第3話
数年前、とある若者に散々もてあそばれた後、やっとのことで上着に腕を通したソラがいった。
「君はわるいオオカミだね……」
泉で心地よく水浴びをしていたら、少し年下の男に襲われた。
当然、機嫌は悪く、沈んだ気分を誤魔化すために指で地面に絵を描いていた。獰猛なオオカミの絵を。
若者を恨む気持ちは当然あるが、だが、それ以上に自分の警戒心の薄さを自責していた。
(ここがサテライト外という自覚が足りなかったのかもね)
壁の内側――サテライトの外部には治安警備という概念は存在しない。村単位で特有の決まり事のようなものがあったとしても、基本は弱肉強食の領域だ。ソラはサテライトを出て日が浅いので、その意識が薄かった。
女ひとりで水浴びなどしていたら、下卑た連中に襲われても文句も言えない。
(それにしても……)
ソラにはひとつ思うことがあった。
ソラの目の前で、彼女が描く絵を興味津々に観察していた若者にそれを聞いてみた。
「オオカミくん、実は女の子と遊んだとこあまりないでしょ」
ソラは彼に突然押し倒したのには驚かされたが、彼はまるで手探りでことを起こしたのかのようで、
「そりゃそうだ。手を出したいと思ったのはお前が初めてだからな。今までも女に執着していたやつは何人かいたが、ようやく気持ちが理解できた」
「そ、それはどうも……」
若者はソラに対する後ろめたさなどは持ち合わせていないようで、胸を張って誇らしげに頷いた。
「ふうん、でも、どうりで」
その結果、ソラの中で合点がいった。
ウルフは、ソラの裸や胸に年相応の興味を示し、見たり触ったり揉んだりしてきたが、それ以上の行為はしてこなかった。
(この場合してこないというより知らなかったが正解なのかな。きっと誰からも手ほどきを受けないで育ったんだろうね)
ソラの直観は当たっていて、ウルフは人生をずっと一人で生きてきたわけで、本人の興味もなかったため、その手の知識はまるで持ち合わせていなかった。
不幸中の幸いというものだろうか。
ソラは俯いた顔をあげて、若者を見る。
歳は15かその辺り。肌で触れあってわかったことだが、彼からはとても大きな力を感じる。この無法地帯をひとりで生き抜いてきた、力が。
彼女が外部で生きていく上で、力を持つ者と一定のギブアンドテイクはいずれ必要となる。
それに彼なら、上手くだまし続ければ若干恥ずかしい思いをしても、一線を越えることはない。
ソラは観念して、目の前の獣と契約をすることにした。
「あのさ、オオカミくん。ボクのナイトになってみない?」
「ナイト?」
「そうそう、ボク大切なものを落としちゃってね。落としたと言うより飛ばしちゃったんだけど……。見つけるまでボクのことを守ってくれないかな」
「そんなことをする必要がどこにある」
「でも一緒にいてくれたら……たまにはいいことがあるかもしれないよ」
◇ ◇
「ウルフくん、起きてますかー?」
その呼び声と、強い日光の刺激で目を覚ました。
「ここは……」
「なにその反応。まさか昨晩のこと、忘れたとか言わないでよね」
寝ぼけ頭に、仏頂面をしたイロハの嫌みが響く。
(そういや、オレはこいつを押し倒して、その後は……)
記憶が断絶している原因を思索し、ウルフははたと自身の首元を手で探った。そこには相変わらず青い首輪が繋がれていた。
「そうだ。これでやられたのか」
苦い顔をしたウルフがぐぐぐぐと首輪を引きちぎろうとすると、
「あ、ダメですよ! 壊してもビリビリなるようになっているのです!」
シエルが慌てて訴えるので、ウルフは渋々手を放した。
「気がついた途端に首輪壊そうとするとか、野蛮人すぎる」
イロハがため息を吐いた。
「おい、これ邪魔だから外せよ」
「それはこれからのウルフくんの反省次第なのです。しばらくは戒めのために外すことは出来ないのです」
ウルフは舌打ちをし、煩わしい事態になったことを理解した。
「コホン、それで……ウルフくん。起き抜けではありますが、私はウルフくんにお説教をしないといけません」
「はあ……」
頑張って真面目な雰囲気を作ろうとするシエルだが、ウルフはどうも気の抜けた返事を返す。
「真面目に聞かないと――朝ごはん抜きなのです」
「そうか」
声を低くして威圧しているつもりだろうが、ウルフに身が入ることはない。
シエルはコホンともう一度咳払いをして、諭すように言い聞かせる。
「あのですね。それは、まあ。ウルフくんも男の子ですし、女の子とむふむふしたい気持ちはわかりますが、無理矢理はNGなのです。そういうことをすると女の子に嫌われてしまうのです」
シエルは胸の前でバッテンを作って掲げた。
肝心のウルフの視線はシエルの発達した柔らかそうな双丘に一直線に注がれているが。
「だが、オレはいますぐにお前らと遊びたいと思っている」
「ウルフくんはそうかもしれませんが、私たちはウルフくんと身体のお付き合いはまだできないと思っているのです。”仲良し”はお互いの気持ちが一緒になってからじゃないとダメなのです」
「じゃあ、いつならいいんだ」
「それは……人によっては短かったりしますし、人によってはずっとダメかもしれません。ケースバイケースなのです」
「そもそもオレが相手の気分に配慮しなきゃならない意味がわからんな」
シエルは防戦一方で、たじたじな様子で答えるが、やはりウルフには響かない。
「やっぱり説得なんてムリだって。そいつはその辺の道ばたで捨てちゃおうよ」
「拾ったワンちゃんをまた捨てるような無責任なことはできません。ウルフくんは私が責任を持って更生します!」
「誰がワンちゃんだ」
「シエルちゃんには悪いけど、わたしはそのバカ犬の更生は一生ムリだと思うよ」
「誰がバカ犬だ。お前は、もう一度叩きのめされたいのか?」
「その首輪がついてなかったら、首締めでわたしが勝ってたし~!」
「いいや、これが無くてもお前くらい簡単に捻り潰せるぞ」
「あわあわ、あわあわわわ。喧嘩はダメなのです。二人とも落ち着いて、とりあえず朝ごはんを食べましょう!」
その後、何を議論していたのか有耶無耶になって、朝食の時間になる。
まだ怪我人ということで、ウルフは寝床で朝食のプレートを手渡された。
ウルフは主食を指で摘まんで首を傾けた。
「なんだこの四角い薄いパンは」
「食パンなのです。箱型の型で焼き上げたパンを薄く切っているのです」
「サンクチュアリのやつらはとんちきな食べ物を作るな」
文句を言いながら、ウルフは食パンを囓る。
耳は硬く、中はモチモチとしていて、なかなかの食感だった。ウルフの頭にある堅く苦いパンとは比較もできない。
あっという間に一枚食べきったウルフは、
「悪くないな。おかわりを寄越せ」
「一人一枚だってば。居候のくせになんでこんな偉そうにできるんだか」
「まあまあそういわずに。ウルフくんは食べ盛りでしかも怪我人なんですから、いっぱい食べさせてあげましょう」
「そうだ。もっと寄越せ」
「うう、わたしこいつ嫌い……。シエルちゃんもなんで甘やかすの……」
結局、ウルフは食パンを四枚食べたし、目玉焼きも三つ食べた。
◇ ◇
「しまったのです! 開店の時間が近いのです!」
「アホ犬の世話してたせいで、いつもより時間食っちゃったからだよ」
わなわなし始めた二人をウルフは怪訝な顔で見つめる。
「おい、落ち着かないな。どうした」
「実はこの下の一階はお店になっているのです。えーと、とにかくウルフくんは怪我人だからここで寝ているのです。降りて来ちゃダメですからね!」
「そーだよ。どーせアンタが来たらろくでもないことになるんだから」
それだけ言い残すと、二人は部屋を飛び出ていった。
「忙しない奴等だ。まあ、あれだけ来るなと行っていたし、オレも興味があるわけじゃないからな」
ウルフはおとなしく寝ていることにした。
――10分後。
「暇だ」
ウルフは飽きていた。丸二日ほぼ寝ていたので、眠気もまるでない。
「というかオレはこんなところでのんびりしていていいのか? オレはソラを探すためにサンクチュアリに来たんじゃなかったのか?」
あの二人のペースに巻き込まれてしまっていたが、ウルフにはソラを探すという使命があった。そもそもやっとのことでたどり着いたこのサンクチュアリの情報も、ウルフは一切合切掴めていない。ここは何故壁で囲まれているのか、どんなやつが住んでいるのか……ここにソラはいるのか。内部にいるはずなのに、謎の場所から変わりない。
「さすがにそろそろ行動を始めるか」
確かに怪我はあった。が、二日も横になっていれば、大抵の怪我は治っているはず。包帯を解くと、実際生々しい傷は鳴りを潜めていた。
ウルフは起き上がり、水色の洋服を脱ぎ捨てて、ドアの横にかけられていた着慣れたボロ着を纏うと下に降りた。
◇ ◇
ギシギシ音が鳴る階段を降りると、仕切りのない広い空間に出た。シエルの言うとおり何か店を開いているようで、商品らしき物が棚に並べられている。
瓶詰めの謎の食材や、日用品の衣服に織物、使い道がなさそうなオブジェ……。
「なんの店なんだここは……」
ウルフが知っている店というものは、一類の品を物々交換で希望の品に取り替える商いで、このようにとりとめのない物品を扱う場所では無かったはずだ。
ウルフはざっと店内を見たが、二人の少女の姿は見当たらない。留守にしているのだろうか。
と、外へ通じる引き戸が開いた。
「オイオイ、お前さんいったいいつ店に入ったんだ?」
声の主は、ねじった布を頭に巻いたおっさんだった。
「誰だお前は」
「オイラはゲンって言うんでい。ここの隣に住んでるしがない大工でい」
まだ一言しか話していないが、暑苦しそうなおっさんだとウルフは思った。
「シエルちゃん達から、しばらく留守にするから店番をと頼まれたんだが……お前さん見ん顔だな。さては……」
泥棒とでも思われたか、騒がれたら面倒なので力尽くで止めようとウルフは身構えたが。
「シエルちゃん達に会いに、遠くからおいでなすったんだろ!」
「は?」
「二人ともべらぼうに美人だからなぁ。例の試験のせいでエリアAでも名を売れて、ここのところ毎日お前さんみてーな一見さんが顔を見せやがる。将来はオイラのせがれに嫁いで欲しかったのに、あんだけ美丈夫に囲われてたらオイラんとこのふ抜けじゃ敵わねぇや」
一方的に話しかけた後、ハッハッハと大工は大口を開けて笑った。
「で、お前さんどっち狙いなんだ。こっそり教えてみろや」
若者の色恋沙汰を享楽にしたいのか、調子のいい顔で聞き耳を立てる大工にウルフは、鬱陶しさを覚えながらも答える。
「どっちもだ」
「なんと、両方か! ハッハッハッ! あんだけの女を迷わず両取りとは、器がでけぇな! タケシにも見習わせてやりてぇくらいだ!」
バンバン背中を叩く大工を、疎ましげに振り払って、ウルフは外に出た。
「これ以上むさ苦しいおっさんに絡まれたら面倒だ」
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