8/30 15:12
≫≫
不思議な事に、迷って辿り着いた所をまた目指すというのは難しい事らしい。小学校沿いの雑木林にスーツ姿で入って行くこと1時間ほど、やっと私の目の前に球状の廃墟が現れた。
「……お腹空いたな。しくじった。」
「うわー、まじか。」
私が野宿した座席のその背もたれにお札が1枚適当に貼られていて、その上にころん、と拳大の物が置かれていた。これまたお札でがちがちに梱包された――拳銃の弾。私のリボルバーの強化版の弾だ。その弾を膝の上に乗せて、背もたれにお札を貼ったままその席に腰を下ろした。ずしりと体に重さがかかる。思ったより体が疲れているらしい。
「……あぁ。」
雅空、兄貴。私は――私は本当にここに居て良いのかな。祓う側として立っていても良いのかな、誰も救えてない私が。
そう思った時に初めて泣いた。ぼたぼた涙が落ちてお札が濡れる。
『特異対策室は救うことが目的じゃないんだ。祓う事が目的だ。救う事なんかその二の次なんだよ。』
いつかの
何で私にはずっと歪が見えないままなんだろう。
Re: 8/30 09:55 ≫≫仮名昏町、
死ぬのが怖い。死にたくない。できるだけ平和な所で生きていたい。痛いのが嫌い。別れが嫌い。泣くのが嫌い。――だから僕はここに居るんだと思う。
「……わ、凄いなここ。」
適当に歩いて辿り着いた雑木林の中の廃墟は、プラネタリウムの跡らしかった。何となく嬉しくなって、最前列の背もたれに持たされた札を貼って術を掛けてから腰を降ろして周りをぐるっと見る。欠伸がでた。眠たい頭で始発の電車に乗ってだらだらここまで来たのだ。眠たくて当然だ。
道中、何度も引き返そうか悩んだ。結局昨日の作戦会議のあと、朱雀室長にこそっと呼ばれた。
『嫌だったら逃げろ。誰もお前を責めないから。』
室長も少し悲しそうな顔をしていた。僕は笑って取り繕ってしまった。なんで行きたくないって言わなかったんだろう、そう思ってまたちょっと笑う。
ろくでも無い人生だった。能力のせいで学生時代はいじめ抜かれて、やっと手にした理想の職場では思う様に力になれなくて凹み続けた。
特異対策室の人たちは良い人だらけだ。というか、良い人しかいない。
少数精鋭のわちゃわちゃした、仲のいい部署だ。僕がここに居て良いのかもよく分からなかったけど、誰も拒まないし、何なら僕の存在を喜んでくれるような人たちしか居なかった。それにどれだけ救われていたのか分からない。
その中でも、鑑先輩には凄くお世話になったよなと思う。新人時代あの人の言葉にどれだけ助けられて泣いた事か。数えきれない。
……だから、そんな風に敬愛する先輩のために死ぬなら、それも良いと思うのだ。
ずっと死にたいと思っていた。僕なんか早く消えたらいいと思っていた。そのタイミングがやっと来たってだけなのに、なんでこんなに怖いんだろう。
答えは簡単、僕に度胸が無いからだ。僕が弱いからだ。僕が駄目だからだ。
鑑先輩はそれを正面から否定するけど、僕は結局最期までそれを受け入れることが出来なかった。情けないと思う。
死にたいけど痛いのは嫌だ。迷惑かけるなら関りなんか立ちたいけど別れは嫌だ。
わがままだと思う。けどこれが僕だ。
「あ、そろそろ行かなきゃかなー。」
2時間分近く物思いに耽っていたらしい。ゆっくり立ち上がって、札をもう一度しっかり背もたれに貼ってから、座面に銃弾を置いた。そっと目を閉じ、深く息を吸ってから目を開く。よし、もうあとはやるだけか。そう思ってそっと上を見上げる。そう言えば、結局言えずじまいだったなと思った言葉が、するりと喉から零れて落ちた。
「……大好きです、先輩。」
何だか怖くなくなった気がした。
≫≫仮名昏町、
日が沈みかけている。こうもたもたしている場合じゃないとはわかっているのだけど、どうにも腰が重いのだ。
もしここで私が逃げて、謡ちゃんを生かして、この町を崩壊させたって正直知った話じゃ無い。こんな田舎町、1つなくなろうが私には関係ない。そう思うけど実際にそう思えないのはきっと私の弱さであり特性だろう。
『鑑ってなんか……底抜けに楽観主義者だよな。いつも1つ外から俯瞰してるって言うか。』
兄貴は昔私の事をそう評価した。逆に言えばあの人は感情移入が容易く、気にし過ぎなところがあった。多分この評価は大正解で、このせいで私はずっと歪が見えないのだろう。――兄貴が死んだこと、未だに受け入れていないのだろう。受け入れていないから、それが私の中で傷にもならず、歪が見える条件に満たないのだろう。きっとこの先もずっと。
「……面倒だな。」
膝の上にはリボルバーガンが乗っていて、左手にあの弾を握っている。いい加減にしないと間に合わないよな、そう思ってリボルバーガンを取った。いつもは使わない、対歪用ではない普通の弾を込める。それからまっすぐ真上に腕を向けた。
この判断は正しいんだろうか。いつかこの日の事を後悔するときが来るんだろうか。まだずっと雑念が頭の中で渦巻いている。
「最悪だな私。」
後輩を殺した化け物だというのに、私は
ばん
引き金を引いた。鳥が飛んでいく音がする。あまりにもよく響いたから通報されるかもしれない。けどそんな些細な事どうだっていい。
合図が鳴った。さぁ、スタートだ。
≫≫■■病院、診察室6、
……もしかしたら今日私は死ぬかもしれない。ふとそう思った。ひしゃげた右手と拭えない喪失感のせいでずっと頭が重い。診察室に備えられた簡素なベッドの上に座って、包帯でぐるぐる巻きにした上に自分の札を貼った右腕をじっと見ていた。
「……ねむ。」
さっきから欠伸が止まらない。いっそ寝てしまおうかとも思う。5分ほど前に売店に走らせた
多分、私の体の中にはまださっきの化け物が居座っている。恐らくあれはいつでも心臓でも内臓でも握りつぶせるのだろう。だからもしかしたら死ぬかもしれない。
「……鑑大丈夫かなぁ。」
あいつは死なないと思う。思っているけど、何となく不安だ。あいつは強いけど、精神的な疾患とも呼べる欠如があるのだ。実の兄が歪に殺されてもなお視認が出来ないというのは問題である。それが今回の事とどう噛んでくるかは分からないけど。
同僚に死なれるのは心地が悪い。誰かが死ぬたびに私が代わりに死んでやれないだろうかと思ったりする。
「――戻りました。……室長起きてます?」
「ん。起きてる。」
「頼まれてたもの持ってきましたよ。おやつ。」
「ありがとう。」
仮名昏町の件で、同僚と同業者が4、5人死んでいる。あそこに手を打つのが鑑で良かったとも思うし、鑑である必要も無かったんじゃないかとも思う。――きっとこのことは鑑にとって大きい負担になるだろう。これから一生かけて拭えるか拭えないか分からない様な大きな負担に。鑑だから大丈夫だとどこかで高を括っているが。
「……うわ、叢雲お前これ。」
「飲まなきゃやってられないでしょう。コンビニまで走りました。」
「わ、わざわざ?」
「はい。わざわざ。」
「……はは、馬鹿だなお前。」
「馬鹿で良いですもう。飲みます?」
「あぁ。」
かしゅっ
叢雲が私の分までプルタブを開けて差し出してきた。それから無言で2人で缶ビールを煽る。喉を通る温くて苦い液体を飲み干しながら少し目を閉じる。病院で酒を飲むという背徳感でどうにかなりそうだ。
「……全部終わったら美味しい酒飲ませてください。」
叢雲がそう言った。私は思わず笑う。
「勿論だ。」
私はまだ死ねない。
≫≫仮名昏町、
ばん
「……っ?」
遠くで大きな音がして目が覚めた。結構長い事寝ていたみたいで体が軋む。黒い腕はいつの間にか背中に吸収されていて、私は地べたに寝そべって昼寝していたらしい。ゆっくり立ち上がって、軽く体を伸ばした。何だか目線が高いなと思ったら、神主さんからぶんどった下駄を履いているせいだった。
「……、ねぇ、聞こえた?」
そう呟くと、黒い腕がにゅるんと背中から出てきた。聞こえたんだろう。私は少し溜め息を付きながらその場で準備運動をしてみる。
ばん、という音。――銃声のように聞こえた。ということは、鑑さんからの何らかの合図だろう。私は石段へとゆっくり歩く。黒い腕がまた跳ぼうかと勘ぐっている様な気がしたから先に言う。
「下駄じゃ足捻るから歩いていくよ。着くまで中に入っていて。」
そういうと素直にまた背中に吸収されていった。夕暮れの、もうすぐ日が沈みそうな空の下、私はゆっくり歩いた。私しかいない、夕暮れがどこか暖かい、映画のワンシーンの様な田舎道を1人で。――なんだろ、私今凄く。楽しいかもしれない。
鑑さんが関わると少し調子狂うみたい。あの時もあんなに泣くつもりは無かったし、今だってこんなに心がウキウキすること無かった。
母さんと父さんと姉さんは、私からよく目を逸らした。まるで触れちゃいけないみたいに、深く感じちゃいけないみたいに扱った。一度父さんに聞いたことがある。
「みんな私が嫌いなの?」
『違うよ、謡は特別なの。』
理由になっているようでなっていない、そんな曖昧なことを言われた。私が分かってないとも思って無いのかなぁ、私と向き合うのが嫌だから姉さんに冷たかったくせに。姉さんが居なくなって焦ってるの、私知ってるんだけどな。
「でも母さんは私が嫌いだよね。」
『母さんは……母さんはお前の母親だからな。』
俺は違うから、気楽なのかもな。父さんが言っていたことの意味がやっと分かった。私は多分、もともとこの黒い腕の子供だったんだろう。姉さんが家の掃除をしてる時、ふと姉さんが眺めてた写真が気にかかった。すぐ隠されてよく見えなかったけど。母さんは人じゃ無い何かと私を作った。多分さっさと殺されるはずだったんだと思う。じゃ無かったらこんな風に見た目が変わったりしないんじゃないか。何だか私の見た目は、年を取るにつれて色が褪せる、経年劣化みたいに感じていた。
「姉さんは?多分、姉さんは嫌いだよね。」
『舞はなぁ……。まぁでも母さんよりは好きになる努力はしてるよ。』
姉さんは義理堅かったから。妹である私を好きにならないといけないって思ってたんだろう。けどもう隠しきれなくって、あんなに拙いサンドイッチを作ってたんだろう。姉さんには謝りたい。巻き込んだこととか、私が居たせいで無下にされてたこととか、実の両親を私が殺しちゃったこととか。多分薄々気づいてたけど、それでも私を好きになろうとしてくれたから、あの人はとても凄いと思う。
「父さんは、私が嫌い?」
『いーや、父さんは謡が大好きだよ。』
その大好きは娘としてではなく、女児として、あるいはこの人間離れした見た目のせいだったんだろうけど。まぁもともと血縁的な娘じゃないんだから仕方なかったのかもしれない。あぁ、確かこういう会話をしたときは決まって――、やめよう。思い出したって良い事ない。
そんな風に、私を私として見てくれなかった家族みたいな人たちとは違って、鑑さんは私に深く関わろうとしてる感じがあった。私が分からないから、逃げたいのではなく、知りたいと思ってくれている様な気がした。それが凄く嬉しかったのかもしれない。だからこんなに気が進まないのかもしれない。
涙がぼろぼろ落ちる。視界が滲む。
「――鑑さんを殺しちゃったら、誰が私の傍にいてくれるの?」
そんな私の痛みを伴う叫びみたいなのに、黒い腕が反応した。背中からまた出て来て、私の頭をそっと撫でる。君には私らがいるじゃないか、とでも言いたげに。
「うん、うん。……ありがとう。」
ほんとにそれでいいのかなんてわからない。私が求めているのはこれなのかも分からない。けど。きっとそのうち、この胸が空く感じにも慣れるんだろう。
「……ありがとう。」
大丈夫。謡、お前はお前のために生きなきゃいけないよ。そう言い聞かせるみたいに強く思って、また歩き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます