ドゥルイト教会の女司祭アレクサンドラ
厳かなステンドグラスに彩られた大聖堂。
チャペルの前から3番目の右端の長椅子はわたしの特等席だ。
「バラス様と姉の話を聞きたいとのことでしたね」
わたしの言葉に、顔をベールで覆い隠した女性が頷く。
「失礼ですが、姉というのは……」
「アリシア妃はわたしの異父姉ですから」
その言葉にその淑女は驚いたのか身体を硬直させ、息が止まったかのように、黙り込んだ。
「……どうして、アリシアの家族はすべて」
「えぇ、ドゥルイト王国に混乱を招いたとしてアーサー王陛下によって一様に処刑されました。アップルトン男爵、その夫人、夫人の兄弟、男爵の兄弟、その子女。男女区別なく根切りになりましたから」
それほどまでにアップルトンの血筋は嫌われた。もとい、アリシアという少女がそれほどまでに嫌われていたことの証左とも言える。
「わたしが偏に生きてこれたのは、なんの力もなかったことと、姉が徹底的に関与を否定してひどくわたしを嬲っていたことが王宮内で有名だったからです」
今でも、姉に受けた傷は背中に蚯蚓のように残っている。
単なるストレスの発散か、それとも本当にわたしを守ろうとしたのか。
今ではもう、聞き出す術はない。
「姉は、欲の深い人でした……」
滔々とわたしは語る。
アリシアが生まれたのは、王都の色街であった。
王都の商人や貴族が通う娼館の娼婦。それがアリシアの母であった。
娼婦の娘は娼婦になる。
だから貴人の子供を孕んだとしてそれが女児であれば娼婦として育てるし、男児なら裏社会の暴力団に流れるのが色街のごくごく当たり前の風景であった。
風向きが変わったのは、アリシアをとある男爵貴族が娘として養育すると申し付けた日だった。
それがアップルトン男爵。アリシアの実父だった。
「私は絶対に成り上がってやる」
再び、王都に来た姉は誰が見ても色街育ちとは思わないほど完璧な貴族だった。
「待たせたわね、サンドラ。迎えに来たわよ」
色街で成人を迎えて娼婦になる数ヶ月前に姉は本当に私を迎えに来てくれたのだ。
「私は何一つ取りこぼさないわ。全部全部、抱えてみせるわよ。だって私はお姉ちゃんだもの」
姉が悪い人間だったとは思えないのだ。
誰よりも頑張り屋で誰よりも一生懸命で、誰よりも働き者の姉が悪などと、わたしは思えなかったのだ。
色街で磨かれた話術の腕と貴族として養育された礼儀作法。
それが合わさった時、姉の男性を篭絡する術というのは完成したのだろう。
「姉は政に詳しくはありませんでした。しかし、政を行う男達を動かす術は誰よりも卓越しておりました」
だからこそ、姉は崩れゆくドゥルイト王国の中でもその権勢を振るい、最後まで醜く足掻いた。
足掻くことが出来てしまったのだ。
政務における実行力ではなく、政局を自らの策謀と調整で動かす謀略の業。
それこそが傾国と呼ばれたアリシア・アップルトンの天性の才覚であった。
「味方も多かったですが、敵も多くおりました。当然でしょうね」
当時の国王を通さずに国政を牛耳る成り上がりの小領主の小娘など、危険視されてもおかしくない。
欲深で、傲慢で、嘘つきで。悪だくみばかりする姉。
嫌われて当然で、わがままで、わたしにもよく当たっていた姉。
「それでも、わたしは好きだったんです。姉が大好きだったんです」
世界からどれだけ嫌われていたとしても、多くの者から恨みを買っていたとしても。
あの時、わたしを色街から連れ出してくれたことは、確かにわたしにとっての救いだったのだから。
「だから、わたしは祈るのです。例え、罪深い罪人であっても主は祈る時間を与えてくれるのです。それに、最後まで頑張った人が報われないで地獄に落ちるなんて、そんな悲しいことはないでしょう?」
死後の世界は証明されていない。
それでも、わたしは天国があると信じてる。
だってその方が、きっと優しい考え方だから。その方がきっと多くの人が救われるから。
姉のために祈ることが、きっと残されたわたしのやるべきことだと、そう思うのだ。
「オズマンド・バラスはアリシアをどう思ってたのかしら」
「バラス様ですか……」
灰の英雄、オズマンド・バラス。
その男をわたしはよく覚えている。
「姉のことを買っていたとは思います」
「買っていたとは?」
「さて、そこまで詳しくは……わたしはあくまで従者として5年ほどお仕えしましたが、そこまでは……」
「そう……」
皇后陛下は期待外れとでも思ったのか、眉を下げて嘆息する。
「そういえば、あの時もバラス様は姉と会っていましたね」
「あの時、とは?」
「皇后陛下を襲撃する前夜です」
あの日、オズマンドと私の人生が大きく変わったその前日にオズマンドはアリシアと出会っていた。
「とくにバラス様はものすごい剣幕で話してました。ものすごい早口でしたので、あまり内容は聞き取れはしなかったのですが……」
「何を話していたかは……?」
その問にわたしは首を横に振るう。
「なにぶん、昔のことですので……」
もう35年も昔の話なのだ。
普通であれば子供も大きくなり、親になり、孫が生まれるには十分すぎるほどに時間が経った。
「──姉は弱くなりました」
姉は優秀だった。それはあくまで女性としての優秀さであり、貴族としての優秀さではなく、政治家としての優秀さでもない。
政治実務における経験の無さと戦略的、論理的な思考の欠如。
場当たり的な対応は誰よりもうまくても計画的に戦略を立てる分野においては門外漢であった。
それを
特に正妃の地位を手に入れてからの姉は明らかに往年の切れを失っていた。
あれほど嫌っていた、あれほど危険視し、誰よりも恩赦に反対したバラス様の解放をせざるを得なくなってしまうほどに追い詰められてしまったのだから。
もっとも、バラス様もあの状態の王国をどうにか出来るほどのことはできなかった。
「誰も、バラス様を扱える方が居なかった。それが姉の器の限界であり、バラス様の不運です」
姉は大したことのない人間なのだ。分不相応の地位に登り詰め、その器に耐えきれず自壊してしまった。
「人には器があります。バラス様には大将軍の器があり、アーサー陛下には大王の器があり、皇后陛下も相応の器があるからこそ、その役目を為せたと言えるでしょう。姉はせいぜい色街の女主人程度の器でしかありませんでした。そうであれば、まだマシな人生を過ごせていたでしょう」
高々、男を転がすのが上手いだけの小娘に過ぎなかった。少なくともわたしの知る姉は類まれなる幸運の結果、登り詰めてしまったただの人に過ぎない。
わたしとて、長い年月を経て、ようやく司祭という立場に慣れてきたのだ。姉のような未熟な若い時分にそうなったら、きっと姉以上に無様を晒していたはずだ。
「欲は身を亡ぼす。人の持つ欲望は人を成長させますが、同時に、過ぎた欲は破滅と同義なのでしょう」
「金言ですわね」
「敵が居なくなったのもよくなかったでしょう。皇后陛下やバラス様。姉を止められるとしたら貴方様を於いてほかにいませんでしたから。姉もよくわかっていたからこそ、遠ざけました」
「……オズマンド・バラスはアリシア・アップルトンを買っていたのでは?」
「買ってはいましたが、個人的には嫌ってましたよ。よく姉に向かって『淫売』やら『女狐』やらよく怒鳴りつけていましたから」
皇后陛下は困惑した顔を見せるが、わたしも苦笑してしまう。
「バラス様はプライドが高いお方でしたから。わたしたち平民には優しゅうございましたが、貴族には厳しく当たられました」
「……やさしい、ですか?」
「ええ、お優しいお方でしたよ」
皇后陛下は信じられないのか訝し気に困惑の表情を見せる。
「優しいお兄さんでしたよ。わたしの頭を撫でてくれて、姉にいつも酷いことを言ってすまないと言ってくれました……」
たぶん、信じていないのだろう。
貴族としてのバラス様はとても厳しく、甘えを許さない人だった。
自分にも、他人にも、強くあることを求めていた。
じつは、わたしの初恋だったりする。けれどこれは、一生胸の内に秘めるものだ。
「いつも頑張っているなと、理不尽なことを言われたらいつでも頼れと、甘えてもいいんだと。あの方は平民にはとてもよくしてくれました」
本当にいい人だった。だから、あんな風に死んでしまったことにひどく胸を痛めた。
「ゲイル様も、バラス様とならば、きっと一緒に死ねたでしょう……」
「ゲイル……ですか?」
「ええ、そういえばお知り合いでしたね。今は王都の宰相様だとか」
「──ゲイル卿が……!?」
なんだ、この反応は? まさか、知らないのでしょうか?
「もしや、知らないのですか? ゲイル卿は一兵卒としてバラス様とともにアヴァロン王国との最前線で戦ったお方ですよ?」
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