第4話 落ちこぼれ魔導師の過去
僕は谷底の岩肌にもたれかかったまま、どこか心許ない気持ちで思考を巡らせていた。身体の痛みはまだ残っているけれど、あの頃に比べればずっと楽だ。少し前に立ち上がって歩けるようになっただけでも奇跡に近い。それも全部、目の前にいるこの邪龍ヴァルシアのおかげだと思うと、なんだか不思議な気分だった。
さっきまでは、そんな彼女の存在に驚かされるばかりだったけれど、このまま一緒に行動していいのか。僕は内心で葛藤していた。でも、死にたくないとか、助かりたいとか、そういう思いが強すぎて、深く考える余裕もない。気づけば、彼女とともにここを出る未来を受け入れようとしている自分がいた。
「……落ちこぼれの魔導師、か。ちょっと信じられぬな、そなたがそこまで無能だというのは」
ヴァルシアの澄んだ声が、沈黙を破るように響く。彼女の口調はどこか尊大なのに、妙に柔らかさも伴っている。
「あ、えっと……実際、学院でもまともに魔法を使えたことがなくて……」
僕は肩をすくめながら、石壁に寄りかかる体勢を少しだけ正す。身体の痛みが鈍く残り、顔をしかめそうになるが、ここで弱音ばかり吐いても仕方がない。何より、ヴァルシアに自分の過去を話すと決めた以上、最後まできちんと伝えたいと思った。
「黙っていては何も分からんぞ……もっと詳しく、我に聞かせよ」
彼女の言葉に軽くうなずくと、僕は意を決して口を開いた。正直、こういう話をするのは抵抗があるけれど、涙がこぼれてしまう前に、一気に話してしまいたい。
「はい……。僕は、魔力至上主義の国にある魔導学院に入学したんです。一応、魔力の測定を受けたときは中の下くらいだったので、入学自体はできた。でも、どういうわけか実技の授業になると、まるで魔法がまともに発動しないんですよ。詠唱をちゃんと学んでも、術式を覚えても、なぜか失敗ばかりで……」
思い出すだけで気が重くなる。学院時代は最初こそ夢と希望に胸を膨らませていたのに、すぐに落ちこぼれと呼ばれるようになった。周りの生徒が簡単に火球や水の矢を放つなか、僕だけは詠唱をすればするほど空回りして失敗を連発。評判はがた落ちし、結局途中で退学する形になってしまった。
「授業を受けても理解が追いつかないし、試験でも満足に成果を出せない。講師の先生方にも見放されて、クラスメイトからは……その、バカにされることも多くて。僕だって努力したんです。寝る間も惜しんで詠唱練習したし、術式の基礎理論も人並み以上に勉強したつもりで……」
ここまで語っているうちに、胸の奥がきゅっと締めつけられるようになる。ヴァルシアは、静かに目を伏せたまま僕の言葉を待っているようだ。彼女が何を考えているかはわからないが、少なくとも否定はされていない。それだけでもありがたい。
「でも、頑張っても頑張っても、一向に魔法が使えるようにならない。そのうち周囲からは落ちこぼれとか無能とか言われるようになって……ついに退学しちゃって。これで魔法の世界とは縁が切れたって、最初は思いました」
唾を飲み込みながら言葉を続ける。学院を去った僕は、何とか生き延びるために冒険者ギルドに登録した。パーティーを組んで遺跡やダンジョンに潜り、少しでも実績を作ろうとしたけど、そこでも足手まとい扱いは変わらなかった。重い荷物を持たされたり、小間使いのような扱いをされたり、ぶつくさ言われて居場所もほとんどなかった。最後には――
「それで、今回……強そうなパーティーに拾われて、大きな遺跡探検に参加してみたんです。最初は『今度こそ活躍したい』って気持ちが大きくて、一生懸命やりました。けど結局、僕は何もできないまま……怪我をして、それが邪魔だって言われて……。深い谷底へ突き落とされたんです」
必死に話しているうちに、声が震えてきた。冒険者仲間と呼べる人が誰一人いなかった事実が、今さらのように痛んだ。どれだけ努力しても、誰も僕を認めてくれなかった。いや、それどころかあんな仕打ちまで受けるなんて、想像だにしていなかった。
「……本当に、情けないですよね。魔導学院でも、冒険者ギルドでも。頑張ってるだけじゃ、結果はついてこなくて……僕は魔法を使えない魔導師なんて呼ばれて。だから、自分には才能がないんだって……」
一度言葉を切った瞬間、こみ上げてくる悔しさに気づく。これまで押し殺していたいろんな思いが込み上げてきて、胸が苦しくなった。僕はもう、泣いているのかもしれない。言葉が詰まって、続きが出てこない。
「そなた……」
ヴァルシアの声がそっと耳に触れる。普段の尊大な雰囲気が薄れ、どこか戸惑いと優しさが混ざったような響きだ。顔を上げると、彼女が驚いたように僕を見つめている。僕は慌てて目元を拭おうとするが、うまくいかない。涙が止まらないんだ。
「ごめんなさい……こんなの、みっともないですよね」
「泣くな、そなたが悪いわけではない。努力しても報われぬことなど、いくらでもあるものだ」
その言葉が、思いのほか胸に沁みた。自分を否定しないでいてくれる人がいる。それだけで救われる気がして、さらに涙が増えてしまう。恥ずかしくて、顔を横に向けてしまうけれど、ヴァルシアが僕の背中に軽く手を当ててくれた。その仕草があまりに自然で、僕は少しだけ心が落ち着いたように思える。
「……すみません。でも、なんか、うれしいんです。あなたが、僕を否定しないでくれて」
「我はそなたの無力を責めるつもりはない。何しろ、そなたはここで我を解放し、自分の命をつなぎとめる度胸を見せたではないか。そこに落ちこぼれなどの烙印を押す意味があるのか?」
ヴァルシアは静かに言う。僕から見れば、人型の姿で蘇ったばかりの邪龍という存在。でも彼女の眼差しには、人間らしい温かみがにじんでいた。いったいどれだけの年月を封印のなかで過ごし、どんな寂しさや怒りを抱えていたんだろう。僕はその一端を想像しつつ、鼻をすすりながら言葉を継ぐ。
「ありがとう……でも、それでも魔法が使えないのは事実で。僕、学院じゃ魔力が低すぎるからって散々言われてたし……」
「ふむ。だが、そなたの魔力の低さは本当にそうなのか。我からすると、まるで測定の仕方が合っていないだけにも思えるが」
ヴァルシアは僕の手をそっと取り、まじまじと眺める。僕の手のひらから何かを感じ取ろうとしているような仕草だ。濃赤の髪がわずかに揺れ、その琥珀色の瞳が透き通ったまま僕を見上げる。心臓が少しだけ高鳴るのがわかった。
「魔法というものは、術式を組み上げてマナを制御し、結果を生み出す。それが通常の理屈。だが、そなたはその通常の理屈を軸とする世界には、どうやら馴染めぬ性質を持っている」
「僕が……馴染めない性質?」
「うむ。詠唱や術式による効率化を飛び越え、まるで『意識のイメージ』を直接現象に結び付けるような、そんな不安定な兆しを感じるのだ。だからこそ、学院では失敗ばかりしたのではないか?」
彼女の言葉に、僕は頭の中がぐるぐるする。確かに学院での練習でも、言われた通りの詠唱をしようとしても、どうもうまくいかなかった経験を何度もした。でもそれって、単に僕の実力不足だと思っていた。でも彼女はそうじゃないと?
「分からない……です。でも、もし本当にそうなら、僕に魔法は使えなくても、何か別の可能性があるってことですか?」
「そうだ。そなたにとって『魔法』という概念はむしろ拘束に過ぎぬ。もしかすると、そなたが本来持ち得る力は、魔法の域を超えた何か……。我が知る限り、人々はそれを恐れる可能性もあるがな」
ヴァルシアは少し楽しそうに微笑む。その微笑みに、僕の胸は大きく揺れ動く。自分の力が魔法の域を超えている? そんな馬鹿な、と思いつつも、彼女の言葉は妙な説得力を帯びていて、まるで新しい道が開けるような気がしてしまう。追い詰められていた僕には、それだけで大きな希望だった。
「でも、僕は制御なんてできる気がしません。実際、学院で散々失敗してきたし……」
「そこが問題だ。そなたには指導者がいなかった。学院の普通の魔法理論では合わぬのだからな。だが、我が古代に得た知識なら、何らかの形で活かせるかもしれん」
「あなたが……教えてくれるんですか?」
驚きで声が大きくなってしまう。ヴァルシアはさも当然のようにうなずいたあと、少し意地悪そうな笑みを浮かべた。
「そなたは我を封印から解放してくれた。そのお礼として、そなたを鍛え上げるのも悪くないと思うてな」
「でも……それだけでいいんですか。僕が訓練を受けるなんて、凄く大変だろうし、僕は迷惑かけちゃうかも……」
「ふん、遠慮はいらぬ。代わりに、そなたには……我の封印された力を解放するのを手伝って欲しい」
ヴァルシアの言葉に、僕は思わず息を飲む。
封印された邪龍の力……。そんなことに手を貸してしまっても良いのだろうか?
「それは……どうすればいいんでしょうか」
「詳しくはまだ話していないが、我の力はおそらく複数の封印に分割され、大陸各地に点在している。そなたには、それらを探す旅に付き合ってくれぬか?」
彼女の声は落ち着いているけれど、目の奥には熱い炎のような意志が見えた。自分の力を取り戻すために、相当な苦労が必要になるのだろう。それでも、僕にとっては新たな道だ。仮に危険だとしても、もう何も残されていない僕には、彼女の提案が希望に映る。でも……
「なるほど……でも、その、すみません。僕、あなたのことをまだ何も知らなくて。どうして封印されていたのかとか、邪龍って呼ばれる理由とか……色々聞いておきたいんですけど」
「ふむ。そなたが道連れとなる以上、我を知らぬままでは確かに動きづらいか」
「はい。協力したい気持ちはあるけど、いったい何者なのか知らないままじゃ……ちょっと不安で」
「よかろう。我が話してやろう。そなたが納得するまでな。力を解放するためにも、互いを知ることは悪いことではあるまい」
そう口にした瞬間、彼女はわずかに頷き、琥珀の瞳を揺らして僕を見つめた。漆黒の谷底に、ほんの少しだけ優しい光が生まれたような気がする。
新しい道を踏み出すために——僕は強く息をつき、彼女の言葉をしっかりと受け止める準備をした。
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