8/30 12:00
≫≫
姉さんと
「んー……。」
散歩にしては長い気がする。いい加減お腹もすいてきたし、宿題もあらかた片付いたからもう大丈夫だと思うのだけど。
「……お腹空いた。」
背に腹は代えられない。
リピディアはあまりにも静かだった。店が休みの日は不思議な気分になる。奇跡的に焼かれていない食パンが2枚袋に入りっぱなしで残っていたからそれを食べる。ジャムもバターも取るのが面倒だから、そのままでパクパク食べてみる。少なくとも姉さんが作ったサンドイッチよりはおいしい。
「……ん。」
外に誰かいる。そう思った時に、店の扉がノックされた。ふとそっちを見る。擦りガラスのせいで誰だか分からないけど、直感的に昨日の――
「やぁー、謡ちゃん、だっけ?鑑先輩知らない?また連絡取れなくてさ。」
「そうなんですか。多分今姉さんと出かけてるんですけど帰って来なくて。」
「そうなんだねー。ちょっとここで待っても良い?」
「いいですよ。お茶ぐらいしか出せませんけど。」
「あぁ、全然お構いなく。」
そう言って月山さんはカウンター席に腰を下ろした。それからにっこり笑って私の方を見ている。――なんかこの人、ぴりぴりしてるな。そう思った時、あまり深く考えずに言葉が零れた。
「私の事――殺しに来ました?」
あれ、何でそんなこと言ったんだろう。そう疑問に思ったのに、月山さんは特に否定もせずに笑うままだった。
「どう思う?――やっぱバレる?」
そう言った瞬間、月山さんは大きなナイフを私の肩に刺した。――正確には刺そうとした。
「……っ!」
背中からにゅっと生えたあの黒い腕が、肩を覆う様にナイフの刃を防いでいた。黒い腕の手の甲にナイフが刺さっているけど私に痛みはないし、傷も何もついていない。月山さんは直ぐに体勢を立て直そうとナイフの柄を握る。あぁ、そんな長く握ってたら拙い。
「いぎっ……!」
黒い腕が月山さんの腕ごとナイフを呑み込んだ。多分腕の中で月山さんの右手はぐちゃぐちゃにひしゃげている。そんな感覚がどこからかする。どこからしてるんだろう。黒い腕からナイフが吐き出された。刃の部分が粉々に砕けている。欠片は吸収してしまったみたいだ。月山さんの顔が痛さで歪んでる。けどこの人もさすがに仕事人だった。無事な左腕がジャケットの下にすっと伸びてまた新しい同じナイフを取り出した。――同じじゃない、今度はお札が貼られている。潜在的にこれに刺されたら拙いと思って一度身を店の奥に引く。その拍子に月山さんの右腕が千切れた。悲鳴が上がる。
「……ごめんなさい、少しうるさい。」
「はぁ……、はぁっ、痛いんだよっ、腕ちぎられるとかっ。」
何でこの人普通に立ってんだろう。怖いなー、なんて考えていたら、首の方にナイフが飛んできた。反応が遅れて少しよろける。
「あ」
どす
刺さった、ほっぺに。痛――くはないな。体の奥がビリビリする感覚があるけど痛覚じゃない。お札のせいなのかな。右手でナイフを握って引き抜いてみる。血も何も出てないけど穴だけ開いている感じがする。塞がるかなこれ。
「……はは、何だ君、もう人じゃ無いのか。」
月山さんがそんな風に笑った。私は意味が分からないまま曖昧に笑い返す。黒い腕がゆっくりと月山さんの方に迫っていった。
「……はは、化け物め。」
「褒めてくれてどうも。」
ぐじゃっ
「……あー……、困ったな。汚れちゃった。」
そう呟いてみる。すると黒い腕が床に散らばった塊を呑み込んでくれた。首から上が私の方を虚ろに微笑んでいる。それを拾い上げて、少し考える。
「君、ここら辺掃除できる?あともう1本腕出せたりとか。」
そう言うと、黒い腕は右腕にバケツ、左腕に雑巾を持ってきた。私は思わず笑う。
「そう言うのじゃ無くて。普通に吞み込んでくれたらいいよ。できる?」
黒い腕が返事の代わりに掃除道具を横に置いて手のひらで床をなぞっていた。見る見るうちに血痕が消えていく。私は背中から腕をはやしたままウロウロしてみる。結構な長さこの腕は伸びるらしい。いつの間にか右手が分裂して、片方がこちらを覗いていた。一瞬頭の中が不明瞭になった時、掌にじんわり暖かい感触が広がって、その頭の髪の感触と一緒に血液で手が汚れる感じがした。それをその右腕の分裂した片方に差し出してみると、案外すんなり吞み込んだ。その拍子にぼたぼたっと血液が垂れ落ちて顔と服に着いた。姉さんにバレたらどうしよう、殺すしかないのかな。
「……鑑さん。」
新しい友人の名前を呟く。この夏のくそ暑い空気の中に、その言葉は白い息みたいに消える感じがした。そこまでしてから私は事の重大さで頭の芯がはっきりしてくる。
私はもう、鑑さんに殺されるしかなくなってしまったかもしれない。嫌多分そうだろう。鑑さんの後輩さんを殺してしまったのだから、恨まれて殺されるのは道理だ。それに気づいたとき、私はどうしようもなく泣きたくなった。泣くなんてこと、ただの動作であって私の心に寄り添う訳では無いのに。そう思った時、掃除を終えた黒い腕が私を後ろから抱きしめた。いつものあの大きい腕ではなく、やけに人間味のある腕だった。けど人間味があるのは見た目だけで、暖かくも無ければ感情も何もないというのが肌で感じられる。私はその腕をそっと撫でる。血がこびりついた私の白い手は、あの黒い手とやけに対照的に映えた。
「……あれ、でも私が死ななくたっていいよね。」
鑑さんも多分、死んだらこの腕に呑んでもらえる。そしたらずっと一緒だ。それに気づいて、私は少し黙った。
「ははっ。んんー、……鑑さん殺すのか……。」
難しい気がする。漠然とそう思った私の心を読んだのか、黒い腕は抱きしめる力を増した。私のバクバクする拍動と体温が移って表面が少し生ぬるい。私は黒い腕を撫でながら軽く目を閉じた。
何だかとても心地が良い。
「……ん。」
体の中に何かいる。突然そう認識した。さっき刺されたほっぺに手をやる。血管がぼこぼこ浮き出て、傷が埋まろうとしているのだが。何かが邪魔をしている。――2本目のナイフに貼られていたお札、あれの向こう側から。
「……誰か、みてる?」
≫≫特異対策室、
「……樋本室長、月山先輩が死にました。」
昼過ぎ、
「ん、そうか。――探知できないか、あいつのナイフに私の札が貼ってある奴があったんだが。」
「ちょっと待ってくださいね……。」
そういってカウンターを弄る。するとよく分からないが、私の術に何か反応した。
「できました、どうですか。」
「あぁ、何か見える。」
私の術が掛かった札から、対策室に準備していた別の札に連携させる。すると不思議、雅空が居た所の状況が札を通して把握できるという仕組みだ。叢雲もこのシステムについてある程度踏み込んでいるので一緒に様子が見れる。もっともこの術は叢雲が来なかったら実現できなかった訳だ。
「ここは……、鑑が寝泊まりしてる家か。確か扇崎と言った。」
「そこの喫茶店の所ですね。……あ。」
雅空は骨も残っていなかった。血液も一滴残らず。訳が分からないぐらい綺麗に無くなっていた。状況が飲み込めず、私も叢雲も暫く固まる。それから気づく。
月山雅空は巨大な歪の人型個体によって殺されたらしい。そしてその体の全てを歪に吸収された。骨も残らないのは当然だ。あの町でとんでもない化け物が生まれようとしている。けれど。
「……室長、弾の反応が無いですね。」
「あぁ。そっちは無事らしいな。」
私はさっき叢雲が調達してきた出刃包丁にぐるぐると長い札を巻きつけながら欠伸をした。自分の短所は緊張感がない所だと自覚している。
それからふと死んだ部下の顔がよぎって涙が出た。
Re: 8/28 21:14 ≫≫特異対策室、叢雲つつじ
樋本室長が、陸上先輩の任務先の名前を口にしたとき、俺は叫びたかった。
「……何で単身で行かせたんですか。」
「なんだ、お前知ってたのか。」
樋本室長は実に冷静に、なんてことなくそう言った。この人はあの町のとんでもなさを知っていたのに陸上先輩を行かせたのだろう。そう思うと手汗が止まらなかった。カウンターを修理する手が震える。
「仮名昏町はもうずっとブラックリストに入っている。それを鑑が知らない訳は無いだろうし、例え無かったとしても行くという選択をしたのはあいつ自身だ。私の知るところではない。」
「だからって……。仲間じゃないんですか。」
「……自分の命は自分で守れる奴だと見込んでるんだよ私は。それが出来なきゃ鑑じゃない。」
そう樋本室長は言った。俺はもうずっと手の震えが止まらない。
歪を神として祀りあげている神社がある。それが仮名昏町に位置していると、古い資料で読んだ。与えられた目の前の任務をとりあえず片付けるだけの陸上先輩だから、きっとブラックリストの事も、その神社の事も、仮名昏町の恐ろしさも何も知らないのだろう。室長が月山先輩に資料を持たせたとか言っていたが、あの人がそれを読んだという自信がない。絶対読んでいない様な気もする。
「……落ち着け。落ち着け俺。」
今からすることは上司に対する裏切り行為かもしれないし、先輩に対するお節介かもしれない。けどこれは俺のしたいことだ。しないと多分一生後悔することだ。
「……ちっ、何で出ねぇんだよ。」
とはいえど、とうの陸上先輩は基本的に音信不通だ。俺は苛立ちと焦りで目が回りかける。その時、樋本室長の声がした。
「少し良いか、2人共。」
そう月山先輩と俺に言った。その声は震えている様にも、いつもより凛としている様にも聞こえた。
「……正気ですか。」
「あぁ。正気だ。」
樋本室長が言った作戦は、月山先輩に死ねと言ってるのと同じことだった。俺はそんな話受け入れづらくって思わず嚙みついた。
「実力で言ったらこの場で派遣すべきは雅空が適任だ。それに叢雲、お前を行かせたら術が使えなくなる。」
「だからってこんなのっ、いくらなんでも。」
「まぁまぁ、大丈夫だよつつじ君。僕だってある程度は戦えるしさ。」
8月29日明朝、月山先輩は仮名昏町に出向き、鑑先輩に言伝と切り札を託しに行く。内容的にはそれだけなのだが、この作戦には穴があった。
切り札――対歪用で強化版のリボルバーガンの弾。ひいてはあの町に巣喰っている歪の元凶を潰すための最後の砦だ。それを陸上先輩に渡してくるのが今回の月山先輩の役目である。だが、この弾は歪を引き寄せる性質がある。迂闊に持っては歩けないため、どこかに固定して結界を張っておく必要がある。
そしてもう1つの大きな問題があった。
「恐らく、今の1番調子のいい状態の標的だと、鑑でも倒せるかが怪しい。」
室長はやけにはっきりそう言い切った。理由は特にない、勘らしい。けどそれを否定できないという事はそういう事なのだろう。
「じゃあ僕は明日あの町に行ったら弾をどこかに結界を張って隠して、標的を探って、それで打てる手は打っておく。――とどめがさせなくても、室長のお札とかねじ込めれば後々有利でしょ。」
少なくともその元凶が何なのかは分かるだろうし、こちらから内部に向かっての攻撃は可能になるだろう。その分勝率は上がる。
「その場合、結果は先輩の命と引き換えの可能性が高いですよね。……本当に捨て身で行くんですか、先輩。」
「んー、まぁいんじゃない?」
けろっと軽い様子で月山先輩は言った。その顔は何とも言い難い顔だった。けれど手が震えている。樋本室長はそれを見ない様にしている感じがした。
「……あの町は確実に崩壊が始まっている。どういう訳か鑑が向かったことで余計浮き彫りになった。遅かれ早かれあと1、2年で手を打たないといけなかった場所だ。」
室長は真剣な表情で話し続ける。
「終わらせたいんだ。――あそこで死んだ対策室の奴も何人かいる。もう、終わらせたい。」
「……分かりました。」
「僕は室長のいう事何でも聞きまーす。」
いつの間にか手は震えなくなっていた。
≫≫仮名昏町、喫茶リピディア、扇崎謡
なんだ、なんだこれ。体の内側に何かいる。そしてそれがこっちを見ている。
「……っ、げぇ、っえほっ、おえぇぇっ。」
鼻から、口から、黒い液体が出て来る。痛い。なんだ、何が起きてるんだ。腕が背中に入ったり出たりを繰り返している。それで気づく。さっきのお札だ。体の中で何かされている。
「やめ……、やめろっ……。」
目を閉じる。口から出てきた黒い液体がまた手や黒い腕に吸収されて吐かれるという繰り返しが続く。感覚を澄ませて探す。
どくん
「あった。」
血管がどくんと動く感覚が頭に響く。口から出て来る液体が止まった。鼻を拭って液体をまた黒い腕に呑ませる。その感覚にまた深く落ちて行くように頭を冴えさせて、息を吐いた。ぽたりと口の端から液体が垂れる。頭の中に2人の人影が写る。それに黒い腕を伸ばすイメージが頭の中で再生される。すると何か突き破る感覚があり、突き破った向こうが鮮明に見えた。
「……邪魔してんじゃねぇよ。」
赤毛の小さい女の人と、黒い髪のぼんやりした顔の男の人。2人ともスーツ姿だ。その2人目掛けて腕を振り回すか一瞬迷ってしまって、手に激痛を感じた。赤毛の人がニヤニヤ笑っている。何が起きた?理解するより早く腕が溶けている様な気がして勢いよく腕を引き抜いてお札の向こうからここへと戻って来る。私がお札の向こうに差し込んだ手は黒い腕ではなく、自分の腕だったらしい。
右手に、お札でぐるぐる巻きにされた大きな出刃包丁が突き刺さっていた。血液の代わりに黒い液体が流れ出ている。お札が私の腕に絡みついて中に入ってくるような感覚があって、急いで腕から引き抜くとぶちぶち音がした。てきとうに包丁を投げ捨てる。それからぎゅん、と傷口はふさがった。背中の腕が苦しそうにのたうち回っている。体中どくどく言ってからやっと収まって、手のひらに垂れ落ちた黒い液体に目が釘付けになった。
「……なんだこれ。」
私はもう人じゃ無いらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます