第2話 回避


「天使様。どうか、再びお力をお貸しください!」


 神官長の切実な声が、やけに静かな部屋に響く。


 全員の視線が槍のように僕に突き刺さって、息が詰まりそうだ。

 背中には脂汗が滝のように流れている気がする。


(無理無理無理! 絶対無理だって!)


 内心で僕は絶叫していた。魔王の残党? 北の森? 村が襲われてる?


 僕にできることなんて何もない! 全部分かんないもん!魔王軍(の残党)に勝てるわけがないだろう!


 どうする? どうすればいい?


 今ここで「実は記憶喪失で力も使えません、てへっ」とか言ったら、この場の空気は氷点下どころか絶対零度だ。


 さっきまでの歓迎ムードが一転、詐欺師扱いされて神殿の地下牢行きかもしれない。


(何か…何か言い訳を…!)


 脳みそをフル回転させる。そうだ、さっき神官長が言ってたじゃないか。「永き眠りからのお目覚め」だって。「魔王との戦いで力を使い果たした」って。これだ!


 僕は必死に平静を装い、少し困ったように眉を下げて、できるだけ穏やかな声を作って口を開いた。


「あ…あの、皆さん、落ち着いてくださいね」


 声、震えてないか? 大丈夫か?

 周りの人々は、僕の言葉にハッとしたように静かになった。よし、第一段階はクリア。


「その…お気持ちは、とてもよく分かります。困っている方々がいるのなら、すぐにでも駆けつけたいのですが…」


 僕はゆっくりと言葉を紡ぐ。大丈夫、いける。役者になれ、僕!


「ご存知の通り、前の戦いで、その…力をほとんど使い果たしてしまって…。ようやく目が覚めたばかりで、まだ、完全には回復していないのです」


 ちらりと神官長の顔色を窺う。彼は「おお…やはり…」というように、納得と心配が入り混じった顔で頷いている。


 いける! この流れ、いけるぞ!


「本当に申し訳ないのですが…完全な力を取り戻すまで、もう少しだけ、時間をいただけないでしょうか? すぐに、とはいきませんが、必ず力になれるように努めますから」


 最後は少しだけ力を込めて、でもあくまで柔らかく、お願いするように言ってみた。これでどうだ!


 僕の言葉に、報告に来た兵士は少し焦った顔をしたが、神官長が厳かに頷いた。


「…そうでございましたか。お目覚めになったばかりの天使様に、無理をお願いするところでございました。申し訳ありません」


「いえいえ、僕の方こそ、すぐにお力になれなくて…」


「天使様がそうおっしゃるのであれば、我々は待ちましょう。天使様のご回復が第一です。残党の件は、ひとまず騎士団に対応させます」


 騎士団? 大丈夫なのか? まあ、僕が行くよりは百万倍マシだろうけど。

 とにかく、最大の危機は回避できた…!


 僕は内心でガッツポーズしながらも、表情は「申し訳なさ」と「民を思う慈愛」(のつもり)をキープする。


「ありがとうございます。一日も早く回復できるよう、努めますね」


 僕がそう言うと、周りの人々は「おお…」「天使様…!」と、また感極まった様子だ。


 どうやら、僕の苦し紛れの言い訳は、天使様の「民を思う深いお心」と「万全を期すための慎重さ」として受け取られたらしい。…チョロい、いや、ありがたい!


 こうして、僕の天使ライフは、ひとまず討伐クエストを回避するところから始まったのだった。


 ◇


 それからの日々は、正直、戸惑いの連続だった。


 まず、僕の世話をしてくれる人たちがたくさんいる。


 朝は侍女さんたちが起こしに来てくれて、食事は豪華なものが三食昼寝付きで出てくるし(毎回美味しい)、部屋の掃除や洗濯も全部やってくれる。まさに至れり尽くせりだ。


 僕の主な仕事は、今のところ「回復に専念すること」らしい。つまり、特に何もしなくていい。


 一日中、ふかふかのソファで本を読んだり、だだっ広い神殿の庭園を散歩したり、時々訪ねてくる人々の話を聞いたり(大体は天使様への感謝と称賛)して過ごしている。




 もうこの世界に来てから5日ほど経って、この生活にも少し慣れてきた。この部屋に置いてある本には、この国に関することや天使に関する絵本?のようなものなど様々な種類があった。


 楽でいいんだけど、同時に罪悪感もすごい。みんな僕が早く回復して、残党どもをバッタバッタとなぎ倒すのを待ってるんだから。


 僕がのんびりしてる間にも、騎士団の人たちは戦ってるかもしれないんだよな…。


 でも、力が回復したところで、僕がそれを使えるのかな…。そもそも、力を失ってるかどうかすらも分からないんだし…。



 そんな僕の主な話し相手は、神官長と、筆頭侍女のエリアさん、そして騎士団長のライナスさんだ。


 神官長は、物腰柔らかいおじいちゃんで、僕(天使様)のことを心から尊敬し、信じきっている。


 僕が何をしても「おお、さすが天使様、深いお考えが…!」とポジティブに解釈してくれるので、ある意味一番やりやすい相手だ。


 ただ、時々、天使様の奇跡エピソードとかを嬉々として語り出すので、プレッシャーが半端ない。


 そして、問題は騎士団長のライナスさんだ。


 彼は、いかにも実直そうな、体格のいい男性騎士。魔王との戦いでも活躍したらしい。


 彼は僕に対して礼儀正しいけれど、その目には明らかに「観察」と、ほんの少しの「疑念」が宿っている気がする。


「天使様、ご回復の具合はいかがですか?」

 今日も彼は、騎士団としての日課の報告のついでに、僕にそう問いかけてきた。


「あ、はい。えっと…順調、だと思いますよ?」


 僕は当たり障りのない笑顔で答える。なんか、変な答えになっちゃった。内心はドキドキだ。


「それはようございました。先日、天使様が手をかざされただけで体力が回復したと兵士が報告しておりましたが、そのような力は既にお使いになれるのですか?」


 探るような視線が痛い。


…そうだ、あの時は、たまたま疲れた兵士が廊下を歩いていて、ふと気づいたら、勝手に力が流れ出て、たちまち兵士の疲れが取れたんだ。


 あんな力があるなんて驚いたし、もちろん、あれをもう1回やれと言われてもできない。


「え、ええと…あれは、その…まだ不安定でして。常にできるわけでは…あはは」


 曖昧に笑って誤魔化す。ライナスさんは「そうですか」と短く答えただけで、それ以上追及はしてこなかったけど、絶対納得してない顔だ。


 …やばい。この騎士団長、鋭い。一番警戒すべき相手かもしれない。


 そんな感じで、僕は日々、バレないようにヒヤヒヤしながら、回復中の天使を演じ続けている。


 いつまでこの言い訳が通用するのか分からないけど、とにかく今は、時間を稼ぐしかない。


(その間に、なんとか…少しでもいいから、天使パワーの使い方を思い出さないと…いや、そもそも記憶ないから、ゼロから見つけないと!)


 僕はふかふかのソファに深くもたれかかり、窓の外の青い空を見上げながら、途方もない課題に、そっとため息をついたのだった。


 ──────────────────


 神殿での天使としての生活が始まって1週間とちょっと。


 僕はまだ、この豪華すぎる環境と、周りの人々の過剰なまでの敬意に慣れずにいた。特に、身の回りの世話をしてくれる侍女さんたちとの距離感が難しい。


 みんな、僕のことを恐れ多い存在として扱ってくるから、なんだかすごく気を使うのだ。


 しかも、大体元の僕と同じくらいの年齢な気がするし、ちょっとむず痒い。


 そんな中、僕の専属の侍女として紹介されたのが、エリアさんという女性だった。落ち着いた雰囲気の、綺麗な人だ。


 年は…二十代半ばくらいだろうか。他の侍女さんたちより少し年上に見える。彼女は「筆頭侍女」という役職らしく、僕の世話係のリーダー的な存在のようだ。


 今日は、エリアさんが初めて一人で僕の部屋にお茶を運んできてくれた。これまでは、常に他の侍女さんたちも一緒だったから、二人きりになるのは初めてだ。


 なんだか、ちょっと緊張する。


「天使様、失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」


 エリアさんは、静かにそう言って部屋に入ってくると、手際よくテーブルの上にお茶の準備をしてくれた。銀のポットから注がれる紅茶は、とても良い香りがする。


「ありがとうございます、エリアさん」


 僕は少しぎこちなくお礼を言う。


「どういたしまして」


 エリアさんは、にこりと微笑んで僕の向かいの椅子に座った。他の侍女さんたちのように、ひれ伏さんばかりの態度ではないけれど、その所作にはやはり敬意が込められている。


 気まずい沈黙が流れる。何か話した方がいいんだろうか? でも、何を話せば…? 天使っぽい話題ってなんだ? 天気の話とか?


 僕が内心でぐるぐる考えていると、エリアさんの方から話しかけてくれた。


「天使様、神殿での生活には、もう慣れましたでしょうか? 何かご不便なことなどございませんか?」


 その声は、柔らかくて聞き取りやすい。


「あ、いえ! とんでもないです! 皆さん、とてもよくしてくださるので…むしろ、申し訳ないくらいです…」


 慌てて答える。本当に、待遇は良すぎるくらいなのだ。問題は、僕がそれに全く見合っていないということだけで…。


「そうでございますか。それならよろしいのですが。何か少しでもお気づきのことがあれば、いつでも私にお申し付けくださいね」


 エリアさんは、穏やかにそう言ってくれる。その優しい雰囲気に、僕の緊張も少しだけ和らいだ気がした。


 僕は、目の前の紅茶を一口飲む。…美味しい。すごく上品な味がする。


「この紅茶、とても美味しいですね」


 思わず、素直な感想が口をついて出た。


「お口に合いましたようで、何よりです。こちらは、南の地方で採れた特別な茶葉でして…」


 エリアさんは、紅茶について少し説明してくれた。僕は、へえ、とか、はあ、とか相槌を打ちながら聞く。


 ふと、エリアさんの視線が、僕の頭のあたりに向けられているのに気づいた。何か付いてるかな?


「あの、何か…?」


 僕が尋ねると、エリアさんはハッとしたように視線を戻し、少しだけ頬を赤らめた。


「い、いえ! 申し訳ありません! その…天使様の髪があまりにも綺麗で、つい見とれてしまって…陽の光を浴びて、キラキラと輝いておられるものですから」


 髪? ああ、そういえば、僕の髪は金色だった。自分ではあまり意識していなかったけど、確かに、窓から差し込む光を受けて輝いているのかもしれない。


「そ、そうですか? ありがとうございます…?」


 なんだか照れくさい。自分の容姿を褒められるなんて、前の世界ではほとんどなかったことだ。


 エリアさんは、僕の反応を見て、ふふ、と小さく笑った。そして、本当に小さな、独り言のような声で、ぽつりと呟いた。


「…本当に…まるで、お人形さんのように…可愛い…」


「え?」


 その言葉は、あまりにも小さくて、聞き間違いかと思った。


 でも、エリアさんは慌てたように口元を押さえ、「い、いえ! なんでもございません! 失礼いたしました!」と再び頬を染めている。


(…可愛い?)


 聞き間違いじゃなかったらしい。エリアさん、僕のこと可愛いって言った?


 いや、まあ、確かに今の僕の見た目は小学生低学年くらいの少年だ。客観的に見れば、「可愛い」のかもしれない。


 でも、中身はしがない男子高校生なんだぞ! 可愛いって言われても、全然嬉しくない! むしろ、ちょっと屈辱的だ!


 僕が内心でむくれていると、エリアさんは咳払いをして、慌てて話題を変えた。


「そ、そういえば、天使様。神殿の庭園はご覧になりましたか? 今、色とりどりの花が咲いていて、とても美しいのですよ」


「あ、はあ…庭園、ですか」


 僕も、内心の動揺を隠して、彼女の話題に乗ることにした。


 その後、エリアさんは庭園の花のことや、神殿の歴史について、穏やかに話してくれた。僕も相槌を打ちながら、時折質問をしたりして、会話はそれなりに続いた。


 エリアさんが部屋を出て行った後、僕は一人、先程の彼女の言葉を思い出していた。


(可愛い、か…)


 ため息が出る。このギャップに慣れる日は来るんだろうか。


 でも、エリアさんという人は、他の侍女さんたちとは少し違うのかもしれない。


 もちろん敬意は払ってくれているけれど、どこか人間味があるというか、時々、素の感情が垣間見える気がする。


 今日の「可愛い」発言も、うっかり本音が出ちゃった、って感じだったし。仲良くなれそうな気がする。


 そんなことを考えながら、僕は残りの紅茶をゆっくりと飲み干した。

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