8/31 19:53

≫≫特異対策室、叢雲むらくもつつじ

「かんぱーい!」

「乾杯。」

「……乾、杯。」

 仮名昏町かなぐれまちの1件が終わってからぎりぎり24時間も経っていないが、対策室では酒盛りをしていた。室長が経費で落とした美味しい日本酒で乾杯する。

「うっはー!染みるねぇー!」

陸上くがうえ先輩のテンションがやたら高い。この人は今日の朝1で対策室に結構ボロボロで戻ってきてさっきまで眠っていたのだが、俺が酒の栓を開けた途端に起きてきた。……図太い。

「おいかがみ、もう少しペース落とせ、直ぐ潰れるぞお前。」

「えぇー、良いじゃんせっかく美味しいんだから。」

「まぁまぁ、他にも色々あるので、そんな一気に飲まなくても。」

 俺が宥めると、先輩はにまりと笑った。何だかとても楽しそうだ。

「むらくもぉ、ほんとにありがとね。今回お前が居なかったらみんな死んでたよ。」

「それは確かにそうだな、私からも礼を言う。ありがとう。」

「い、いや……。最終的にはお2人の力じゃないですか。」

 普段そんなことを言わない2人の言葉で柄にも無く照れる。俺は日本酒を一気に流し込んだ。それを見た陸上先輩が嬉しそうにまた笑う。

「……雅空がくのことなんだがな。」

 室長がふと口を開いた。このタイミングでその話するんだこの人と思いつつも、顔を上げて室長を見る。

「ご家族に連絡したら、私物はこちらで処分して構わないそうだ。まぁだからお前ら、欲しい物あったら取っておいてくれ。」

「……わかりました。」

 一先ず返事をする。陸上先輩はつまみを咀嚼しながら黙っていた。室長は気まずそうに酒を啜っている。それからまた口を開いた。

「言っておくが、雅空が死んだのは誰のせいでもない。あいつが選んだ、あいつの意思だ。それを後悔したり、否定したりするのは私が許さない。」

 静かだけど、芯のある声だった。先輩が少し遅れて笑顔を作る。

「勿論、まぁじゃあ今日は雅空の分まで飲むよー。」

「はは、そうだな。」

「……お付き合いします。」


≫≫特異対策室隣接、仮眠室、扇崎舞せんざきまい

 眠れない。物凄い心臓がバクバクしている。

「……はぁ。」

 昨日の朝、鑑さんに言われるがまま走ってここまで来たは良いものの、全然気持ちが落ち着かなくてずっと泣いていた。叢雲さんにはとても迷惑をかけたと思う。ここに来て最初、私は月山つきやまさんの所在をずっと気にしていたのだが、さっきトイレを借りに行ったところ凄く不本意な形で嫌な事を聞いてしまった。

 どうやら月山さんはうたいに殺されたらしい。それを聞いたときもずっと泣いていた。本当に悪い事をしたと思った。なんであの人が死んじゃったんだろうってずっと悔いていたけど、ふと涙が止まってからは心が痛いだけで泣けなかった。よく考えたら泣くことが供養になるわけでは無いから、いつまでもめそめそしていたってしょうがない。

 けど1つだけ、ずっと引っかかることがあった。謡の事だ。

何だか、とても記憶がおぼろげになっている様な気がするのだ。謡の声や、謡と話していたことが全然思い出せない。覚えているのはあの琥珀色の目だけだ。それが凄く怖い。

  こんこんこん

 仮眠室の扉がノックされた。私はベッドから起き上がって入口に近づく。そして扉を内側から押し開けた。

「……やぁ。」

 そこには鑑さんが立っていた。複雑な感情を全部押し殺したみたいな酷い顔をして、鑑さんが立っていた。


「……謡は死にましたか。」

「うん、昨日の夜に。私が殺した。」

「……どんなふうに死んだんですか。」

「どんなふう……、なんだか凄く楽しそうで、凄く綺麗に死んだよ。」

「……そうですか。」

 仮眠室の入口で、鑑さんは淡々と事実だけ私に伝えてきた。私もそれにつられて淡々と会話をする。不思議な事に、私は全くこの人に対して憎悪の念が湧かないのだ。

「……鑑さん。私、何だかもう謡の事よく思い出せないんです。」

 言おうとしていたこととは違う言葉が滑り出た。鑑さんは少し微笑んだ。

「そうなんだ。……疲れてるのかな?」

「鑑さんは覚えてますか、謡の事。」

「まぁね。結構鮮明に覚えてはいるけど。」

「……やっぱり、鑑さんは謡にとって特別だったんですね。」

「そうかなぁ、私は舞さんがそれだと思ったけど。」

「私は……謡が嫌いだったので。」

「あはは、そうだっけ。」

 なんだろう、凄く違和感を感じる。疲れているのは鑑さんの方なんだろう。

「……鑑さん。」

「ん、なぁに。」

「……一度ちゃんと泣いてくれませんか。月山さんのために、謡のために、――ご自分のために。」

 そんな私の言葉に、鑑さんの表情は固まった。拙い事を言っただろうかと身構えた時、鑑さんは私の事を抱きしめた。抱きしめて、泣いていた。

 泣きながら、鑑さんは子供の様に色んなことを私に話してきた。月山さんが死んだ理由、実のお兄さんの話、謡の笑顔のこと。私はただずっと、鑑さんを抱きとめながら背中を撫でる事しかできなかった。ほんのりお酒の匂いのする鑑さんの体中から、今まで背負っていた黒い物が抜けていく感じが見えた。

「……ごめん、舞さん。こんな話。」

 そう言って涙を拭いながら私から離れる鑑さん。私は少し笑って見せた。

「謡は多分、いや、絶対――最期に鑑さんと居られて幸せだったと思いますよ。でなきゃそんな風に笑えなかったんじゃないですか。」

 何の根拠もない私の言葉に鑑さんは笑った。それから他愛もない事を話して、鑑さんは対策室へと帰っていった。私はまた1人になった。

 今度は上手く眠れそうだった。


≫≫特異対策室、樋本ひのもと朱雀すざく

 叢雲に飲ませ過ぎて酔い潰してしまった。反省しながら机の上を片付ける。1本丸々空いた一升瓶を左手で持ち上げて、底の方に残った酒を直に喉へと落とした。行儀は悪いけど誰も止めないから仕方ない。

 恐らく今回の事で、私はここをクビになるだろう。死人を出した室長は決まってクビにされるのだ。そうやってここはいつも人が入れ替えられてきた。ということは次の室長は鑑か、と思って少し気が重い。果たしてあいつ、そんなことが出来るんだろうか。そんな風に思って、いやまぁできるかと思い直す。もし鑑が室長になったら、特異対策室初の、歪が視えない室長になるんだろう。面白いことだ。


 ひしゃげた右手はもう戻らないし、当分痛いままだよなーと、ソファーに寝そべる叢雲の頭側に座りながらぼんやり思う。ということは当分叢雲が私の右手か。そうも思って笑った。叢雲はここ最近の疲労のせいで深く眠っているらしい。そっと髪を撫でながら頭の中で沢山礼を言う。そのうち2人でちょっとお高いご飯でも行きたいところだ。

 今回の事、精神的な犠牲は多かったが、結果としては3大霊障・霊害地から1つ候補が消えたという、喜んでも喜び足りないぐらいだ。

 神社に祀られていた『ゆがみさま』――まぁいわば、何世紀という月日をかけて出来上がった歪の集合体だが、それらすべてを扇崎謡という少女が操ることができていたという訳だから、少女が死んだ今、あの町に長年巣食っていた化け物はもういないはずだ。もっともこれからも、町の住人たちによって無尽蔵に歪は吐かれるが、一般的な量だ。もうあの町は安全だと判断していい。

 それもこれも、鑑と雅空のおかげだろう。感謝してもしきれない。

私の体内に居たあの化け物の欠片もいつの間にか消えていたらしく、もうこの先扇崎謡が操っていたあれが復活するなんてことは無い。ひいては、扇崎謡も復活するなんてことも絶対にない。

 その事実が喜ばしい事なのか、悲しい事なのかは私には分からないが、これでまぁ暫く特異対策室は平和に過ごせるだろうと思っている。

 もう本当に、全部終わったんだなと改めて思うと同時に涙が出た。年がかさむとよく泣くからいけない。


≫≫陸上鑑

 いつまでもくよくよするのも良くないとは思うが、未だに私は自分のしたことが正しかったのか分からない。最終的に私が正義サイドで終わった訳だが、どうにもハッピーエンドとは呼びづらい。はたして何が正解だったんだろう。

 そしてこんな色々が終わった後でも、私は全く歪が視えないままだった。自分でも笑ってしまう。まぁ兄貴に言わせればそれが私の良さらしいが。

 あの時、謡ちゃんが全部消えてなくなった後、喪失感が酷かった。殺さなきゃよかったなと結構本気で思った。謡ちゃんが生きていたことの証明を全部潰して消してしまった気がしたのだ。それがどうにも悔しかった。


 私はきっとこの業を一生背負って生きていく。重たくて引きずりたくなるような業だが、絶対に背負わなくちゃいけない。目を逸らしちゃいけない。

 だって逸らしたら、謡ちゃんとちゃんと向き合い続ける人が居なくなってしまうと思うのだ。その向き合い続ける人は、ずっと私でありたい。


 真っ白い髪と、琥珀色の飴みたいな目をした私の一夏の友人は性格の悪い事に、私の瞼の裏に、あの少し毒のある眩しい笑顔を焼き付けてから消えてしまった。それを思い出すたびに思わず笑えてくる。

 眩しいのは嫌いだ。――けどこういう鈍い眩しさは嫌いじゃないかもしれない。

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