8/30 20:28
≫≫
現実というのはそう上手くいかないらしく、結局秘密基地に
「……ごめん鑑さん、道に迷っちゃった。」
謡ちゃんだった。無地の白いTシャツと紺色のショートパンツという、今日の明朝に見た部屋着のままだった。少し変わったところと言えば、サイズの合っていない下駄をからから言わせながら現れた所だろうか。
「やぁ、来てくれただけ嬉しいよ。そろそろ探しに行こうかと思ってたから。」
「そっか、行き違いにならなくてよかった。」
いつの間にか抜けた敬語がやけに懐かしい。穏やかながらも砕けた口調で話しながら謡ちゃんは私の傍に立った。私は立ち上がらず、謡ちゃんを見上げながら少し微笑む。
「まぁ座ったら?」
物語がハッピーエンドで終わる時、最終的に勝つのは正義であり、負けるのは悪だ。――この場合で言えば、勝つのは私で、負けるのは謡ちゃんになる。ただこれは世間一般のハッピーエンドの場合だ。なおかつ、私が正義であるという仮定があった時の。謡ちゃんだって謡ちゃんなりの覚悟と決意があってここに来たはずであり、そんなおいそれと私に殺される様な子じゃないと思う。かと言って私をさっさと殺すかと言われるとよく分からない。そこらへんは私と思う事が似ているのではないだろうかと思うのだけど。
――この小さくて細い体の中に、容姿の美しさと反比例する様に、この子はどれだけの醜さを抱えて生きてきたんだろう。本心から涙も流したことがない様なこの幼気な少女を、誰が救ってやれるんだろう。
「……どうしたの鑑さん、そんな凝視して。」
謡ちゃんが困ったような顔をした。私はにこりと笑って見せる。
「いやぁ、君は言われたくないかもしれないけど、綺麗だなと思ってさ。」
「うーん、そう。まぁ素直に受け取っておくよ。」
今朝見た時よりも、髪の色は純度の高い白になっており、肩甲骨辺りまでだったのが腰ほどまでに少し長くなっていた。瞳も爛々とした琥珀色になっている。目を離したら本当に消えてしまいそうなぐらい、儚げな存在になっていた。生まれてすぐ殺されていたという人柱の完全系としては皮肉過ぎる。
「謡ちゃん、まるで君本当に――。」
天使だね、そう言いそうになって呑み込んだ。この言い方はきっと好きじゃない。けど謡ちゃんは見透かした様に笑う。
「天使みたい?鑑さんに言われたら悪い気もしないね。」
謡ちゃんはそっと私に手を伸ばしてきた。私が編んだ不格好な三つ編みを優しく掴んで少し眺めてから私の方を見た。
「……結び直してくれる?」
「うん。勿論。」
髪を解いて謡ちゃんに背を向ける。――これから祓う対象にする動作としてはあまりにも無防備だと思うが、何となく攻撃されるとは考えていなかった。謡ちゃんは手櫛で私の髪を梳きながら静かに息を吸った。
「鑑さんがここに来てくれなかったら、多分私はこの夏で死んでたと思う。」
「……へぇ、なんでそう思うの?」
「……鑑さんを見た時、頭の片隅では不審者だから逃げなきゃって思ったのに、ワクワクして逃げられなかったから。」
「はは謡ちゃん、私が不審者って酷くない?」
「昼過ぎにこんなところで昼寝してる大人が不審者じゃ無いって?」
「うわぁ、君痛い所突くね。」
手際よく髪を3つに分けて、私と比にならない速度で髪を編んでいく謡ちゃん。それからまた口を開く。
「母さんも、よくこんな風に三つ編みしてたんだよね。――何でか、髪を結ぶ時だけは絶対私に頼んでくれてさ。凄く嬉しかった。」
「そうなんだ。」
「綺麗にできたら褒めてくれるの。いつもはしない、優しい目で私を見ながら、謡は凄いねって。」
無邪気な声でそんな風に話す謡ちゃんは、今どんな顔をしているんだろうか。私は少し目を伏せる。
「だからいっぱい自分の髪でも練習したし、同級生の髪でもやらせてもらってた時期があってさ。次、母さんが私に三つ編み頼んできたら、とびっきり綺麗にやろうって思って。」
そう言ったっきり、謡ちゃんは黙ってしまった。そのまま毛先の方まで編まれる感覚があり、最後にゴムでまとめ直されたのが分かった。それから私はゆっくり振り返った。謡ちゃんは俯いて、何も言わないままだった。言葉の続きを待つと、謡ちゃんの薄い桜色の唇が動いた。
「けどもう、母さんは私の事見る事さえ拒んで。もう会えなくて。」
ぞっとするほど平坦な声だった。感情が上手くくみ取れない、というか感情がそもそもないのだから当たり前だ。私は重たい右手を持ち上げて謡ちゃんの頭をそっと撫でた。すると、謡ちゃんは私を見て泣きそうな顔で笑った。私の左手を取って、謡ちゃんは自分の頬に押し当てて少しの間目を閉じていた。
「……あったかい。」
謡ちゃんの閉じた目から涙が伝った。中々止まらないその液体は、前見た時よりも人間味が濃くなっている様な気がした。右手で謡ちゃんの頭を撫で続ける。ふわふわした髪の触り心地だけが伝わって来る。
多分、扇崎謡という人間が欲しかったのは、ぬくもりなんだと思う。
両親からは目を逸らされ続け、周りからは特別という存在として扱われ、誰も彼女に深く踏み入ろう分かろうとはしなかった。そういう他者からの感情が、謡ちゃんはずっと欲しかっただろうに。
私は、右手をゆっくり謡ちゃんの頭から離して、ジャケットの中に突っ込んだ。ホルスターに指先を添わせて、リボルバーガンを取り出す。シリンダーの中にはもう既にあの弾が入っている。右手で銃を構えて、銃口を下に向けたまま私は泣きそうだった。
「……鑑さんはそうだね、それが仕事だもの、仕方ないよね。」
謡ちゃんはか細い声でそう言った。仕方ないと口で言っている割には、命乞いをしている様な声に聞こえた。左手に謡ちゃんの涙が垂れた。それと同時に謡ちゃんはそっと目を開いて私を一瞬見て、直ぐにリボルバーガンに目線を移して問うた。
「……それ、痛い?」
「私は撃つの上手いから痛くないよ。」
このところ私は嘘をついてばかりだ。本当は痛みを感じる間もなく死ぬと思う。
「なら安心だね。」
そう言うと、謡ちゃんは私の左手をそっと離して、今度は私の右手を掴んで自ら眉間に銃口を誘導した。
「そこで、いいの?」
私は思わず聞く。謡ちゃんは悪戯っ子の様な笑い方をした。もしかすると、この子はもともとこういう子だったのかもしれない。
「わかんない。鑑さんが決めて。」
そんな無責任な言葉に、私は兄貴の顔が浮かんでいた。
あいつも最初、私に言った。自分を撃て、俺の体を思い切り撃てと。言っていた。それを無視して私は歪だけを撃ち続けていた。あの時の兄貴の目はきっと失望していたのだろう。苦い記憶に触れて心がぐちゃぐちゃになる感覚がした。
「……ねぇ、鑑さん、早くしないと。」
謡ちゃんが煽る様に言う。私は視界が滲んで上手く謡ちゃんが見えない。瞬きで涙が零れた時だった。
「はやくしないとたべちゃうよ?」
謡ちゃんは黒い影になっていた。――最初から私の目の前に居た謡ちゃんは分身だったらしい。歪にこんなことが出来るなんて知らなかった。私はまず先に立ち上がって後ろに跳び退いた。勢いでスクリーンの端まで移動する。黒い人影の大きさが安定せず、ぐるぐる変わっていく。私は急いでシリンダーから強化版の弾を抜き取ってポケットに突っ込んでから、いつもの普通の弾を込める。照準を合わせた時には影はゆらゆら揺れながら私に近づいて来ていた。
どごん どごんどごん
3か所、影に穴が開く。ピタリと動きが止まったと思うと、それはさーっと崩れて行った。形は大きいが、かなり薄く延ばされていたらしい。直ぐに消えた。そう思ったのもつかの間、ドームの中が一気に液状個体でいっぱいになる。そして――声が聞こえた。
「お前はなんでそっちに居るんだ。」
「お前がそっちに居る資格なんてないだろう。」
「お前はこちらに来るべきだ。」
「お前もこうなれ。」
「――こちらは気分がいいぞ。」
全てあの、兄貴の優しい声だった。立ちすくむ私の前に、歪で出来た人の腕がそっと差し出された。その時、怒りで血管が切れた気がした。
「……うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
叫んだ。腹の底から。その程度の御託で、兄貴の声を使って、私が呑まれるはずがないだろうが、舐めるなよ所詮人から出てきたカスの分際の癖に、と。罵詈雑言を吐きながら撃った。液状個体とあって数発でどんどん薄くなっていった。雅空が持ってきてくれた予備の弾がここで活かされるのだなと辻褄があって1人で笑う。
私はやっと夢から覚めたみたいだった。
「……はぁ、……はぁ。」
消耗した。ドームの中に月明かりがさしてくるぐらいに落ち着いたとき、――やっと謡ちゃんが現れた。今度は、血が服に垂れ、顔に飛び散り、手に染みついていた。足元はやっぱりサイズの合わない下駄だったし、髪もさっきの謡ちゃんと同じく少し伸びていた。逆光であまりよく顔が見えないのにも関わらず、目だけが物凄く光って見えた。
「……遅かったね、謡ちゃん。」
「……流石に凄いですね、鑑さん。」
謡ちゃんは下駄をからから言わせながら階段を降りて来た。そして私の前に立った。その顔は初めて会った時と同じ無表情で、心なしか少し大人びていた。私は思わず声を立てて笑う。
「凄いでしょう?」
「えぇ。……正直舐めてました。」
「あはは、酷いなぁ謡ちゃん。」
喋りながら目の前でリボルバーガンに強化版の弾を詰める。謡ちゃんもそれをつぶさに眺めながら溜め息をついた。
「ねぇ謡ちゃん、なんであんな姑息な作戦考えたの?」
「周りの人たちがみんな姑息だったので。私だって少し姑息になっても良いかなって。」
「酷いなぁ、私あれがほんとに謡ちゃんだと思っちゃってたよ。」
「また嘘つくんですね鑑さん。本当は気づいてたでしょ?」
「あは、まぁね。――君はこんな綺麗に三つ編みできないもんね。前して貰った時、私と大して出来が変わらなかったし。それに君は基本的に意地でも私に敬語じゃない?あとあんな楽しそうに笑えない。」
「……貶してますよね。それ。」
「どうかな、褒めてるって事にしようか。」
そこまで言ってから、私は銃口を謡ちゃんの眉間に突き付けた。
「まぁあの謡ちゃんも積極的で悪くは無かったけど。私は今の汚い君の方が大好きだよ。」
「はは、やっぱ大人げないですね。」
「ふっ、しってるー。」
かちゃり
ハンマーを引く。もう後は引き金を引くだけだ。謡ちゃんが私の目を見ながら、表情だけ笑っているのが見えた。
「鑑さん、私これでも、鑑さんに殺されるの嬉しくて堪らないんですよ。」
「えぇー、そうなの?嘘じゃない?それ。」
「本当です。鑑さんはなんか、今まで関わってきた人の中で1番いい人だから。」
「それは冗談でしょ。」
「じゃあ言い方変えます。――1番私に寄り添ってくれた人だから。」
「あはは。それは名誉なことだ。」
「だから――、もし。」
その時の謡ちゃんの顔は、凄く楽しそうだった。取り繕ったいつもの顔じゃ無くて、初めて彼女に感情が芽生えたみたいな、そんな顔だった。
酷く可愛くて、綺麗で、美しくて、めちゃくちゃに心を掴まれる、そんな笑顔で謡ちゃんは言った。
「もし、またどこかで会ったら、次はもっと鑑さんを知りたいです。」
「……わかった、私も次君に会ったら――沢山笑わせる。」
「楽しみにします。――じゃあ。」
そう言って謡ちゃんは目を閉じた。穏やかな顔で微笑んで、謡ちゃんは私に身を委ねた。
「じゃあね、謡ちゃん。」
どごん
初めて撃った強化版の弾丸は、琥珀色の火花を散らして謡ちゃんの綺麗な顔をぐしゃぐしゃに貫通していった。直ぐに崩壊が始まって、ゆっくりゆっくり、謡ちゃんの体は後ろへと倒れて行った。いつもみたいに灰じゃ無く、柔らかい光を放ちながら、謡ちゃんの体はゆっくり崩れた。地面にそっと体が横たえられて、暫くの間謡ちゃんの体は淡く光り続けていた。
――初めて歪が美しいと思った。
そうこうしているうちに謡ちゃんは全て光になって消えた。後には何も残らなかった。ずっと感じていたこの町の不穏な空気も、何も残っていなかった。
「……終わったぁ。」
そんな間の抜けた私の声で、この長かった1日は終わりを迎えた。
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