第5話 邪龍の過去
僕はまだ、ヴァルシアの横顔から視線を外せずにいた。あの赤い髪が微かに揺れるたび、琥珀色の瞳がぎらりと煌めくたび、まるで何百年もの時を越えてきた重みを感じるから不思議だ。先刻までは彼女に自分の過去を話すばかりだったのに、今はヴァルシアが古代文明時代の話をしようとしている。なにもかも想像がつかない。だけど、知りたい。その好奇心が、少し不安定な胸の内を騒がしくしていた。
「――我が、古代文明の時代に何をしていたか、そなたに話してやるのも妙な巡り合わせだな」
ヴァルシアは淡々とした口調でそう言いながら、石の上に腰をおろした。今の彼女はどこか静かで、深い水面のような沈黙をまとっている。思い返せば、この谷底で目覚めた直後の彼女とは少し違う雰囲気だ。
「そなたが、どうして封印されたのか……それが気になるんです。すごく強い力を持っているから、なんて単純な理由じゃないですよね?」
思い切って尋ねると、ヴァルシアは小さく鼻を鳴らした。
「理由は単純といえば単純かもしれぬ。我は、言ってしまえば『人間の手によって造られた存在』なのだからな」
造られた――その言葉を耳にした瞬間、僕は息をのむ。自分の耳が信じられない気分だった。
「僕のいた魔導学院じゃ、ドラゴンって古代種族のひとつだと習いました。でも、あなたは生まれたっていうより……造られたんですか?」
「そういうことだ。もとより、古の人間どもは強大な竜の力を模した『究極兵器』を欲したらしい。そこで魔術と錬金術、そしてドラゴンの血から抽出した因子を組み合わせ、我を造り出したのだ」
聞いているだけで、血の気が引いていくようだ。それほどの魔術技術を、遥か昔に人間が持っていたなんて。その時代がどれほど高度だったのか、想像できない。でも、僕は同時に大きな違和感を覚えた。
「でも……そんなふうに造られたって、まるで道具扱いですよね。兵器として、って……」
ヴァルシアは小さくうなずきながら、岩壁に視線を送る。
「むろん、我も道具として扱われることに当時は疑問を抱かなかった。生まれながらにして、そういう存在なのだとすり込まれていたからな。周囲の人間どもは、我を竜の力をまとった人形のように考えていた。命令に従順で、破壊力抜群の最強兵器を求めたのだろう」
「そんな……」
僕は唾を飲み込む。自分の意志とは関係なく、最初から人間の手によって作られ、兵器として利用される運命。そんなもの、すごく悲しいじゃないか。学院時代、僕が努力しても認められなかった辛さなんて可愛いものかもしれない。
彼女はある意味、生きる意味を歪められたまま生まれ落ちたというわけだ。
「とはいえ、彼らにとっても竜の力というのは未知数だった。我は想定以上に魔力を発揮できたから、次第に扱いきれぬ化け物扱いされるようになり、ついには封印という決断を下されたのだよ」
ヴァルシアが苦笑する。軽く見える仕草だけれど、その表情には確かに憂いがにじんでいるように見えた。人工的に生み出されたとはいえ、こうして僕の前で普通に会話している彼女は、とてもただの兵器なんかじゃない。血も涙もある、生き物であり――むしろ人間のような感性さえ持っているはずだ。
「そんな……ひどいじゃないですか。あなたが何か危害を加えたとかじゃなく、ただ強大すぎるって理由だけで……封印されたんですか?」
「そうだ。我が力は当時の人間にはあまりに大きすぎたらしい。暴走の危険あり――とでも言われておったが、まあ、封印しておけば安全だという愚かな発想だろうよ。実際、我は暴れ回りたいわけでもなかったのだがな」
「ひどい……」
僕は思わず拳を握りしめる。たとえ制御が難しいとしても、当人には意志があるのに、それを無視したまま危険のひと言で封じてしまうなんて……。確かに彼女の力は怖いかもしれないけれど、僕はそれより、彼女が人々に受け入れられなかった孤独のほうがよほど恐ろしい。
「……実際、我が自分で力を制御しきれていたかどうかは微妙なところではある。人間どもに命令として破壊行為を課された時代、我が身に宿る力が凶暴化しそうになったことはある。だが、それを暴走だと決めつけ、封印に踏み切ったのは奴らの都合だ」
ヴァルシアが語るその一端から、僕は人と竜の力の融合がどれだけ常軌を逸しているのかを思い知らされる。相手が多少危険を感じたとしても、いきなり封印で追い出すなんて、あんまりだ。
たった一度の失敗や誤解で、相手を完全に排除する――それはどこか、僕が突き落とされた状況にも似ている気がした。僕は魔法をまともに使えないから、という理由だけで荷物扱いされ、最後には捨て駒にされた。ヴァルシアは逆。あまりにも強大な力を持っていたから、社会から弾き出された。
「僕とは真逆ですけど……わかる気がします。僕だって魔力がないって理由だけで、結局見放されましたし。人間って、都合が悪いと切り捨ててしまうところがあるんでしょうか……」
言いながら、胸がつまるような感覚に襲われる。僕も、そしてヴァルシアも、力の有無で差別されてきた。彼女がどれだけ孤独だったか想像するだけで、申し訳ない気持ちにさえなる。学院で嘲笑われた記憶がフラッシュバックして、思わず目を伏せた。
「なに、そなたと我を一緒にするな……などと言うつもりはないぞ。我も、そなたが抱えてきた苦しみが嘘だとは思わぬ。むしろ、似たようなものだろうな」
「ヴァルシアさん……」
「我はただ、自由に生きたかっただけだ。この世界で兵器だの破壊者だの呼ばれるのはうんざりだった。そなたも同じであろう? 落ちこぼれだとか無能だとか、勝手に貼り付けられた烙印に押しつぶされそうだったのではないか?」
彼女の言葉に、僕の胸は妙に熱くなった。こうして静かに話をしていると、まるで自分の過去を全部見透かされているような気がする。でも、不思議と嫌な気持ちはしない。むしろ安心感が生まれる。僕はうつむいたまま微かに笑ってしまった。
「そう、ですね……あまりにも無力で、それでも努力しているつもりだったから、捨てられたときは本当に辛くて。でも、今は力が強すぎるって理由で捨てられた人に出会うなんて、ちょっと考えもしませんでした」
「そなたもなかなか妙な奴だな。普通なら、我の出自を聞けば恐怖するものだが」
「そ、そうでしょうか。僕からすれば、ヴァルシアさんは生きてる存在に見えますよ。ただすごく強いだけで……本当は優しいんじゃないかって、少し思っちゃいましたし」
「優しい、とは我の辞書にない言葉だが……まあ、否定はしないでおこう」
ヴァルシアがそっぽを向くようにして視線を逸らし、僅かに頬を緩める。高慢に見える振る舞いの中に、繊細で傷つきやすい部分があるのだと思うと、ますます共感が湧いてきた。僕とは違う形で苦しんできたけれど、間違いなく人間らしい感情を持っている。
「ねえ、ヴァルシアさん……あなたの夢って、なんですか?」
自分で問いかけながら、ドキリとする。もともと兵器として造られた彼女に、夢や願いなんてあるんだろうか?
「夢……か。さっきも言ったが、我はただ自由に生きたいのだ。誰にも干渉されず、好きに空を飛び、好きに眠り、好きに笑える世界に生きたい。無論、誰かを無闇に傷つけたりはしたくないし、争いにはもう関わりたくもない」
「……それ、すごく素敵だと思います。僕も、魔法学院や冒険者ギルドで誰かに評価されたいって思ってたけど、結局それは自由に生きたいって思いが奥底にあるのかもしれません」
「かもしれぬな。だが自由に生きるためには戦わなければならぬ、我の力が争いに用いられるなどあってはならぬことなのだからな」
ヴァルシアはゆっくりと立ち上がり、肩にかかった赤い髪を指先で払いながら、ちらりとこちらを振り返った。
真に自由を掴むためには、皮肉にも自分を縛ろうとする世界へ立ち向かわねばならないのだと、彼女の瞳は静かに語っているように見えた。
彼女の力を解放してあげたいと思うのは、もしかしたら自分のためでもあるのかもしれない。僕は意を決して口を開いた。
「ヴァルシアさん……もし、僕でもできるなら、あなたが封印された力を集める手伝いをしたいです。僕は『落ちこぼれ魔導師』と言われてきたけど……もう、そのままじゃ終わりたくない」
「ほう。そうか。そなたは自分のために、そして我のためにも、動くと?」
「はい。人間に作られた兵器なのに、ただ平和に生きたいだけなのに、勝手に恐れられて……なんだか僕と同じ空気を感じるんです。理不尽に排除される辛さは、すごく分かる。だから……助けたいと思いました」
我ながらストレートに言葉を出せたな、と少し驚く。だけど、それくらいヴァルシアの境遇に胸が痛んだのも事実だし、僕自身がもう『落ちこぼれ』として終わるのはごめんだという気持ちもある。彼女は僕の手を借りたいと言ってくれた。それが今の僕には、何よりもうれしい。
「……そなたは面白いな。本当に、我と似ておるような気がする。ならば、共に来るが良い。六つに分割された邪龍の力を取り戻すための旅に、我が導いてやろうではないか」
「六つ……ですか?」
「そうだ。どこに封印されたかまでは分からぬが、世界各地に分割されているのは確かだ」
僕一人ではどうしようもなかった人生の暗闇が、ヴァルシアの存在によって照らされていく――そんな予感がする。六つもの欠片を大陸の隅々まで探していくなんて、正直気が遠くなる。けれど、だからこそ落ちこぼれとして追われるように生きてきた自分が、いま初めてやり遂げたいと思える何かを見つけたように思えた。
「なるほど……じゃあ、それを探すために僕たち、この谷底から出ないといけないってことですね」
「ふん、そういうことになるな。谷底にずっと留まっていては、何も始まらん。体の方は大丈夫か?」
「えっと、まだ痛みますけど……なんとか歩けます」
そう言いながら立ち上がろうとすると、ヴァルシアが軽く腕を貸してくれた。先ほどまでの尊大な姿勢が嘘みたいに、さりげなく気を配ってくれる。この人に救われていなかったら、僕はここで本当に野垂れ死にしていたんだ。
「そう言えば……そなたの名前をまだ聞いていなかったな、名を教えてくれぬか?」
「……リオ・フェルトです」
「リオ、か。では行こうリオ、我々の自由を勝ち取りに」
「はい、ヴァルシアさん。よろしくお願いします……!」
そう答えながら、僕はしっかりと彼女の腕を借りて立ち上がる。まだ痛みはあるが、その痛みがこれから始まる旅の第一歩だと思うと、不思議と悪くない気分だった。
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