第11話:狂王
「ライオー……」軍事国家エセルナート王国国王トレボーは呻いた。龍の王国ヴェンタドールを陥落させた後、トレボーは軍勢を率いてエセルナートの北に広がる暗黒諸国エンフィドールとその周辺国を襲った。
しかし進軍は順調にはいかなかった。
本国の城塞都市からの緊急事態を伝える一報に軍を戻そうとした正にその時に、ルドラに洗脳されたライオーに出会ったのだった。
「陛下」ライオーは忍者の技能を発揮して近衛の警護をすり抜けてきたのだ。依然と全く変わらぬ敬意をたたえた言葉をライオーは発した。堕天使ルドラがその上空に実体化する。
本陣に居た騎士が二人、ライオーに切りかかる。
しかしライオーは刀を抜かなかった――掌打で二人の胴を打つ。目にもとまらぬ速さだった。
鎧の上からの打撃だった――しかし騎士たちは息を詰まらせ倒れ伏す。
「お命もらい受けます」ライオーは背中につるした忍者刀、
「話し合いの余地はなしか」トレボーも長剣を抜く。
「お覚悟」ライオーは一気にケリを付けるべく縮地で突っ込んできた。凄まじい勢いで突きが来る。
トレボーは盾でそれを防ぎざまに剣をライオーに叩きつけた。
しかしライオーは身をひねってそれを
脚甲がトレボーの鎧に当たり火花を散らす。その蹴りのあまりの鋭さに鎧を着けていても内臓が震え、息が詰まる。
しかしトレボーは後退しなかった。ライオーの次の一撃をこちらの鎧をぶち当てて止める。わずかにライオーの身体が揺らいだ。好機と見たトレボーは乱打を浴びせる。
しかしライオーはまるで蒸発したかの様に姿を消した――
トレボーは故意に隙を作った。絶妙なそれに思わずライオーは手を出した。背後下から刀を切り上げてくる。
トレボーは身体を左回転させざまに蹴りで清正のみねを蹴り飛ばす。さらにライオーの身体に盾を叩きつけた。ライオーの体勢を回復させない内に勝負を決めようとそのまま長剣を振り抜いた。
ライオーがかすかな笑みを浮かべたのをトレボーは確かに見た。
トレボーは剣を止めようと精一杯の力を込めた――しかし間に合わない。
金属音が響いた――ルドラが腕でトレボーの一撃を止めていた。
「私の夫は殺させない。今日のところは引き分けという事にしてあげる。〝狂王〟トレボー」ルドラはライオーの手を掴むと残った手を振り上げた。光の塵と共に一陣の風が舞うと二人の姿はもうなかった。
トレボーは息を吐いた。ここまでの恐怖を感じたのは久しぶりだ。倒れた騎士たちの様子を見る。思った通り気絶しているだけだった。
ライオーの消息が分からないよりは一歩前進か――〝狂王〟はそう考えて降りかかってくる負の思考から逃れることにした――。
* * *
反トレボーの思惑で合致した諸王国はトレボーが首都を離れた隙を突いた。転移魔方陣でトレボーの裏をかいて王国に侵入した諸王国軍は破竹の勢いで首都に迫った。
エセルナートでは首都に残ったアナスタシア王女の指揮で急ぎ防衛戦の準備が進められた。周辺の村落の住民は城塞にかくまわれ、籠城戦に備える。
トレボーが戻ってくるまで時間を稼ぐ算段だ。
遥か彼方に敵軍の旗が王城の天守閣から見える中、アナスタシアは部下に指示を出す。
「ゴーリキ=フワ=フーマ、ガイ=ゼクウ=フーマ、敵陣に潜入して情報を流しなさい。トレボー父陛下は討ち取られたと」
「それは王陛下が戻られない状況では逆効果なのでは? 敵軍はかさにかかって攻め立ててくることでしょう」ガイ=ゼクウが言上する。
「お父様なら敵がこちらに目をくらまされている正にその時に帰還なさるでしょう。敵を一撃で粉砕し完膚なきまでに打ち倒す良い機会です。レデリオ将軍、完全籠城できる期間はどれくらいなの?」
「一カ月半から二カ月という所でしょう。外からの食糧を搬入する転移魔方陣が全面的に使えればそれ以上に」脇に控える歴戦の老将レデリオ=デルフリックが答える。
ゴーリキとガイは王女の目算を悟った――相手側の士気――〝死んだ〟はずのトレボーが帰還を果たせばどうなるか――アナスタシアは一気にケリをつけるつもりなのだ。
「軍を城壁外に出して戦いますか? その方が――」
「トレボグラードに到達するまでは敵軍をすりつぶしなさい。城の前では戦いません。籠城して陛下が帰還するのを待ちます。魔道師団、継続して陛下との通信を試みなさい。出来るだけ早くに回復させること」
「何か質問は」一拍おいて王女は将軍たちを見渡した。
一同からは何の声も出ない。立ち上がった王女アナスタシアに将軍たちは一礼した。
「次の合議は明日の正午に。解散よ」王女の号令に緊張していた空気が緩む。将軍たちと共にゴーリキたちも退出する。
「王女があれほどの女傑とは思いもしませんでした。師ガイ=ゼクウ」
「〝憎悪の戦方士〟コールドゥの件は姫殿下を成長させた。上に立つ者としての責任を自覚なさるようになられた」ガイは顎に手を当てた。
「後はお世継ぎを殿下自ら生む事くらいだろう。殿下の男嫌いにも困ったものだ」
「何事も完ぺきという事は有りませぬ、師よ。話を変えますがわざわざ将軍たちの前で我等に任務を与えたのは――」
「我ら忍びの功績を無にはしない代わりに表舞台へと――ありがたくない話だ」
二人の忍者は足早にフーマの屋敷に戻る。これから忙しくなるはずだ――。
* * *
「真か――その話」エンフィドール軍を率いるヘンリー=チェイサー=ビンセントは部下のアイシャの報告に眉をひそめた。
「兵たちの間では既に噂ですわ。トレボグラードさえ落とせばエセルナートは終わりだと」副官にして戦目付のアイシャは髪を手櫛で直して言った。ヘンリーもアイシャもまだ若い。
「デマゴーグの可能性もある、迂闊に広めぬ方が――」
「人の口に戸は立てられませぬわ――むしろトレボーが戻らぬ内にこの噂を利用してトレボグラードを落としてしまう事が肝要かと」
「ワードナの地下迷宮から増援はこないのか。
「王女アナスタシアはワードナの実孫でもありますわ――トレボーはともかく、彼女を敵にはしないというのが吸血鬼君主の矜持なのでは」
「正面突破しかないか」明日はトレボグラードだ――ここまで二割近くの兵を野戦で失ったが、本陣は無傷だ。攻城兵器もほぼ落伍することなく後からついてきている。力攻めで攻略できる可能性は十分ある。
「イタクアの助けを得ずとも我等だけで――」外なる神に助けを求めればいかなる代償を払うことになるか分からない。それにトレボグラード程の都市を略奪できれば手に入る富は莫大だ。ワードナの護符――本来の名は覇神の護符だ――が手に入れば世界征服とて夢ではない。イタクアに献上すれば定命の運命を免れる事さえ――。
「ひとまず心配事と期待は脇に置いて、王子――私めを幸せに――」アイシャはヘンリーに口づける。
* * *
トレボグラード城塞都市攻城戦十三日目。
城攻めを行っている連合軍はかさにかかってトレボグラード城塞都市を攻め立てていた。多数の雲梯車、破城槌、投石器、弩弓砲が八面六臂の活躍をしている。
日の出と共に攻めを開始した連合軍は多大な犠牲を払いながらも簡易な城壁に囲まれた新市街に突入することに成功した。
本陣で突入成功の報せを受けたヘンリーは自ら先頭に立つ決心をした。鎧を身にまとい、かつて自分たちが拠点としていた城塞都市を滅ぼすべく近習たちと最前線に出ようとする。近衛騎士団と自身の護衛役だった冒険者達、それに魔術師と治癒術師の一団が従う。
市街に漂う家々が焼ける匂いと死体が焦げるしつこい匂い、方々から舞い上がる煙で視界は良くなかった。
「軍を表に出していればこんな目には合わずに済んだものを――」アイシャが冷たい目で死者を眺める。
「トレボグラード城塞守備軍の総数は我らの五分の一以下だ。そこで負ければ市内は一気に蹂躙される。城壁に寄って戦うのはあながち間違った策でもない――アナスタシア王女は侮れん」ヘンリーはアイシャの顔に苦みがさすのに気が付かない。
早馬が後方からの報せを持ってくる――驚愕すべき報せだった。
「トレボーめが軍勢を率いて本陣の後ろに――」
「予想より遥かに早いな――流石は〝狂王〟と呼ばれる男だ」ヘンリーは唸った。トレボー戦死の報はやはり間違っていた――そうだろうとは思っていたが、実際に耳にすると気持ちは下がった。
「軍を返しましょう。ヘンリー王子」アイシャが言上する。
「いや、まず旧市街までの城下を一気に攻め落とす。ここで返せば挟み撃ちになる」
「続け! エンフィドールの勇猛なる戦士諸君!」ヘンリーは剣を掲げると戦馬の腹を蹴った。棒立ちになった馬は曲がりくねった道を一散に駆け出す。アイシャと近衛も続いた。敵兵は崩れる。
ヘンリーはただトレボーがこちらに来る前に目の前の敵を壊滅できるよう祈っていた。彼の知るすべての神と神々――そして邪神イタクアにも。
――それがおかしな事だとは夢にも思わなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます