水面下

老人

◆老いたホテル

 私が足を踏み入れたのは、東京首都国際空港内のホテル「京葉エアポートホテル」――京葉電鉄のグループ企業が運営する施設だ。空港用地買収に京葉電鉄が大々的に協力した功績から、開港時に優先的に空港内に建設された。

 1975年の開港以来、50年近くを経て、繁栄の裏に潜む影を静かに湛えている。開港と同時に開業し、半世紀近くを経たこのホテルは、壁のひび割れや色褪せた装飾にその年月を刻んでいる。

 この老朽化した建物がそろそろ建て替えの時期を迎えるだろう。石山がここを選んだ理由は、単なる懐かしさではないだろう。そんな薄暗いホテルのロビーに、石山正明はいた。


◆老いた妖怪

 昭和10年、東京市杉並区(現在の東京都杉並区)に生まれた男は、今年で89歳になる。かつて一橋大学法学部で学び、京葉電鉄に入社した若者は、総務部で法務を担い、やがて秘書課へと移った。

 そこで彼は裏の才を開花させた。空港用地買収を統括するダミー会社への出向が、その第一歩だった。


 年老いて背が縮んだと見られるが170cmはあり、今でも威圧感がある。若い頃、175cmくらいはあったと思われ、当時の日本人にしては、かなり高い方であったであろう。杖を手にしてはいるものの、自力で歩くくらいの気丈さを見せていた。

 灰色のスーツに身を包み、皺だらけの顔には深い溝が刻まれている。目はかつての鋭さを失わず、濁った光の中で時折、冷たく輝く。薄くなった白髪は後ろに撫でつけられ、長い人生の重みを背負うように、肩がわずかに落ちている。声は低く、錆びた刃のような響きで、言葉の端々に古い東京の下町訛りが滲む。

 彼は古びた革の手帳を手に持ち、親指で無意識に角を擦っていた――長い年月で染み込んだ癖だろう。


「久しぶりだな」

と彼は呟いた。その一言に、私はこの男の死期を悟った。かつて取材で会った時の彼の声はもっとはっきりした声量でそして鋭いものがあった。そんな鋭い声が弱々しくなったことに少し驚くと同時に当然であるなと納得した。

 ホテルの2階にあるレストランで昼食を共にした。薄暗い照明の下、古びた木製のテーブルには傷が刻まれ、空港の喧騒が遠くに響く。石山はスープを静かに啜りながら、時折窓の外――貨物ターミナルの屋根越しにちらつくジェット機――を見つめた。


 食後、ホテルの最上階にあるスイートルームに案内された。ただ最上階といっても、空港内の施設であるため高さは限られる。旅客ターミナルと貨物ターミナルの屋根と壁面に囲まれ、窓からは下の道路と鉄道、遠くにジェット機の離発着が見えるだけだ。部屋は広く、重厚なカーテンが陽光を遮り、古い絨毯にはタバコの匂いが染みついていた。

 彼は革張りの椅子に腰を下ろし、何冊かの手帳をテーブルに置いた。

「手帳は死んだ後で渡す」

と彼は言った。その手帳には空港の礎を血で固めた男の記憶が宿っているかのようだった。

 そして男は壁と屋根に取り囲まれ見晴らしが良いとは言えない窓を見た。その視線は遠く、まるで昭和30年代の血塗られた用地買収の光景を見ているかのようだった。私は息を呑み、彼の次の言葉を待った。


 男は毒気が抜けたような表情で言葉を発した。

「君を呼んだのは他でもない。察しての通り、もう長くはないのでな。それでこれまでにあったことを思い出話として聞いて欲しくなった。ただ内容が内容だけに公表は私が死んでからにして欲しい」

そして、男は老眼鏡をかけて、手帳のページをゆっくりとめくった。

「老眼鏡かけないと、読めない」

と言った。こんな殆ど妖怪だった男ですらも普通の老人のように老眼鏡をかける姿に私は内心、滑稽に思った。


 私は、この老人に気に入られているようであった。それが何故だか、未だに分からない。ただ、これまでに様々な話を聞き出せたことは確かであり、貴重な情報源であった。


◆裏街道を歩く

 石山は空港用地買収の統括するダミー会社に出向した際、後に「参議院の帝王」と呼ばれた参議院議員砂岡脩造に見出される。当時、砂岡は運輸大臣園部幸太郎の腹心で、東京首都国際空港の用地買収を任されていた。そうしたことから、石山は砂岡と知り合うようになった。

 首都空港が開港後、石山が京葉グループ内の派閥抗争に巻き込まれて京葉グループから離れることになる。そのとき砂岡に拾われる。その後は砂岡の爪牙となって、日本中の国家プロジェクトとりわけ原発と所謂「原発見返り3セット」(道路・空港・新幹線)の建設のための裏工作に勤しんだ。


 オイルショックを経験した日本は石油が断たれる恐怖に取り憑かれた。それは戦前日本で石油が断たれて、国家存亡の危機となり無謀な戦争に突き進んだ恐怖を思い起こさせるものであった。

 そうしたことから、政府や電力会社は恐怖から逃れるかの勢いで原子力発電所を日本各地に建設し、脱石油化を図ろうとした。その際に地元住民や県に見返りとして道路・空港・新幹線の「原発見返り3セット」が建設されていった。


 そんな中で石山は東郷重成とも知り合うようになった。東郷は東海道・山陽新幹線を所有運営しているNR西日本の社長・会長を歴任し、その後も実質的支配者として君臨した男である。

 東郷はかつて国営であった日本鉄道(通称:日鉄)で、見返りで建設される原発新幹線の日鉄側の窓口になっていた男である。そのため、原発新幹線を一緒になって計画と用地買収の地ならしをした仲でとなった。

 後に東郷は日鉄分割民営化する際に日鉄内の改革派の中心的人物となり、分割民営化時にはNR西日本の副社長に収まる。そして社長。会長となってNR西日本を実質的に支配するようになる。


 1993(平成5)年に砂岡が大阪湾国際空港の開港式典で暗殺され、大々的な政界再編が発生した。石山が政界再編の混乱から逃げるため、マニラの邸宅に身を潜めることがあった。その後、事態が沈静化すると日本での活動を再開し、更には世界全体に活動を広げるようになった。

 こうして別の事業を営むようになった石山は東郷と疎遠となるが、あるとき再び東郷と関わることになる。それは当時NR西日本の相談役となり、そして隠然たる力で実質NR西日本を支配し続けていた東郷から依頼は意外なものだった。京葉電鉄の副社長になって欲しいである。


 バブル崩壊で経営が苦しくなった京葉電鉄にNR西日本がスポンサーとなって支援することになった。その目付として京葉電鉄の副社長になって欲しいというのである。

 最初、石山は派閥抗争があった古巣に帰ることを拒んだが東郷の粘り強い説得に折れ、京葉電鉄の副社長に就任した。社長とならなかったのは、社長となると余りにも露骨になり過ぎて京葉電鉄の社内で反発軋轢が生じかねなかったからである。

 それでも石山は京葉電鉄での実質的最高権力者として君臨し、京葉電鉄の再建に尽力した。京葉電鉄の再建を終えると副社長を辞め、形式的な相談役となり余生を送るようになった。


◆「夢の国」の妖怪

 いわば日本社会の裏街道を歩き続けた妖怪である。しかし、そんな妖怪のような男には意外な経歴があった。それが千葉県の東京都との県境にあるテーマパーク「東京ドリームユートピア」に深く関わっていたことである。

 東京ドリームユートピアは京葉錬鉄の子会社イースタンアイランド株式会社が運営している。石山は、そのイースタンアイランドの重役として、ドリームユートピアのライセンスを取得するための誘致活動を行った。ドリームユートピアの総帥であるダニエル・アダムズとは難交渉を繰り返す。


 アダムズは日本にライセンス供与をする気がなかったが、背に腹は代えられない事情も抱えていた。

 そのころアダムズはカルフォルニア州アナハイムにあるテーマパーク「ドリームユートピア」に続き、新たにフロリダ州の湿地帯に山手線内側の面積約1.6倍の広さを持つ巨大テーマパーク「ドリームユートピア・ワールド・リゾート」の建設に邁進していた。

 当然のことながら、莫大な資金が求められアダムズは資金調達に躍起になっていた。そこに京葉電鉄が出資するという条件を出した。それでアダムズはようやくライセンスを供与するに至った。こうして東京ドリームユートピアの開業にこぎつけた。


「裏街道の妖怪」が「夢の国」を造るというのが実に皮肉で滑稽ある。しかし、これこそが昭和・平成にかけての日本経済の裏面史である。そんな石山が裏街道の妖怪になる切っ掛けが昭和38年運輸白書からであった。

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