昭和三十八年版運輸白書
◆熱気の中で
スイートルームの薄暗がりで、石山は黄ばんだ手帳を手に呟いた。
「昭和38年。この頃はまだ金が動いてなかった。裏の帳尻はもう少し後だな」
1963(昭和38)年。高度経済成長の熱狂が街を焦がし、杭打ち音が絶え間なく響く中、誰もが未来を見ていた。だが、その喧騒の下で、運輸省の白書は静かに血の匂いを放ち始めていた。翌年には東京オリンピックを控え、運輸省は事務的な手順でそれを刊行した。それが昭和三十八年版運輸白書である。
白書では首都圏に新たな空港を建設する構想が記されていた。その新空港は「新東京国際空港」という仮名称が与えられていた。
白書の内容は高度経済成長期に伴って急激な伸びをする航空需要について書かれたものである。そして、今後の需要と来る超音速旅客機に対応することが求められることが記載されていた。役所の文章で無味乾燥な文体でありながら、文面から切迫感が溢れており、悲鳴すら上げているようであった。
◆羽田空港の限界
それまで日本の空の玄関は羽田空港が担っていた。羽田空港は開業当初こそ「東洋一の空港」と謳われていた。
しかし、当時から処理能力の限界が危惧されるようになっていた。当時の羽田空港は今日のような井形配置のオープンパラレルの滑走路4本ではない。
面積は約260ヘクタール(現在は約1,515ヘクタール)しかなく、その狭い敷地に2本の滑走路がひしめき合っていた。東京オリンピックに向けて大急ぎの突貫工事で3本目の滑走路を建設している真っ最中であった。
当然ながら今日の羽田空港のように2機同時着陸や2機同時離陸は出来ない。ましてや現在の首都空港のような2機同時着陸しながらの2機同時離陸など出来る訳がなかった。
当時の羽田空港は、狭い敷地にひしめく2本の滑走路を、まるで息を詰まらせながら騙し騙し回していた。限界は誰の目にも明らかだった。
現場の空港職員は事故の懸念から、航空会社は路線拡充の意図から、新空港の早期着工を強く訴えていた。
こうした高度経済成長に伴う航空需要の急拡大が羽田空港で捌き切れなくのは、もはや時間の問題であった。
その様子が昭和三十八年運輸白書、「新東京国際空港を必要とする理由」に記されている。
『昭和45年を以て羽田の最大処理能力(年間発着回数17万5000回)の限界に達す。この時期までに東京地域における空港の抜本的な整備を行なわなければ,これがわが国航空の発展を阻害し世界経済から取り残されるのは必至である。』
その無味乾燥な文面に、官僚の焦りが滲んでいた。
運輸白書に記された「新東京国際空港を必要とする理由」を要約すると以下のようになる。
1.当面の運行量で対応できるが昭和45年になれば処理能力が限界に達する。
2.航空機が急速に大型化、高速化している中で現状の滑走路では対応ができない。(当時、開発中であった超音速旅客機コンコルドに必要な滑走路は4,000mとされていた。)
3.世界各国において、輸送量拡大と超音速旅客機の大規模空港建設計画または建設されている。この流れに乗らないと東洋における航空交通の中心としての地位を失う。
4.羽田空港の拡張は事実上不可能である。(埋め立て技術の問題、船舶航路への影響、東京湾建設計画の根本的な変更、近隣の騒音問題、米軍の航空管制の問題など問題が多すぎる)
以上の理由により、首都圏に新たな空港を建設が必要とされた。
◆超音速時代への焦燥感
そして求められる空港像が以下のものであった。
・面積:約2,300ヘクタール(約700万坪)
・滑走路:5本(内訳:国際線用超音速旅客機対応の4,000m正滑走路2本、国内線用 2,500m副滑走路2本、横風用 3,600m 滑走路1本)
実際に建設された東京首都国際空港の面積約6,367ヘクタールに4,000m滑走路6本と比べると小規模である。それでも当時としては破格の規模の空港であり、白書の中でも「国家百年の計」とまで謳っていたほどであった。
この構想では特筆すべきところは4,000m滑走路が計画に盛り込まれたことだった。当時、次世代の旅客機は超音速旅客機になると想定していたからである。
1962(昭和37)年に英仏間で超音速旅客機共同開発の協定書が締結された。後にコンコルドと呼ばれる超音速旅客機の共同開発である。同時期に米国でも超音速旅客機ボーイング2707開発が始動し、世界的に超音速旅客機開発競争が行われていた。
世は正に超音速旅客機時代の前夜祭の様相であった。しかし、この超音速旅客機を運用するに当たって幾つものも課題があった。その一つに長い滑走路が必要であったことである。超音速旅客機には長い滑走路が必要だった。離陸しにくい翼が、その代償だった。
その滑走路の長さは4,000m。新しい時代を担う空港であれば、当然のこの長さの滑走路が計画に盛り込まれなくてはならなかった。(実際のところ、超音速旅客機はコストパフォーマンスの悪さから普及せずにB-747のような亜音速でコストパフォーマンスの良いジャンボジェット機が普及する)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます