せっかく入れてもらった事務所なのだから、在籍している以上ちゃんと成果を残さないといけないと思っていたのだ。辞めるなんて言語道断だった。

 たとえ追いつけなくても、せめて、自分にできることを。その思いで、私はその後もひたすらレッスンに打ち込んだ。

 ……そんな中、私に転機が訪れる。




「ドラマ……ですか?」

「そう! 良かったら、挑戦してみない?」


 マネージャーにそんな風に声をかけられたのは、私が小学3年生の時だった。

 モデルとしての活動はそれなりに安定していたけれど、決して花形とは言えない。他の人と比較しても、同等か一歩劣る、私のこの時点でのキャリアはそんな感じだった。

 そんな中、突然降って来たチャンス。


「利由ちゃん、カメラマンさんの要望に応えるの、すごく得意でしょ? もしかしたら、こういう自由な形式の撮影じゃなくて、型にはまったお芝居の方が映えるんじゃないかって思って。ちょうど代役を探している番組があったから、そこに捻じ込んでもらっちゃった」

「そう、なんですか……」


 ドラマ。

 あまり見たことはないけど、俳優さん達がカメラの前で様々な姿を見せている現場の様子は、何度か見かけたことがある。

 私達の事務所には、俳優業をメインに活動しているタレントさんは今のところいなかったけど、今回のように誰かの代役という形で番組出演を果たしている人は何人かいた。


「でも、わたしより、華野さんの方が……」

「菫ちゃん? ……んー。それはどうかなぁ……。演技の技術は分からないけど、あの子はモデルのお仕事で手一杯だと思うから、この話は回さなくていいかなって、上が判断しちゃったんだよね。話題性って意味では菫ちゃんの方が適任だけど、今回はあくまで代役だから……」


 マネージャーの言葉に、悪気はないんだろうけど、胸がチクリと痛む。

 ……それはつまり、彼女の方がモデルとして優秀だから、新しい仕事に手を出さずともそのままやっていけるという意味なのだろうか。

 さらに言うなら、華野菫には代役などふさわしくないから、その仕事が私に回ってきたという意味なのだろうか。

 もちろん、そんな意図がマネージャーにないことは理解していた。でも、最近どんどん仕事の質を上げている彼女の姿を知っていた私には、どれもこれも穿った捉え方しかできなかったのだ。


「……分かりました。挑戦してみます」

「利由ちゃん……」

「絶対、成功させますから」


 負けたくなかった。

 これ以上、置いていかれたくなかった。


「……分かった。じゃあ、先方にそう伝えておくね。挑戦するのは大事だもん。一緒に頑張ろう!」


 マネージャーと手を取り合い、新しい世界へ足を踏み入れることを決める。

 そうして受けた、初めての撮影――結果的に私は、このドラマを契機に、モデル業から俳優業へ大きくシフトチェンジすることとなるのだ。




 初めて出演したドラマ。

 私に与えられたのは、主人公とその妻と一緒に暮らしている娘の役だった。

 代役と聞いていたから、てっきりそんな大きい役ではないのかと思っていたが、これがなんとそれなりに作中で活躍する人物だったのだから驚きだ。

 この女の子の役だが、作中で、実は主人公と血が繋がっていないということが明らかになる。では彼女は一体誰の娘なのか。その謎を解くため、主人公やその周りの人物達が色々と調査をしていくというストーリーだ。

 当然物語のキーパーソンなので、セリフも出演回数もそれなりに多い。役の年齢的に推理パートでの出演はほとんどなかったが、基本的には主人公の周りにいたため、必然カメラに映る回数も多かった。

 歩行、表情、仕草。全ての動作が、カメラによって切り取られ、物語の一部として溜められていく。

 モデルとしての撮影は、一瞬でも完璧な姿を作ることができればそれでいい。しかし、ドラマとなると話は別だ。ここに残るのは、画像ではなく動画。流動的に完璧な姿を維持し続けなければならない。

 しかし、個人的に良いなと思ったのは、セリフで大まかな流れを捉えやすい点だ。モデルとして撮影をしている時は、ポーズを指定されないことの方が多く、自分の発想力との勝負のような部分があり、それが重荷に感じることが多かった。それに比べると、ドラマの撮影は、場面ごとに求められている構図が明確で分かりやすい。

 元々本を読むのが好きだったということもあり、台本を読むことも苦ではなかったため、撮影は一切の滞りなく進んだ。

 そうしてオンエアの日になり――初出演のドラマは、大いにヒットしてお茶の間を沸かせることとなる。

 それは主人公役だった人気俳優の助力も大いにあったのだが、それ以上に、子役として私が果たした役割が大きかったという面で話題になっていた。私の素人演技は、どうやら私の想像以上に出来が良かったらしい。


「利由ちゃん、こんなお仕事が来たよ!」


 マネージャーが勇み足で私の元に新しい仕事の知らせを持ってくる時、私はどこか誇らしかった。

 モデルとしてはあまり役に立たなかったポーカーフェイスも、役者としてカメラの前に立つ時は、ミステリアスな子供として映る。台本に忠実に演じれば、自然と良い流れが出来上がり、1つの映像として完成された状態になっていく。

 少しずつ演技の仕事が増えていき、レッスンの内容も、モデル業より俳優業に比重を置いたものへと変わっていって……気がつけば私は事務所の中で、『モデルの西島利由』ではなく、『子役の西島利由』として見られるようになっていた。

 私自身も、演技の魅力にだんだん浸かっていくようになり、それに比例して実力もついていき、気がついた時には、事務所から推される若手のタレントとして名を上げていたのだった。




「利由ちゃん、今日の撮影もお疲れ様」


 私が完全に俳優業に転向してから、2年が経った。

 小学5年生の冬。もうすぐ小学校も卒業だが、いまいち実感が湧かない、そんな時期。

 ドラマの撮影を終えて、着替えてからスタジオの外に出ると、マネージャーが私のことを出迎えてくれた。


「今日の撮影はどうだった? 上手くいった?」

「はい、それなりには」


 今日はこの後、マネージャーと事務所に戻って打ち合わせをする手筈になっている。手近なタクシーを捕まえて乗り込むと、私は小さく伸びをした。


「ふふ、ちょっと疲れてる?」

「えぇ……。まぁ」

「無理もないと思うよ。学校に行きながら仕事もしてるんだもん。私じゃ絶対に真似できないや」

「ふふ、そういうものなんですかね」


 マネージャーはこんな風に言っているけど、私はこの人が私のためにどれだけ頑張ってくれているかをよく知っている。私のような現役の学生ではないとはいえ、その苦労はきっと他の人には理解することができないだろう。

 彼女の謙虚さに救われる反面、少し申し訳なさも感じてしまう。


「……まぁでも、順調そうで良かったよ。なんだか安心した」

「順調そう、ですか」

「うん。最近の利由ちゃん、すごく生き生きとしてるから。モデルよりも、今のお仕事の方が性に合ってたのかなぁーって」


 それは、本当にそうだと思う。台本を読むのはすごく楽しいし、未知の人物像を自分に投影するのはなおのこと楽しい。役者というのは天職なんじゃないか、と最近はより一層強く感じている。

 でも、その反面、自分が何を目指しているのか、若干分からなくなってきていた。モデルとして仕事をしていた頃は、同じ事務所内に目標とする存在がいた。でも、今の私には目標がない。ただ楽しいから、と感情に従って動いているだけだ。それが悪いことだとは思っていないが、どことなく張り合いに欠けているとはずっと思っていた。


「きっとこれから、利由ちゃんはもっと伸びるよ。これからも、一緒に色んなことに挑戦していこうね」

「……はい」


 マネージャーの嬉しい言葉に、私は小さく頷く。

 ……挑戦する、か。

 確かに、新しいことに取り組むのは良いことかもしれないけど……でも、これ以上仕事の幅を増やして、じゃあ私の本当の居場所はどこなんだろうか。最近じゃ、モデルとしての仕事なんて一切私には来ないのだ。

 そんな暗い考えはあえて口に出さずに、私達はそのままゆったりとした運転のタクシーに身を任せ続けた。




「え……。アイドル?」

「うん。そういう話が、事務所の中であがってきてるの」


 事務所に到着し、予約していた会議室に入った直後、マネージャーがそんな風に私に話を持ち掛けてきた。


「ちょ……ちょっと待ってください。役者の次はアイドルって、そんな、いくら何でも……」

「もちろん無理にとは言わないよ。ただ、今の若手で勢いのある子達を集めて、別の業界に進出させようっていうのが、事務所全体の新しい考え方なの。その先駆者として、早い時期から俳優業界に顔を出していた利由ちゃんに白羽の矢が立ったってわけ」

「……」


 突然の提案。

 事務所から信頼されていることは嬉しいが、それにしても話の方向性が突飛すぎる。


「アイドル……って、ソロでデビューするってことですか?」

「ううん。事務所から数名、スカウトされた子数名でユニットを組もうって方向性みたい。この話が来てるのはまだ利由ちゃんだけだと思うけど、順次決まっていくんじゃないかな」

「……」


 もっと、別の内容の打ち合わせだと思っていたのに。

 想像以上にスケールの大きい話に、面食らってしまう。

 そもそも、いきなりアイドルだなんて、そんなことが私にできるとでも思っているのだろうか。

 若手で勢いのある……。いや、確かに若いかもしれないけど、それは幼いの間違いでは……?

 色んな考えが、取り留めもなく頭の中を巡っていく。


「ひとまず、今日の話は一旦持ち帰ってもらって、ゆっくり考えてみてくれるかな。答えは急がないから、じっくり検討してもらって」

「は、はい……」

 

 マネージャーに見送られ、ぼんやりしながら廊下を歩いて行く。


「……」

 

 今まで、私はマネージャーに大いに頼ってきた。

 言われたことにはちゃんと従ってきたし、持ってきてくれた仕事には真摯に向き合ってきた。マネージャーもそれを喜んでくれていた。私に役者としての道を示してくれたのも、元を正せばマネージャーだ。いつも私の背中を押して、新しい世界を見せてくれる存在。

 でも……。

 当時は、本当にまだ幼かった。自分でまともに仕事の善悪が判断できる年ではなかったのだ。だから、何の疑問も抱かずに彼女に従うことができた。

 でも、今もまだ子供とはいえ、当時より私はこの業界に詳しくなったつもりだ。別に、アイドルという職業が嫌というわけではない。ただ、色んなことに手を出しすぎて、自分の方向性が分からなくなってしまうことが怖い。

 どうしたらいいんだろう……。

 夕日が差し込む廊下を、ただただ歩いて行く。事務所の出口に向かっているつもりだったが、あまりにぼーっとしていたためか、レッスン室の方に足が向かってしまっていたようだった。

 ふと、近くにあった部屋の扉が開き、そこから人が出てきた。


「……あ」

「あ」

 

 思いがけず、出てきた人物と目が合ってしまう。強い意志を宿した瞳、珍しく汗ばんだ肌。艶のある綺麗な髪。

 しばらく顔を見ていなかったが、そこに立っていたのは、紛れもなく華野菫その人だった。


「あんた、確か……西島利由、だっけ?」

「!」

 

 彼女に名前を覚えていてもらえていることに喜びを感じながらも、彼女と相対することに必要以上に緊張してしまう。まさか、こんな形でまた話すことになるなんて。

 彼女と直接言葉を交わしたのは、初めてテレビに出演したあの時以来だ。レッスンなんかで顔を合わせることはあったけど、会話をしたことはなかった。最近ではレッスンの内容が変わってしまったため、顔を見ることすら減っていた。

 ずっと憧れだった人物が、成長した姿で目の前にいる。私は、おずおずと言葉を紡いだ。


「あ、え、えと……」

「あんたさ」

「……?」

「なんで、うちの事務所に入ったの?」


 ……突然浴びせられた質問に、頭の中が真っ白になる。


「な、なんでって……」

「あー、なんでっていうのはちょっと意地悪すぎたか。ごめん、あたしの聞き方が悪かったかも」


 マイペースなのは相変わらずのようだが、すぐに自省ができる辺り、以前から少しだけ性格が変わったようだ。困惑する私の前で、彼女は再び質問を投げかけてきた。


「どうして、モデルになろうと思ったの?」

「え……――」


 どうして……。

 考えたこともなかった問題に突然直面させられ、思考が完全にストップする。


「あーいや、別に責めてるとかじゃなくて。ただ、あたしには、あんまり仕事をしてる理由ってないからさ。他の人の考えを知りたくなっちゃって」

「は、はぁ……」

「西島ちゃんって、今は役者業の方で頑張ってるわけでしょ? うちの事務所に入ってから、あんたが仕事をしてる様子はちょいちょい見かけてたけど、今の方が楽しそうだからさ。だったら、どうして最初から役者目指さなかったのかなって、ちょっと興味が湧いて」

「っ……」


 正面からぶつけられた言葉に、息が詰まる。

 彼女の疑問は最もなものだ。本当に役者がやりたかったのなら、最初から目指せば良かっただけのこと。

 でも、当時の私は、そんな世界があることすら知らなかった。親に勧められて番組出演を果たし、和泉さんに勧められて事務所の所属を決め、マネージャーに勧められて転向をした。

 私の決断は、いつだって他人軸なのだ。


「わ、たしは……別に、自分の意志で決めているわけじゃない。いつも、周りの人に勧められて、それに従ってるだけで……」

「ふーん。……それ、辛くないの?」

「え?」

 

 彼女の思いがけない言葉に、私は目を見開いた。


「いやさ、あたしは、どちらかというと他人に合わせるの苦手だから。そういう風に人に従ってばかりなのって、疲れないのかなーって気になって」

「どう、なんだろう……」


 疲れたとは感じたことがないけど、自分の考えがよく分からなくなることはあったように思う。


「別に、自分が楽しいならいいと思うけどさ。でもそれって、自分が負うべき責任を、誰かに押し付けてることにならない?」

「え……?」

「これを決めたのは自分じゃなくて他人だから、困ったらその人の責任、っていう風に考えられちゃうわけでしょ? それは、あたしは好きじゃないなー」


 開けっぴろげな態度ですごいこと言うな、この人。

 私がぽかんとしていると、彼女は、「あ、ごめんごめん」と手を振って慌てて弁解してきた。


「思ったことをすぐ口に出しちゃうの、悪い癖なんだよねー。悪気はないんだけどさ。ただ、数少ない年の近い子だから、ついつい色々話したくなっちゃって」

「そっ…! そう……」


 どうしよう。

 正直そんなの全然フォローになってないよ、とか、結構失礼なことをずけずけ言うところは変わってないな、とか、言いたいことはいっぱいあるけど、でも、そんなことより、何より……!

 彼女が私のことを意識してくれていたという事実が、どうしようもなく嬉しい。

 私は、場違いにもそんなことを考えていた。


「……ちょっと、自分語りになっちゃうけど」

「……?」

「あたしね、すごいと思ってたんだ、西島ちゃんのこと。いつも努力してるしさ。いつの間にか色んな番組に出演するスーパー子役になっちゃってて、あぁなんか、遠い存在になっちゃったなぁって」


 彼女が、珍しくそんな弱々しい言葉を零す。

 私は彼女の語りを、ただ無言で聞き続けていた。


「それでもあたしは、自分を信じて頑張ってきた。だって、あたしはモデルだもん。かなと……あぁ、あたしのマネージャーね。あの人と一緒に、この世界の頂点に立ってやるんだー!って、その一心でやってきたわけよ」

「……」

「あたしがここまで頑張ってきたのは、もちろんあたし自身の力が1番だと思うけど……。でも、あんたの存在も大きかったんだよ。あたしの行けない場所で、あたしには絶対できないことやって、どんどん有名になっていって。それは、純粋にすごいなって思ってたから」

「ぁ……」

「あたしは、もっと色んな西島ちゃんのことを見てみたい。でも、それを決めるのは、西島ちゃん自身だと思うから。ま、お互い頑張っていこうねって、それだけ」


 彼女はすっきりしたとでも言いたげな表情で、そのままその場を去ろうとする。


「ちょ、ちょっと待ってっ!」

「?」


 思わず、彼女のことを呼び止めていた。

 言いたいことだけ言って、そのまま去っていくなんて……そんなの、ずるすぎる。


「……華野さんは……新しいことに、挑戦するのって……大事だと、思う?」

「挑戦? えー、むずいなぁ……」

 

 首を傾げる華野さん。しかし、すぐに彼女は私に目を合わせてきた。


「大事だとは思うよ。でも、自分の軸を崩すのはダメだと思う。何でもかんでも挑戦すりゃあいいってわけでもないだろうし」

「……」

「ちゃんと考えて、その上で自分がやりたいなって思ったことなら、やってみればいいんじゃない?」


 彼女が示したのは、あまりにも当たり前な、すごくシンプルな答え。

 でもそれは、私の心の中にスッと落ちた。


「……そう、ですか。……ありがとう、ございます」

「? ま、解決になったんならいいけど」

 

 不思議そうな表情を浮かべながら、彼女は去り際に一言残していった。


「あ、そうそう。1個しか変わらないんだから、敬語とか別にいいよ? そういうのめんどいし。んじゃまたねー」


 そのまま、足音と共に遠ざかっていく背中。

 自分で考える、か。

 確かに、今までの私に足りなかったのは、自分で考えて判断することだったのかもしれない。誰かに提示された道しか選んでこなかったこれまでの私。自分で道を選ぶとしたら、その先にはどんな未来があるのか。

 マネージャーから提案された時のことを思い出す。マネージャーはきっと、私のことを信頼して話を持ち掛けてくれた。できれば、その期待に応えたい。

 じゃあ、私が目指すべき道は……――

 頭の中が、少しずつクリアになっていく。華野さんになくて、私にあるもの。私だけが、目指せる道。

 今はまだ見つからないかもしれない。でも、いつかきっと見つける。私にしかない強み。私だから輝ける、私が立ちたいと思える舞台を。


 ――もし見つけられたら、その時が、私があなたを超える時。


 心の中で、決意が固まる。

 視界の中に、もう彼女の姿はない。

 それでも、まだそこに彼女の残像があるような気がして、私は小さく息を吐いた。

 彼女の背中を追いかけて、いつか追い越して。

 そんな関係で、いられますように……――。


 私の願いはこの時、ちゃんと天に届けられたらしい。

 私と彼女が、同じアイドルグループ内で再会を果たすのは、まだ少し後の話である。

 

 

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