第6話 番人の巨岩
少しずつ、僕とヴァルシアの足音だけが谷底に響いていた。狭く崩れかけた通路を探して少し進むと、ひんやりとした空気が肌を刺した。日の光が届かないせいなのか、湿った岩肌が青白く光を反射しているように見える。
ゆっくりと歩を進めながら、僕は背負っている自分の荷物を抱え直した。まだ完全には痛みの取れない肩が少し悲鳴を上げるけれど、気にしていても仕方がない。視線を前に向けると、ヴァルシアが探査魔法を放って周囲の構造をじっと探っていた。上から下まで、虹色の薄光がちらちらと壁に映り込んではすぐ消える。
「……ふむ。崩れた箇所が多いが、どうやら左手の壁沿いに少し上へ続く通路があるようだ」
ヴァルシアが低い声で報告する。高慢な口調こそ変わらないものの、その語尾にはわずかな疲労が漂っていた。封印を解かれたばかりで、まだ本調子でないせいだろう。それでも彼女は凛として、まっすぐ前を見据えている。
「大丈夫ですか? 復活した後でまだ本調子じゃないとか……」
「ふん、我を侮るな。この程度の魔法を使いこなすことなど、造作もない。そなたこそ、足元の痛みはどうなのだ?」
「まあ、まだ痛いです。でも大丈夫ですよ。これまで何とか歩いてきましたし、ここで倒れるわけにはいきませんし」
そう言いながらも、内心は少しひやひやする。僕はろくに魔法も使えないし、ヴァルシアは封印が解かれたばかりで不安定。そんな状態でこんな遺跡を抜けるなんて、できるのだろうか?
「そなた、足を踏み外すなよ。これは通路というより崩壊した跡のように見える」
「言われなくても、気をつけますって。……って、わあっ!」
思わずのけぞりながらも、危うく落ちかけた石段に苦笑いする。ヴァルシアはため息混じりに小声で「だから言ったであろう」と呟いてから、ひらりと身を翻して僕の腕を掴んだ。
「すみません、ありがとうございます。もう少し慎重に進みます」
「ふむ、最初からそうしておればよい。……我も封印を解かれた直後で、そこまで無理はできんからな」
「は、はい」
ちょっとだけ肩をすぼめて笑ってみせる。ヴァルシアの物言いには棘が混じっているが、優しさが垣間見える。そのギャップを感じるたび、僕はなんだか照れくさくなるのだ。
さらに数分ほどかけて、僕たちは崩れた谷底を後にした。周囲はいつしか岩壁から剥き出しの石造りの壁へと変わり、まるで遺跡の内部を真上に向かって歩いているような印象が強まる。光源はランタン程度しかないから、湿気やカビの匂いがより一層濃い。うっすら漂う埃の中、ヴァルシアが先導し、僕は後ろで照明で辺りを明るくしながらサポートに回った。
「そういえば、ヴァルシアさん。僕の魔法って、今はまだこんな感じなんですよね……」
試しに手のひらへ意識を集中すると、一瞬だけ光がしゅっと弾けた。でもすぐに消えてしまう。この程度の光じゃ、街灯以下だろうなと思うと、さすがに落ちこむ。
「まぁ原理が違うならそんなものなのかもしれぬな」
「……そうなんですかね」
「気を落とすな。そなたにはまだ鍛錬の機会が残されておる。焦らず、ゆっくりと鍛えていけばよい」
その言葉を聞いてほんの少しだけ胸が暖かくなる。ヴァルシアにとっては多分当たり前の励ましかもしれないが、誰も僕の力を認めてくれなかった学院時代を思えば、こんな一言すら本当にありがたい。とにかく頑張るしかない、と自分を鼓舞しながら足を進めた。
突然、ヴァルシアが足を止める。探査魔法があちこちへ伸びるように広がり、その色が少し暗めの青へ変化した。
「どうしました?」
「……なんだか、嫌な気配を感じるな。ここは遺跡の奥深く……そなた、気を緩めるなよ」
「はい、わかりました」
僕も思わず身構える。通路の先には、大きく壊れかけの扉が見えた。扉の上半分は崩れ落ち、古代文字が刻まれた破片が転がっている。ヴァルシアの視線がその破片に注がれ、何かを思い出そうとするように眉をひそめた。
「ここには、我の封印維持の副装置があったやもしれん。そうなると、古代の防衛術式がまだ残っている可能性もある」
「防衛術式……ですか、もしかして番人みたいなものですかね?」
「ふん。さっきの簡単な探査魔法によれば、奥は少し広めの空間になっているはず。行くか?」
「ええ、行きます。立ち止まってても仕方ないですし」
こうして、僕たちは扉を踏み越えて奥へ進むことにした。床にひび割れが走り、中央部分がかすかに沈んでいる大きなホール状の場所だ。天井もかなり高い。さっきより空気が冷たく感じるのは気のせいだろうか。心臓が静かに鼓動を速めているのを感じる。
「ここ、見渡しが悪いわけじゃないのに……妙に圧迫感がありますね」
「……何かが潜んでいるのだろう。注意せよ、リオ」
ヴァルシアがそう言った直後だった。ゴォン……と鈍い振動が足元を揺らすように響く。上かと思えば下からも金属質のきしむ音が立ち上り、背筋が総毛立つ。まるで巨大な装置が起動したかのような、不気味な振動だった。
「ヴァルシアさん、今のは……」
「来るぞ。構えろ」
彼女がどこからか取り出した槍を手に取り、その刃の部分にうっすらと風の魔法をまとわせるのが見えた。僕は完全に胸が高鳴ってしまい、だけど逃げ出すわけにはいかない。視線を彷徨わせると、半壊のホールの中央で何かがゆっくりと動き始めるのが分かった。
金属光沢のある、巨体。両腕は太く、脚部はずんぐりとした柱のように見える。頭部には魔法陣らしき紋様が刻まれ、全身は銀の光を放っている。そいつがガシャリ、と重い音を立てて振り向いた。
「うわ、おおきい……!」
身の丈は僕の数倍以上。ミスリル合金特有の、青銀色の鈍い輝きがホール全体を照り返している。その表面には魔力の筋が走り、魔法陣とも見える装飾がびっしりだ。
「リオ、気をつけろ。もしこいつが我の解放を阻止するガーディアンなら、ここで倒さねば先へは進めん」
「は、はいっ! ……う、うわ、怖そう」
そう言うが早いか、ミスリルゴーレムが動き出す。重々しい一歩を踏み出すたびに、地面が揺れる気がするほどの威圧感だ。ゴーレムの目に相当する位置からは、赤黒い魔力の光がちらついている。もしこいつにまともに殴られたら、ひとたまりもないに決まっている。
「そなたも、助太刀してくれると助かる」
「下がりたいけど、やります! 僕だってもう、足手まといのままじゃ何も変われないから」
ヴァルシアが真っ向から飛び込む。槍の刃に風をまとわせて突き出すが、ゴーレムの硬い装甲が火花を散らしてはじき返す。その光景を見ただけで僕の膝は少し笑いそうになる。とはいえ、僕も観客でいるわけにはいかない。
イメージを集中する。だけど頭には学院時代の失敗が幾度となくよぎり、思うように力が集まらない。手のひらに光がまとわりつくものの、くるくると不安定に揺れるだけで形を作れそうにない。
「くそ……落ち着け、僕……!」
するとゴーレムの腕がヴァルシアの槍を払いのけ、横殴りの一撃を加えてきた。彼女は寸でのところで回避するが、その回転で足元が乱れたのが分かる。何とか姿勢を立て直そうとするが、ゴーレムの攻撃の勢いは止まらない。ずしん、と床に亀裂が走る衝撃音が響いた。
「ヴァルシアさんっ、下がって!」
「ふん、我を気遣う暇があったら、そなたこそ自分の本当の力を見せてみろ!」
ヴァルシアも本調子ではない。封印が解かれたとはいえ、長年封じられていた体では魔力の練度が下がっているのだろう。彼女が風魔法でなんとか防戦しているものの、ゴーレムの硬さとパワーには手を焼いているようだ。
僕は焦りを覚えながらも、ぐっと歯を食いしばる。ここで逃げ腰になったら、何も変わらないじゃないか。あんなふうに突き落とされたままで終わるのは絶対に嫌だ。――そう思った瞬間、胸の中で何かが強く燃え上がった。
「僕は……ヴァルシアを助けたい。何とか、この攻撃を止めて……!」
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