8/30 13:41
≫≫特異対策室、
「室長、生きてます?」
「まぁ何とか。」
正午過ぎのどんちゃん騒ぎから少し過ぎて、対策室は静かだった。
「お前も今のうちに昼済ませろよ。これからは予想ができない。」
そう言いながら左手でぎこちなくカップ麺を啜る
室長の術を駆使して、札の向こう側の存在に攻撃を仕掛けた際、樋本室長は札の向こうに手を突っ込んだ。そして引き抜いたときにはこうなっていた。
「……病院行きましょう。」
「これ食い終わったらな。その前に叢雲、
……室長ってもしかしたら人間じゃないのかもしれない。
≫≫
神社からの帰り、
「……ねぇ舞さん。」
返事がない。私はただ話す。
「君のお母さんの日記、本棚に並べたのは君?」
「……そうです。けど、鑑さんに読ませたいわけじゃ無かったんです。」
舞さんは随分、あの神社の儀式についての呑み込みが早かった。それにあの日記はかなり古い日付の物だったのに、母親のもともとの寝室ではなく和室に丁寧に梱包されて置かれていたというのがずっと違和感だったのだ。舞さんはゆっくり言った。
「……謡が、読んでくれないかなって。母さんが――、母さんが謡の事、どれだけ嫌いだったのか、沢山書かれてたから。」
あの日記は、後半に行くにつれて字がぐちゃぐちゃになっていき、ほとんど読めなくなっていった。日付もどんどん抜けていき、最後の文章はほとんど狂気的だった。
『あれが居る限りきっと私は死ぬ。舞も死ぬ。いやだ。
しにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくな』
「あれを読んだ時、全部謡のせいなんだって、どこかで腑に落ちて。――だからどうにか謡にそれを知ってほしかった。あの子は賢いからどうしたらいいのか知ってるはずだと、思ったから。」
舞さんの喉からでたとは思えないぐらいはっきりした言葉だった。言い終わってから唇を嚙みしめたのが見える。それから私は告げる。
「舞さん、私は――謡ちゃんを殺すよ。」
「……どうしてもですか。」
「うん。どうしても。もともと死ぬ命だったからとか、あの子が人柱だからとかそういう事じゃ無い。これが私の仕事だから。だから全部終わったら私を恨んでくれて構わない。けど、絶対これだけは聞いて。」
そう言うと、舞さんは私の方を見た。その顔はまだ子供の顔だった。今にも泣きだしそうなのを、必死でこらえている顔だった。
「君は悪くない。君のお母さんもお父さんも悪くない。悪いのは殺した私だけ。いい?」
精神論のつもりで言ってる訳じゃない。単純に、謡ちゃんが死んだ後もそのことを悔やまれ続けるとその感情が新たな人型個体として昇華される恐れがあるのだ。そう私は半ば言い聞かせるみたいに頭の中で反芻する。目に涙をいっぱい溜めた舞さんがゆっくり頷いた。私は笑って舞さんの頭を撫でてみる。目から涙が落ちた。
ぷるるるる ぷるるるる
何とも不思議なタイミングで携帯が鳴った。けどその携帯は私のじゃなく、舞さんの物だった。……あれ私携帯どうしたっけ。
「すいませ……。――鑑さん、これ。」
携帯の画面を確認した舞さんは私の方に画面を向けてきた。それを受け取り、画面の文字を見て少し驚く。そしてどことなく悪寒に襲われる。
そこには特異対策室の表示があった。
「……もしもーし。」
――『あ、もしもし、陸上先輩?ご無事ですか。』
「お、叢雲?無事だよ、……ねぇまさかだけどさ。誰か死んだ?」
――『凄いですね、なんで分かるんですか。
「……うっそ。何それ。」
――『ついさっきです、詳しくは後で文面で送りますが。――時間が無いんです、手短に説明させてください。』
「わ、わかったけど、どうしたの?そっちなんかあったなら私帰るけど。」
――『先輩が帰ってきたら意味が無いので駄目です絶対。これから病院行くところなんです。室長の付き添いに。』
「そうなんだ。やっぱ何かごたついてるんだ?」
――『順を追って話しますから、1回黙って全部聞いてくださいね先輩。その町、早く手を打たないとまずいんです。昨晩こっちで作戦を立てて――。』
「――なるほど、把握した。……ねぇほんとに
――『はい。逆に死んでない可能性の方が低いです。……泣くのは終わってからですよね?』
「分かってるけどさ……。あで、私は何したらいいの?」
――『月山先輩がどこかに隠した弾を早急に探し出して、その人型個体――どっちかって言ったら変異種って感じなのかな、まぁそれを祓って、媒体の人間は殺してください。』
「うーん、わかった。……で、その弾はどこにあるの?」
――『わかりません。』
「は、嘘でしょ?」
――『月山先輩がアンタに届けるはずだったんですよもともとは。先輩がワンコールで電話出てくれないから民間人の連絡先勝手に調べて連絡してるんですし。』
「そう言われたら終わりだな……。じゃあそれを探せばいいの?」
――『はい。なるべく早くお願いします、あの弾は今日の23時59分を超えたら形が崩れます。』
「なっ、待ってよ。もの探しにしては時間が足りないよそれ。」
――『そういうデリケートなもので作ったんです、仕方ない。けど鑑先輩が使えば多分良いようになります。』
「……雅空が殺されるぐらいの化け物なのに?」
――『頼むからそう拗ねないで下さい。月山先輩はもともと歪退治に向いてないんです。しかも相手は人型個体なうえ変異種ですし。最初から負けるの確定でした。陸上先輩なら勝率はあります。』
「随分買い被るじゃん。というか
――『勿論。室長の術って弱いダメージが延々と入り続ける感じなんですよ。だからまぁ弾が駄目になるまでは有効かと。』
「わかった。できるだけ早く見つける。……ねぇ叢雲。」
――『はい?』
「死なないでね。……あと、朱雀ちゃんを宜しく。」
—―『……分かってます。では。』
喫茶リピディアに戻って来た時にはもう14時前ぐらいだった。部屋の中は暗く、リピディアにも母屋の方にも、謡ちゃんは居なかった。
どうやら雅空を殺したのは本当に謡ちゃんらしい。息が上手く吸えなくなる。
「……鑑、さん。」
舞さんの声が背後でした。震えていて、おびえて、掠れた声だった。私はそっと振り返って、舞さんの手を取った。それからカウンターの上に置かれていた雅空の名刺を握らせる。
「舞さん、今から駅に行って、ここに書いてある住所に向かって。叢雲っていう男子高校生みたいななりの私の後輩が居るから、そいつを探して。できる?」
「い、いやです。私、ここに。」
「駄目。」
「でも、かがみさん。」
「私は大丈夫。だから。ね。」
「……私、……謡に会いたいんです。どうしても。」
……あぁ、この子の涙は美しいな。ふとそう思った。そう考えると謡ちゃんの涙はただの液体にしか見えなかった。私はそれを片方の手で拭いながら、舞さんの手を握る力を少し強める。
「会えるよ。またちゃんと。」
嘘をついた。もし2人とも無事でも会わせる気は絶対にない。これで彼女は私を恨む理由がまた1つ増えた。そう思ってにこりと笑う。舞さんもにこりと笑った。そして名刺を受け取って、私の目をじっと見つめたと思うと走っていった。
「……ありがとう舞さん。ばいばい。」
口の中でそう呟く。そこで初めて、私は全然泣かないなと思った。人間ってそんなものなのだろうか。
カウンター奥の扉から家に上がって、まず脱衣所に向かう。そこに干されていた私のワイシャツとスラックス、あとジャケットを手に取って着替える。髪の毛は何度も攣りながらも1本の三つ編みに結べた。最後にネクタイを緩く締めて、眼鏡を掛け直して鏡に映る自分の顔を見る。疲れていたけど死にそうな顔では無かった。無理やり笑ってみる。
「……はは。」
その顔が、兄貴にも謡ちゃんにもよく似ていたのが皮肉だ。
≫≫仮名昏町、
出刃包丁にぶっ刺されて呆然とたまま家を飛び出した。リピディアの鍵を閉めなかったな、とか、もしかしたら2階の窓が開いてたかもな、とか思ったけど、結局黒い腕が凄い勢いで空に跳んでしまったから気にする余裕はなくなった。一体どこに連れて行かれるんだろう。そう思っていた時、急に止まった。
「……ねぇえ、ここ何処なの?」
黒い腕は喋れないらしい。見たことの無い神社に連れてこられていた。私はとりあえず拝殿の下に座って日陰に身を寄せる。黒い腕がぎゅるん、と背中に吸収された。その勢いで思わずつんのめりかけてよろける。
「――もし。」
正面から声を掛けられた。顔を上げると、そこには袴姿の神主?さん。青年って呼ぶのが似合いそうな感じの人だった。
「こんんちは。」
「君、一体どこから入ったの?」
「どこって、普通に正面から入ってきました。」
「そうなのかい……?――ところで君、扇崎のお嬢さんだろう?」
「はい、そうですが。」
「とすると、謡ちゃんかい?」
「はい、まぁそうですが。」
そう答えた瞬間、神主さんの姿がふっと消えた。嫌な予感がして立ち上がる。その時靴を履いてくるのを忘れたことに気づいた。……あー、この足じゃあそこに見える石段なんか登って来れるわけないもんな、バレるか。そう思った。
と同時に反射で右手が動いた。
「……何のつもりですかこれ。」
神主さんが勢いよく振った刀の刃が、もうすぐ首に触れるところだった。右手の掌に刃が食い込む感覚があった。
「……
「訳が分からないです。何かご迷惑かけましたか。」
「君の存在が迷惑という訳なんだ。……死んでくれないか。」
「それは嫌です。――すみません。」
ぽた ぽたぽたぽた
「……ぐふっ、……がっ……。」
神主さんが刀を振ったのと同じタイミングで、黒い腕が背中からぎゅるんと出てきた感覚はあったが――。
まさかもう腕が貫通していたなんて思っていなかった。神主さんの胴体には大き目の穴が開けられて、ぽたぽた血が滴り落ちている。ぐらっと揺れて神主さんの体から力が抜けた。そのまま貫通した部分から順に黒い腕へとまた吸収されていく。地面に垂れた分の血液は吸収できなかったが、神主さんの体は時間をかけて呑み込まれていった。
「待って。」
あとは足の方だけになった時に私は黒い腕に声を掛けた。神主さんが履いていた下駄に手を伸ばす。サイズは大きいがないよりましだろう。そう思って履いてみると少し背丈が高くなった。
「いいよ、ありがとう。」
そう告げると、黒い腕は神主さんの残りの部分をずるん、と全部呑み込んだ。絞り出すように血液が少し飛び散って下に血だまりが出来た。少しのあいだをそれを眺めていたけど、ふと、まだ刀の刃を受けた右手がズキズキするのに気づく。掌に赤く線が入っているのが見えた。なんかあの刀もそれなりの力みたいなのがあったのかもしれない。お札と言い刀と言い、みんな姑息だ。
「……悲しいなぁ、そんなに私の事殺したいのかな。」
やっぱり誰も返事してくれない。黒い腕が私の頬を後ろからするする撫でて来る。それがどうにもくすぐったくて虚しかった。ゆっくり屈みこんで、神主さんの血だまりだけがやけに暖かくてずっと触れていた。最終的に血みどろに汚れた私の手を黒い腕は指で拭う様に優しく綺麗にしてくれた。
「……君は、私のそばにずっといてくれるんだね。」
そう言うと、黒い腕は何も言わずに私の頭を撫でた。やっぱり暖かみも何もないその単なる形だけの動作に、私は苦い唾液を呑み込む。
「……はは。あははっ。」
気づいた。私が欲しくてたまらない、ずっと求めている物。
今の私じゃ絶対に手に入らない物。目からまたとめどなく涙が溢れる。
体を黒い腕に預けて、誰も来ない神社の境内で私は目を閉じた。
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