貧農の子倅ゲイル
おれの家は王都の郊外にある小さな一軒家である。
貴族でも何でもないのだ、過度な装飾など不要ではあるし、研究用にいくつか試験農地を広く取るためにも外壁に囲まれた都市の中よりも郊外の方が利点は多く、家屋は寝床と客間ぐらいしかない質素なつくりと言えるだろう。
ところどころ、乱雑に積み上げられた書物や論文。土の匂いが染みついた家屋。格好も汚れてもいいような作業服に身を包み、節くれ立った手と爪の間には土が詰まる。
人生の20年を農民として過ごし、次の20年を農学者として過ごし、残る15年を政治家として過ごした。
なんとも実に数奇な人生であったと言えるだろう。
机の奥にしまっていた古ぼけた分厚い手帳を握り、あばら家の戸を開く。
「……お待たせいたしました。皇后陛下」
老いてなお美しい皇后殿下はしゃがみながら畑を見ていたのだろう。
きょとん、とこちらに首を向けると、すくりと立ち上がり、恥ずかし気に咳ばらいをする。
「いいえ、それ程待っていません」
「左様でございますか」
「ええ、左様でございます」
そんな子供のような会話をして互いに笑いあう。
庭先には若い女性の騎士が硬い表情で困惑気味にこちらに視線を送る。
「──皇后陛下、こちらを」
そうして、おれは皇后陛下に古くなった手帳を差し出した。
「皇后陛下が知りたいことは、この一冊にまとめられています」
「ゲイル卿」
「このようなあばら家にいつまでもいるべきではないでしょう。もとより、陛下をもてなすようなものなど、この家にはないのですから、こういった形でお渡しするのが一番と考えました」
「いえ、こちらこそ無理を言いました。ああ、それと陛下からゲイル卿に会うならばとこちらを預かっています」
そういって、皇后陛下が取り出したのは年季の入った古いワインであった。
「これは……ありがたくいただきましょう」
「ええ、35年物と聞いています。熟成も進み、良き一杯になってるでしょう」
「それは素晴らしい! 臣は酒に目がありませんからな!!」
そうか……。これが陛下の御心なのだろう。
すでに決断は下されたのであれば、少なくともあの時の決断は悪いものではなくなったはずだ。
「……皇后陛下、願いますればその書物は大事にしていただけるとありがたく存じます」
「……? それはもちろん、ゲイル卿にお借りしたものでありますから、傷つけないよう大切に扱うつもりですから」
とんだ道化か、あるいは陛下なりの気遣いか。
おれは、皇后陛下に対して笑みを崩さず、笑みを浮かべる。
カラカラと軽快な音を響かせ、馬車が遠ざかる。
皇后陛下の姿が見えなくなり、おれはそのままの恰好で寝室へと向かう。
ガラスのコップを引き出して、ワインの瓶をベットテーブルに置く。
ためらいなく、おれはコップに入っていたワインを一気に飲み干す。
ワインを飲み干して、ため息を一気に吐き出すと、コップをベットテーブルに置き、薄汚れた格好のままベットに横になった。
数奇な人生であった。
どこにでもいる農民の子倅が一国の宰相に登り詰める。
まるで、子供の夢だ。
運にも恵まれ、人にも恵まれ、時勢にも恵まれたのだろう。
自覚はしていないが、才能にも恵まれたのだろう。でなければこのような地位になどいない。
人間は総じて阿呆ばかりではないからだ。
この者は愚かとか、この者は優秀だとか、そんなものは個人の物差しに過ぎない。
人の好悪が千差万別である様に、正義も互いの立場によって容易に変わる。
おれのやったことが善きことだったか、あるいは悪だったのか、後世の人間は様々な評価を下すのだろう。
未練はある。やり残したこともある。
けれど、そういう後ろ髪をひかれながらもどこかで妥協を繰り返していくことが人生なのだろう。
完璧なものなどない。人も世界も社会もいまだ道半ばに過ぎない。
だから、いつの日かおれの望む世界が来ることを祈るのだ。
嗚呼、眠くなってきた……。
☆★☆★☆
▲▲年〇〇日
今日から日記という物を書いてみることにする。
おれの村に来たオズマンドとかいうクソ貴族から字の練習だと渡されたこの日記帳に何でもいいからその日あったことを書き留めろと言われたためだ。
なんでそんなことをしなきゃならねぇと言ったら奴は「その日の状況を記録しておくことで過去と今の差異に対して敏感になる」ということらしい。
面倒と言ったら、何日かに一度確認すると言ってるからサボることも出来ねぇ。
しょうがねぇからアイツの悪口を書くことにする。やーい、クソ貴族! 殺したかったら殺してみるんだな!! どうせ碌に兵士も集めらんねぇから何もできねぇんだろバーカ!!
▲▲年◇◇日
オズマンドが村に駐屯して数日が経った。
悔しいがアイツの強さは本物だった。飢えで苦しむ村の連中のために森からイノシシを取ってきて振舞ってくれたし、村の猟師を何人か見繕ってニ、三日して戻ってきたら荷馬車に山一杯に詰められた麦や香辛料などの兵糧を敵から鹵獲してきた。
おかげでアイツはいい貴族様だと言われてる。気に入らねぇ、どうせすぐに化けの皮がはがれる。
おれはぜってぇ騙されねぇ。貴族様が本当にいい奴らなら、俺の家族や嫁は死ななかったはずだ。
俺たちから税と言っていろんなものを奪って、嫁を玩具にしやがった貴族なんてどうせろくでもねぇんだ。
▲▲年□〇日
後方から兵士が送られてきた。
どうにも兵士というにはガラの悪い奴らばかり、オズマンドに話を聞くと王都の牢獄に収監されていた囚人らしい。
ふざけんな! なんでそんなろくでもねぇやつらをこの村に置いておくって言うんだ!!
貴族はいつもそうだ、上から命令すれば、実際現場でなにが起ころうが知らぬ存ぜぬだ。
だが、オズマンドは囚人兵が着たとたん、全員を殴って地面に寝かせやがった。
おいおい、タイマンで殴り合いしたとは言え、400人を全員のしちまった。
そのあと囚人たちに向かってオズマンドの野郎は言いやがった。
「お前らの中で俺が一番強え!! だから俺に従え、俺の命令に従わねぇ奴は誰であろうがぶっ殺してやる!!」
その言葉にビビったのか囚人どもはオズマンドに従順になりやがった。
特に反抗的だった奴を顔が膨れ上がるまで執拗に殴ったのが効いたんだろう。とんでもねぇ奴だ。
▲▲年□×日
今日、オズマンドが予告していた集合時間に遅れてきやがった囚人を4人公開処刑しやがった。
それだけじゃねぇ、その4人が寝坊しているのに気づいていたはずなのに起こさなかった奴も罰として半殺しにした。
これで囚人兵たちはオズマンドの恐ろしさを芯から味わったんだろう。村の中で行う訓練に本気で挑んでいた。
間違いなくオズマンドは兵士たちの心を完全に支配してやがる。
たった二日だ。二日で無法者の囚人たちを従順な兵士に仕立て上げやがった……。
▲▲年△〇日
オズマンドになんでお前はそんなに強いんだと聞いてみた。
「俺は貴族だから強い」
とあいつは言いやがった。馬鹿なんじゃねぇかなアイツ……。
▲▲年△×日
アヴァロンの軍勢が近隣に出没したらしい。王国の主力は籠城に備えて王都で亀のように縮こまっている。
攻めてくるのは隣領の領主だ。どうやら王国からアヴァロンに寝返ったらしい。戦費を調達するために俺たちを奴隷にして食料を奪う算段を立ててるのだろう。
オズマンドは裏切り者の領主を滅ぼすつもりらしい。しかし、こっちは元囚人と農民の混成部隊。
騎士といった乗馬技能をもつ領主の軍にどうやって勝つつもりなんだ……?
▲▲年◯□日
隣領領主との戦いはこっちの大勝利に終わった。
騎馬が使えない山間の林に身を潜めて弓矢で射掛ける。そうして弓部隊に意識が向いた隙を狙ってオズマンド以下囚人兵たちが反対側から敵指揮官を狙って本陣を奇襲しやがった。
結局、捕縛した兵士たちを味方につけておれたちの軍勢は1000超える程に膨れ上がった。
しかしよぉ、騎士を押しのけておれを副官に据えるなんざオズマンドは何を考えてるんだ?
▲▲年□■日
オズマンドは強い。同数の軍勢なら負けず、倍近い敵軍であっても怯まずに戦える。
オズマンドの戦術は簡単だ、散発的な牽制攻撃を猟師や農民に任せて、相手が痺れを切らして冷静さを失ったところをオズマンド率いる騎馬部隊が突撃で大損害を与える。
しかし、突撃を敢行する際に指揮官であるオズマンドが先頭に立つのはどうにかしてくれねぇものか……。お前が死んだらこの軍が瓦解するんだぞ! とは言ったものの、本人は。
「指揮官たるもの攻めるときは真っ先に、引くときは最後尾でなくてはならない」
といって譲らねぇ。お前はもっと自分の価値を理解するべきだ。
▲▲年☆◯日
──ついに、アヴァロンは本腰を入れてきた。
散発的に軍にダメージを与えてきたオズマンドだったが、ついにアヴァロン側も被害を懸念してオズマンドを潰すことを選択したらしい。
敵はアヴァロンの総司令官アーサー王太子の側近中の側近といわれる新進気鋭の騎士らしい。当然抱える軍も3000とこちらの3倍近い。
まさしく、絶体絶命だというのにこの男の様子は微塵も変わらない。
「俺の器量が、あの男に及ばねぇと思うか?」
不遜にオズマンドはおれに問うた。
「俺がなぜ強いか聞いたことがあったな。それは俺が貴族だからだ」
「貴族は何かを生み出すわけでもない、それでも俺らが偉く、お前ら平民の上になぜ立っているか」
「それは俺たち貴族が、お前らを守るものだからだ」
「お前らを守るために、俺たちは強くなった。この土地を、臣民を、その生活を、命を削って守るからこそ、俺たちは偉いんだ」
「ここで俺が引いたら、俺はオズマンド・バラスじゃなくなっちまう」
「お前たち農民は人々の明日を過ごすための糧を産み出すことができる。それは俺らには出来ないお前らの仕事だ。それは素晴らしいことで、誇れることだ」
「俺はそんな誇らしいお前たちを助けるために、ここにいるんだ」
「──オズマンド・バラスはここにいるんだ」
「俺に、お前たちを助けさせてくれ」
気が付けば、おれたちはオズマンドに……オズマンド様に平伏していた。
傲慢で、不遜で、でもその強さは本物で。
このお方こそ、本物の貴族と言うのだろう。
▲▲年☆☆日
おれたちは勝った。簡易的な防御陣地を作って、敵軍を足止め、しかし多勢に無勢。やがて俺たちは陣地を放棄することになった。
オズマンド様は最後尾で殿を務めながら敵軍を奥深くまで誘い込む。
敵軍が追撃によって隊列が伸びきったタイミングを見計らい後方から旧領主軍の騎馬隊、側面から弓隊による奇襲を敢行。
釣り野伏という戦術が完璧に決まった。
敵軍は殲滅、敵大将の首級を収めた。
うまくいったのは、そこまでだった。
敵軍の猛攻を最も受けたオズマンド様は致命傷にも等しい重傷を負ってしまった。
刀傷数十か所はまだいい、片目の眼球はえぐられ、顔の半分は敵の投石によって削がれてしまっている。
足の怪我は特に重く、傷口から腐敗が始まり、囚人兵の中にいた藪医者によって切断された。
やむを得ず、足と顔の傷口を火で焼いて塞いだ。
それでも、流れ出てしまった血液は元には戻せない。
このままでは死んでしまう。一か八か、藪医者は輸血といって他人の血液を流すことを提案し、オズマンド様はそれを了承した。
頼む、死なないでくれ。
貴方は生きていかなければならない人なんだ……。
▲▲年■〇日
奇跡が起きた。
オズマンド様が意識を取り戻した。
藪医者が言うには俺の血液とオズマンド様の血液が奇跡的に合ったらしい。
身体を冷やさない様に男衆が常に添い寝をして、俺の血液を限界まで搾り取った結果らしい。
業腹だが藪医者のおかげでもある。
切断した左足から血管を取り出して俺の血管とオズマンド様の血管をつないで輸血を行った。
腕を抉られる痛みに何度も気絶し、叫んだがあの人はそれ以上に足の切断や顔の傷を焼いて塞いだこと、刀傷を糸と針で縫い合わせてたにも関わらず、叫び声ひとつあげなかったんだ。
とんでもないお方だ。
しばらくは、療養に勤めてもらわなければならない。最も、あれほどの大怪我だ。
二度と戦場に立つことはないだろう……。
▲▲年■☆日
ドゥルイト王国は、王都陥落によって降伏。
おれたちは、戦争に負けた。
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