第3話 停滞
天使様としての日々が始まって数日。
僕は相変わらず「回復に専念」という名の、何もしない時間を過ごしていた。
豪華な食事、ふかふかのベッド、かいがいしいお世話。正直、元・しがない高校生の僕にとっては、夢のような生活だ。
…と言いたいところだけど、現実はそんなに甘くない。
心の中は焦りでいっぱいだ。いつまでも「回復中ですぅ」で誤魔化せるわけがない。
騎士団長のライナスさんの探るような視線も気になるし、何より、僕がこうしてのんびりしている間にも、魔王の残党とやらがどこかで悪さをしているかもしれないのだ。
(早くなんとかしないと…! 天使パワーの使い方を!)
そうは思うものの、手がかりはゼロ。記憶がないんだから当然だ。
はあ、いっそ、元の天使様のいた場所…天界? とかいうところから、「おい、何やってんだ新人!」みたいなお迎えが来てくれないだろうか。
夜、自室のベッドの中で、僕は試しにぎゅっと目を瞑って念じてみた。
(あのー、聞こえますかー? 天界のどなたかー? こっち、担当者不在なんですけどー! ヘルプミー!)
…しーん。
何の反応もない。天使の輪っかが光るとか、頭の中に声が響くとか、そういうファンタジー的な現象は一切起こらなかった。
やっぱり、元の天使様は明確な意識とか、そういうのがなかったのかもしれない。
僕が入り込んじゃった時点で、もう完全に「僕」なのかな。誰も助けに来てはくれない。
(だよなぁ…)
現実を突きつけられ、僕はがっくりと肩を落とす。こうなったら自力でなんとかするしかない。
まずは情報収集だ。幸い、僕のことを何でも知っている人物が近くにいる。
翌日、僕は庭園の散歩に付き合ってくれていた神官長に、さりげな~く話を振ってみた。
「あの、神官長さん」
「はい、天使様。何なりとお申し付けください」
にこやかに答える神官長。よし、食いつきはいいぞ。
「その…前の大きな戦いは、僕にとっても…やはり大変なものでしたから。改めて、あの時どうやって力を引き出していたのか、少し振り返っておきたいな、と思いまして」
あくまで「力を完全に取り戻すための確認作業ですよ」感を醸し出す。
すると神官長は、ぱあっと顔を輝かせた。
「おお! 天使様がご自身の御業にご興味を! 素晴らしい! もちろんですとも! 天使様の武勇伝は、いくら語っても語り尽くせません!」
…あ、やばいスイッチ押しちゃったかも。
案の定、神官長の語りは止まらなかった。
「かの魔王が絶望の闇で世界を覆わんとした時、天より降り立ちし光! それが天使様でございました!」
「七日七晩に及ぶ激闘の末、天使様の放たれた聖なる一撃が魔王の心臓を貫き…!」
「人々は天使様の御姿に涙し、そのお力にひれ伏し…!」
身振り手振りを交え、実に感動的なストーリーが展開される。すごい。映画化できそうだなー。
…で? 具体的にどうやって力を使ったの? ビーム? 剣? 魔法?
「あの、神官長さん。その…聖なる一撃、というのは、具体的にはどんな…?」
ちょっと変な質問かな、と思いつつ、恐る恐る尋ねると、神官長はうっとりとした表情で答えた。
「それはもう…言葉では言い表せぬ、まばゆいばかりの光の槍でございました! 邪悪を浄化し、希望をもたらす、まさに神の御業!」
…全然、具体的じゃない!唯一分かったのは、
光の槍?とやらを使うということだけだ。
結局、神官長から得られた情報は、「天使様はめちゃくちゃ強くてすごかった」という、漠然とした事実だけだった。
力の使い方については、「神々しい光の槍」とか「奇跡の御業」とか、そんな表現ばかりで全く参考にならない。
みんな、戦いの迫力に圧倒されて、細かいところは見てなかったんだろうか…。
(武勇伝はもうお腹いっぱいです…)
内心でため息をつきながら、僕は次の手段に移ることにした。書庫だ。神殿の書庫なら、天使に関する記録が何か残っているかもしれない。
神官長に案内されて足を踏み入れた書庫は、天井まで届く本棚が並ぶ、壮大な空間だった。革張りの古そうな本がぎっしり詰まっている。
「天使様に関する文献ですか? ええ、もちろんございますとも。こちらの棚に…」
神官長が指し示した一角には、『光の御子、降臨す』『聖なる翼の伝説』『天使様賛歌集』といったタイトルの本が並んでいた。
…うん、タイトルからして嫌な予感しかしない。
片っ端から手に取ってページをめくってみるが、内容はどれも似たり寄ったり。
天使様がいかに素晴らしく、神々しく、尊い存在であるかを、美しい言葉で綴ったポエム集、あるいはファンタジー小説みたいなものばかりだ。
「天使様が微笑めば花が咲き、涙されれば大地が潤う」…いや、それ比喩表現だよね?
僕が求めているのは、「天使パワーの使い方・初級編」とか、「ゼロから始める奇跡の起こし方」みたいな実用書なんだって! 取扱説明書はどこ!?
結局、半日かけて書庫を探し回っても、具体的な力の使い方に関する記述は一切見つからなかった。
せいぜい、「祈りを捧げる姿は神々しかった」とか、「聖句を唱えながら邪を祓った」とか、その程度の情報だ。
それにしても…この世界、天使に対する崇拝が凄いな。一種の宗教みたいな感じなのか?
尚更、天使に成り代わった一般人だなんて言えなくなってしまった。
(祈り…聖句…)
もしかしたら、これがヒントかもしれない。形から入ってみるのも手だ。
僕は書庫の片隅で、こっそりと試してみることにした。
まず、本に描かれていた挿絵を参考に、それっぽい祈りのポーズをとってみる。両手を胸の前で組んで、敬虔な感じで目を閉じて…。
(えーっと、なんか出ろ! 光とか、風とか、なんでもいいから!)
…何も起こらない。ただ、腕がちょっと疲れただけだ。
次に、聖句っぽいものを唱えてみる。本に書いてあった、それっぽいフレーズを適当に繋ぎ合わせて…。
「聖なる光よ、我を照らし…えーと、悪しき者を打ち払い…平和をもたらしたまえ…的な?」
…やっぱり、何も起こらない。自分の声が虚しく書庫に響いただけだった。
「はぁ…」
思わずため息をついて、その場にへたり込む。やっぱりダメか。ただ厨二病みたいなセリフを言って、恥ずかしくなっただけだ。
とその時、背後から声がした。
「おお…! 天使様!」
振り返ると、いつの間にか神官長が、感動に打ち震えたような表情で立っていた。
「なんと奥ゆかしい…! ご自身の偉大なる御業を振り返り、基本に立ち返って祈りを捧げておられたのですね! しかも、我々に気づかれぬよう、このように書庫の片隅で…! そのご謙遜、まさに天使の鑑!」
え? いや、違…! ただ、やり方わかんなくて、こっそり練習してただけなんですけど!
僕の内心の叫びは届くはずもなく、神官長は勝手に納得して、さらに尊敬の眼差しを深めている。
「天使様、ご安心ください。貴方様がお力を完全に取り戻される日を、我々はいつまでもお待ちしておりますとも」
そう言って深々と頭を下げる神官長に、僕はもう、力なく「あ、ありがとうございます…」と返すしかなかった。
情報収集、完全なる空振り。
それどころか、謎の行動がさらなる誤解と期待を生んでしまった。
(どうすんだよ、これ…)
前途多難すぎる天使様ライフに、僕の心は早くも折れかかっていた。
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