8/30 7:22

≫≫仮名昏町かなぐれまち扇崎せんざき宅→神社?、扇崎せんざきまい

「ふっふーん、今日はお店がやっすみー。なぁにしよっかなぁ。」

「へぇ、今日お店お休みなの?」

「うひゃあっ!」

いつも通り7時半前に起きて鼻歌を歌いながらリビングの方をウロウロしていると、突然横から人の声がして物凄く驚く。向いた方には私の部屋着を着たかがみさんがリビングのソファーに座っていた。私は浮かれた鼻歌を聞かれたことが物凄く恥ずかしくてどうにか落ち着きながら息を付いた。

「おはよう舞さん。部屋着ありがとうね。」

「い、いえ……。眠れましたか。」

「うん。ぐっすり。」

 そう言う割には顔が疲れている気がするのは気のせいだろうか。あの不思議な色の眼鏡のレンズ越しに鑑さんは少し目を細めて笑った。それから何か思いついた様な顔で私を見る。

「ところで舞さん、今日お暇?」

「へ、まぁ、暇ですが。」

「いやぁ、5時ごろうたいちゃんが起きてきたんだけど、彼女宿題終わっていないらしいからさ。無理に連れ出すのもあれかなって。私行きたいところがあるんだけど場所が分からなくて……。よければ、案内してくれないかな。」

「そうなんですね……。わかりました。朝食食べたら行きましょうか。」

「やった、ありがとう。」

 そう言って柔らかく鑑さんは笑った。昨日妹が連れて来たこの客人はどうにもつかめない。ただまぁこの人と関りがあれば、この先雅空がくさんとも繋がりが持てるかもしれないと思っておく。

「ちなみにどこへ行きたいんですか?」

「えーっとね、仮名昏町の神社に行きたいんだ。名前が分からないんだけど、舞さん分かる?」

「神社……。あぁ、それなら遊上ゆがみ神社ですかね。ここにはそれしかないですし。」

「……ゆがみ神社って言うんだね、字はどう?」

「遊ぶに上で遊上です。」

 何となく、鑑さんの雰囲気が厳しくなったような気がした。遊上という名前を聞いたときにそうなった気がする。少し緊張しながら私は首を少し傾げた。鑑さんは直ぐに何か気付いたのか、またあの柔らかい笑顔を浮かべた。

「烏滸がましくて恐縮だけど舞さん、私お腹空いちゃった。」

「……あはは、分かりました。何か作ります。」

「わーい、ありがとう。」

 なんだろうこの人。不思議だ。


「ん、うんまっ。流石に喫茶店のお姉さんってだけあるね。凄く美味しい。後でお金払わせて。」

「え、いいですよそんなの。まぁ喜んでいただけて嬉しいです。」

 鑑さんは雅空さん並みに良い食べっぷりでサンドイッチを食べた。ちゃんと耳も切って、チーズをとろとろに溶かした店で出す代物をご馳走した。私は切ったパンの耳と、食パンにバターを塗ってフライパンで焼いたトーストを食べる。鑑さんが淹れてくれたコーヒーがいつも私が淹れるものよりも俄然おいしくて素直に尊敬した。

「はぁー、ご馳走さま。ひさしぶりにこんないい朝ごはん食べたよ。」

「たまには良いですよね、こういうの。」

「ん、扇崎姉妹は朝食べない派?」

「えぇ。謡はぎりぎりまで寝ていたいらしいですし、私はコーヒーでお腹いっぱいになるので。」

「へぇ、そうなんだ。」

「鑑さんは朝食べるんですか?」

「うん、まぁね。最近は卵かけご飯かお茶漬けの2択だけど。」

「それでも食べてるだけ良いと思いますよ。」

「はは、そっかー。」

 ……あれ。誰かとご飯食べるのってこんなに良いものだっただろうか。なんか泣きそう。

「へ、え、舞さん、どうしたの。」

「え、何がですか?」

「い、いや、泣いてるよ?」

泣きそうじゃ無くて泣いてたのか。私は目を手でこすって涙を拭いた。それから笑う。多分酷い顔をしているのだろう。

「……鑑さん、これ内緒にしてくれます?」


 私は、この不思議な人に妹の話をした。あの梅雨の日に私に電話を掛けてきたこと、昔から漂う彼女の異質さのこと、両親のこと。私は終始泣いていたかもしれないし、笑いながら話していたのかもしれない。鑑さんはただ頷いて私の話を聞いていた。私が話し終える頃には、コーヒーがすっかり冷めて、朝陽が店の中に入って来ていた。

「……っ、すみません、こんな話。忘れて下さい。」

 何で私この人にこんな話したんだろう、そう我に返って立ち上がろうとした。そんな私の手を鑑さんは掴んで、優しく握りしめた。

「舞さん。君は凄いね。偉いよ。」

 その言葉でまた泣きそうになる。自分のチョロさに腹が立つ。こんな得体のしれない人に、自分が墓場まで持っていこうと思っていた腹の内を全部吐きかけてしまった不安がぐるぐると胃の中で渦を巻いている。けど――、鑑さんに話して何かが軽くなっている自分が居るのも確かだった。

「……鑑さん。」

「ん、何でしょう。」

「……ありがとう。」

「ふふ、どういたしまして。」

 そう言って彼女は私の頭を撫でた。20年近く生きて来て、救われた気がした。


「ふーん、ここが遊上神社……。」

「はい。とは言ってもまぁ、町の人もあまりお参りしませんし、初詣くらいでしか賑わいませんが。」

「なるほど……。」

 小学校の近くにひっそり建つ、その寂れた神社の石段の下で鑑さんはぼんやり鳥居を眺めていた。色が褪せて所々傷の目立つその鳥居を凝視している。何かいるのだろうか。

「せっかくだからお参りしてこようかな。」

「私も行って良いですか?」

「勿論。行こう。」

 長い石段を上がると、直ぐに拝殿が見えた。鑑さんは一礼もせずに境内に入って行く。思わず驚いたが、私はひとまず一礼して中に入った。

「……なんだよここ。」

 鑑さんが低い声でそう呟いたのが聞こえた。顔が焦っている。何かあったんだろうか。そう思った時。

「あれぇ、こんにちは。参拝にいらしてくれたんですか?」

 掘っ立て小屋の様な社務所から、妙齢の男の人が出てきた。神主だろうか。大学生ぐらいに見える、若そうな人だ。

「こんにちは。えぇ、はい、参拝に来ました。あ、もしかして入っちゃいけない日だったりしましたか……?」

「いえいえとんでもないです。参拝客の方があまりにも久しぶりでして……。」

「あっ……れ、神主さんですか。」

 いつの間にか鑑さんが私の隣に来ていた。神主さんが驚いた顔になる。

「え、えぇ。神主の水無瀬みなせ、と申します。……あれ、もしかしてあなた、公安の――。」

「だぁぁっ!駄目ですそれっ!」

あれ、今神主――水無瀬さんは何と言ったんだろう。鑑さんの大声にかき消されてしまって聞こえなかったけど。鑑さんはこほん、と咳ばらいをして水無瀬さんに向き直った。

「じ、実はですね水無瀬さん?私陸上、と言うんですが、この町の伝承について調べていまして。この神社が何を祀っているのかとか教えて頂けますか?」

あれ、何だかこの人今出まかせをさもありなんとペラペラ。驚いた。

「え、えぇ構いませんよ。あ、では社務所の方に上がって頂けますか、ここじゃ暑いですし。」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて。」

 鑑さんのその言葉に、水無瀬さんはにこりと微笑んだ。何となくその時、目の色がゆらりと揺れた様に見えた気がしたのはきっと暑さのせいだろう。


 ――ここ、仮名昏町は大きな霊道の上に位置しています。

北には日本最大のパワースポット、南にはこれまた最大級の霊園があったりするのがその原因と言えると思います。

 そんな不安定な立地のこの町ですから、昔から厄災が多かったりしました。

干ばつ、飢饉、洪水、人さらい、強盗、殺人、火事、土砂崩れ――。

歴史を遡って調べると、この町はかなり昔から存在していて、沢山の不幸に見舞われながら形を変えてきていました。

 ですがある時から、それが少し収まり始めます。

都市部の方から流れてきた霊媒師がこの町を変えようとまじないを掛けたのです。

 この町は霊道の上に位置している。それ故に町が滅んだりすることは無いが、厄災が起きるのは止まないだろうと。その解決策を仰いだのが、この神社の最初の神主でした。

 霊媒師は、この町は吹き溜まりであるから、『ゆがみさま』が多く居ると言ったそうです。具体的に『ゆがみさま』が何なのかは教えてくれなかったそうですが、伝承によるとそれは人から零れた何からしいです。

 その『ゆがみさま』をこの神社は祀っていますので――遊上神社という名が付いたのです。


「……そう、なんですね。」

 なぜだろう、空気が重い。鑑さんの表情が物凄く嫌悪にまみれている。水無瀬さんはそれを認識しているのかしていないのか分からないが、柔和な笑みを浮かべながら自分で淹れた緑茶を啜った。そのまま私と鑑さんに出してくれた氷入りの麦茶が結露していくのに目線をやっていたが、ふと何かに気づいたかのように私を見た。

「ん、所でそちらのお嬢さん、扇崎さんと仰いましたっけ。」

「あ、はいそうです。」

「もしや、奏さんの娘さんでは?」

「え、えぇ。そうですが。母を知ってるんですか?」

そう言うと水無瀬さんは少し複雑そうな顔をした。それから湯飲みを両手で包み込んで浅い溜め息をついた。それから目を伏せる。

「……せっかく娘さんが来て下さったんだ。ちゃんとお話しさせて頂きたい。もう少し昔話をしても宜しいですか?」


 『ゆがみさま』を神として祀るうえで、やはり神には供物が必要でした。贄が無ければ神とは呼ばないとその霊媒師も言っていましたし。

 そこでまずこの町の人たちは、小さな子供を捧げていました。

毎年、その供物として捧げるためだけの子を1人なして、それを『ゆがみさま』の前に捧げていました。最初の10年ほどはそれでよかったのですが、『ゆがみさま』はだんだん子を1人吞み込むほどの力が無くなっていました。恐らく、もともと神では無いものを神として崇めたことによって、その物の本質が弱まっていたのだと思います。ですので子を1人捧げる様な必要はなくなっていき、10年に一度、20年に一度ぐらいの頻度で人柱を立てる方針に変えたのです。

 その時に尽力していただいたのが、全ての元凶であるこの霊媒師の末裔であり、奏さんのご実家である柳楽なぎら家でした。

 20年に一度、柳楽家の女性は『ゆがみさま』を己の体内に一時的に入れて、『ゆがみさま』との子をなして、それを人柱としていました。その人柱は持っても3年ほどの寿命で全て死んでいました。もともとそのために作られた、命と呼んでいいのかも怪しい塊です。柳楽家の女性はほとんど術の使える方が多かったため、全くと言って良いほど問題も起きず、『ゆがみさま』のご機嫌も損なうことなく今までやってきました。

 今から12年前ほどでしょうか。――その年は奏さんの番でした。

……わたくしが何を言いたいのか、お分かりですか。


 ……理解したくないのかもしれない。けれど私の中で着々と辻褄が合い始める。母さんのあれも、謡の気持ち悪さも。体中の毛が逆立って、唾液が口の中でぶわっと広がる感覚がある。背中に冷や汗が伝って吐きそうな感じがある。水無瀬さんは淡々と事実だけを伝えていた。きっとそうなのだろう。それが余計に手の震えを酷くしていく。

 12年前の儀式において、だということを、この人は言っている。

「本来はこちらから出向いて手を打たなければと思っていたのですが……、奏さんと旦那さんが居なくなってしまったと聞きました。事態は少し拙いかもしれません。」

 鑑さんに向かってそう告げる水無瀬さん。鑑さんは押し黙っている。

「あの人柱は――失敬、謡さんは本来、この世に居てはいけない存在です。」

 恐らくはそのずれが、もう既にゆがみとして形になりかけているではないかと思います。

「そのゆがみが形になってしまったら、恐らくあの子は『ゆがみさま』そのものに匹敵する存在になってしまいます。そうなれば何が起きるか分かりません。」

 鑑さんの顔から表情が消えているのが横目に見えた。自分の息がどんどん荒くなるのが体に響いて気持ち悪い。

「……祓います。」

 鑑さんがそう言ったのが聞こえた。聞き間違いかとも思ったが、私にはそう聞こえた。

「祓います。それは私の仕事です。」

「ですが……。出来るのですか?」

水無瀬さんの声に、少し挑戦的な感じがあるのが分かった。私はそっと2人の顔を伺う。2人とも修羅の様な顔をしていることに今気づいた。

「どちらにせよ、やらなきゃいけません。」

 私はきっと直ぐ1人になってしまう。その事実を嬉しくも悲しくも感じた。

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