予定地

◆既に決まっていた予定地

 当時としては壮大な構想で、当時の人の大多数の感覚では現実感が乏しく感じるものであった。白書には空港のレイアウト図が掲載される程度で、具体的な候補地については関東地方のどこかという程度の記載で止められていた。

 それは当時、流行っていた子供向け雑誌の未来都市よりは現実感がある。その程度の認識が世間での大方の見方であった。

 しかし石山によると空港の予定地は当白書が刊行される前より決まっていたとのことだった。スイートルームで石山は呟いた。

「白書が出る前だよ。運輸省は秘密裡に全て決めていた。だが、私が裏の仕事に駆り出されたのは、その後だ」


 運輸省は白書が出る前から、秘密裡に候補地選定をしていた。白書が出る前には候補地選定は終わっており、現在地の場所に決まっていた。

 そもそも条件に合う候補地など限られていた。求められていた条件を羅列すると以下のようになる。

 ・首都圏内である。

 ・羽田空港の飛行経路や首都圏上空の米軍管制などが複雑に入り組んだ領域を避ける。

 ・それ相当な用地が確保できる。

 ・人口密集地ではない。

 ・地盤が頑丈である。

 ・周辺に山がない。

 これだけの条件が揃っている場所など、そうそうにある訳がなく、それが現在地だった。


◆妨害者たち

 しかし、いきなり候補地として名前を上げることはしなかった。否、できなかった。地名を上げた瞬間、国内のありとあらゆる者たちが騒ぐことが火を見るよりも明らかだった。

 ・用地取得に反対する農民

 ・騒音で反対する付近住民

 ・反政府活動を娯楽としている左翼系テロリストとそれに乗せられる学生

 ・政財界の利害関係者

 ・そして、それらの騒動を面白おかしく煽るマスコミ


 これらの妨害要素を避けたり排除したり懐柔させたりしながら、空港建設をしなければならない。特に警戒しなければならないのは「左翼系テロリストとそれに乗せられる学生」である。

 彼らは口では「平和主義」「平和憲法」「非武装中立」と非暴力を訴えながら、その実は数多くの暴力行為を繰り広げていた。しかし、彼らにとっての非暴力は自分たちに対して、暴力を振るなという意味でしかない。彼らは叫びながら火炎瓶を握り、正義の名の下に血を撒き散らした。

 それどころか彼らは、より積極的に自ら暴力行為に及んでいた。そして世の中を糺すものとして正当化した。

運輸省にしたら、そんな左翼の動向に神経を尖らせるのは当然のことであった。


 ただ、運輸白書が発行されたときにおいて、左翼よりも警戒しなければならない対象がいた。それが政財界であった。


◆産業計画会議

 産業計画会議(1956年〜1971年)という経済問題を中心とした政策提言を行うシンクタンクがあった。その中で様々な提言がなされたが、第七次勧告1959(昭和34)年「東京湾2億坪埋め立てについての勧告」という提言が新空港計画に影を落としていた。


 当時、東京は地方からの大量の人口流入で過密化問題が発生していた。その解決策として、産業計画会議は第七次勧告として、東京湾を埋め尽くして新市街の造成を提言する。


 東京湾の3分の2に当たる2億坪を埋め立て、新市街地を建設するものである。第七次勧告には空港についても言及されており、新空港はその埋立地に建設しようとするものだった。

 これを強く主張していたのが当時「財界のブルドーザー」と言われた大川栄太郎である。大川は木更津沖を埋め立てて巨大空港建設する案を主張していた。

 大川の背後にいた建設大臣山野洋平は、煙草の煙が渦巻く部屋で木更津沖案を叩きつけた。官僚たちは沈黙し、その重圧に呻いていた。


 しかし当時の運輸省内において、木更津沖案はありえない案として一蹴していた。木更津沖案は羽田空港と航空路が干渉し、羽田空港の運用に支障を来す。また着陸ルート上にある房総半島の山を大々的に崩す必要があり建設の手間が増えることを嫌った。

 技術的にも無理があった。木更津沖の埋め立てと川崎からのアクセスは、当時の技術では夢物語だった。


 何より最大のユーザーである航空会社が木更津案を望んでいなかった。航空会社にとって、最も理想は羽田空港の拡張であった。しかし、当時の土木技術では空港の拡張が不可能であった。

 そのため次善として羽田空港が存続されるのであれば、新空港は都心から多少離れていても良いというものだった。それが現在の首都空港の場所になる。

 こうした事情から木更津案は運輸省内で黙殺した。しかし、有力政治家で建設大臣でもある山野の意向を全く無視することも出来ない。よって、既に予定地は決まっていたにも関わらず、白書には何処の場所も記さなかった。


 石山は目を細めて続けた。

「農民の怒号に、左翼の叫びに、政財界の囁きに、どれも鬱陶しい雑音だったね」


 このように住民、左翼、政財界と空港建設において障害に成る面々を刺激せずに慎重にことを進めることが求められた。

 こうして白書は机上の夢を抜け出し、血と影の現実へと踏み出した。そして、石山はその尖兵となり、裏金を武器にして冷たい闇に挑むことになる。

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