第10話:失陥
「ぐ……ぉッッ!!」ライオーは身を走る激痛に耐えた。蠱惑的な笑みを浮かべた堕天使ルドラがライオーの左薬指を嚙み千切って
ルドラは口全体でライオーの傷口を吸う。
脳天を突き抜けるような痛みが治まると、鼓動に合わせて頭蓋を叩くような断続的な痛みが代わって襲ってくる。脳に走った白い光を歯を食いしばってこらえる。
〝止めてって言っても止めてあげない。貴方が完全に屈服するまで――魂の底から私のものになるまで〟傷口を舌が這いずる度に新たな痛みが襲う。
〝まずは指を全部食いちぎってあげる〟ルドラは優しく言った。小指に歯が当たる――ゴリっという音と共にライオーの左小指は食いちぎられた。また脳天に白い光が走る。
ライオーは悲鳴を抑えた。経絡を断ち切って痛みを遮断しようとする、
「痛覚を遮断するならもっと早くにやっておくべきだった。もう遅いわ」少女のような外見に似合わない妖艶さでルドラが舌なめずりしながら宣告する。口の端からライオーの血を零しながら。
「……そう、かな……」激痛の中ライオーは答えた。
ルドラは自分の流派を明かしていなかったがライオーには
しかしライオーはルドラが笑みを崩さないのを見て自分の判断が誤っているのではないかと感じた。
「ご明察」ルドラがライオーに口付けた。
「私の唾液には感覚を天文学的に跳ね上げる成分と切れた神経をつなぐ成分が含まれてるの。経絡を切っても無駄よ」
ライオーはその言葉を無視して丹田に意識を集中すると鼻で息を吸い、短い間隔で口から吐き出す。数度の呼吸で痛みは薄れ始めた。
ルドラが舌を鳴らす。その途端落ち着いていた痛みが何倍もの強さになってライオーを襲った。
超人的な意志力で悲鳴を抑え込む。
ルドラは時間をかけてライオーの指を全て食いちぎる――その度にライオーの身体は震えた。感じてくれている――ルドラはライオーが自分の手で性的興奮を覚えるのと同じくらい痛みに震えるのが嬉しかった。
ライオーは脂汗を流しながらも正気は失っていなかった。しかし、真の絶望はここからだった。
ルドラが口に指の無くなった手を含む――。
* * *
「ライオー様が異界に連れ去られた?」シノはガーザーの言葉を半信半疑の思いで聞いた。あの人が後れをとるなんて――。
「ヴェンタドール王宮内にいる協力者からの情報だ。まず間違いはない」
「ルドラとトモエに連れられて王宮でアラスたちに尋問された。そうだな?」ゴーリキが内通者に詰め寄る。
シノたちは王宮に潜入していた。
「そうですわ」内通者――女官だった――は動じる様子が無い。「一か月で洗脳すると言ってた。余程自信があるみたいでした」
「ルドラたちに与えられた部屋はどこだ? 何か掴めるかもしれん」再度のゴーリキの言葉に女官は意を得たという表情を見せる。
「案内しますわ」シノたちは旅芸人の格好だった。
女官を先頭に四階上の目的の部屋に向かう。ゴーリキの妻と娘を部屋に置き、座長役のライオー一族の長ガイは王宮の役人と面談だった。
部屋の前には白銀の鎧に身を包んだ騎士がいた。
「白銀龍ヴェルサスか」ガーザ―が言う。「ヴェンタドール守護龍がなぜ我々に情報を漏らす」
「勇者ゾール殿の望みだ。ライオーを見殺しにするのは忍びないとな。個人的にルドラのやり口が気に入らんというのもある」
「開けるぞ。トモエ」ヴェルサスは返事を待たずに扉を開ける。中にはルドラの〝娘〟トモエがいた。ベッドから
「…シノ…」
「ライオー様はどこ?」
「ルドラ母様が連れて行った」トモエは投げやりに言った。
「どこって聞いたのよ」
トモエはベッドのわきにある水晶玉を指さした。ライオーに絡むルドラが映っている。
「ライオー様!」シノはルドラにむさぼられるライオーに悲鳴を上げた。
「ガーザー殿、この現場に飛べないか――」ゴーリキが尋ねる。老魔術師は首を横に振った。
「ライオーが捕らわれた異界は時間の流れがこの世界とは違う。向こうはもう三週間は経っているだろう」
「何もできないのですか!?」
ガーザーは沈痛な面持ちでうなずいた。
「トモエ、貴女はシノたちの元に帰りなさい。ルドラは人間ではないのよ。その愛情は貴女のためになるとは限らないわ」女官が言った。
「…ヴェルニーグ……」トモエは明らかに揺らいでいた。
「ライオーが囚われた異界の場所は我々も探している。分かり次第そちらに伝える。その代わりエランとアラスを
「誓いで王家を裏切れないという噂は本当だったのか」ゴーリキが驚いた。
「ヴェンタドールをトレボーに明け渡してもいいと?」ガーザーが確認する。
「エランとアラスではどのみちエセルナートに併呑される。ならば主権を少しでも残す方法をという選択だ」
「トレボーは君臨すれども統治せずという姿勢で知られています――余計な被害を好まないという事も」女官――ヴェルサスの妻ヴェルニーグが変装していたのだ――が言った。
「そちらの準備が出来たら王宮の結界を開ける――一撃で仕留めて欲しい」
「陛下に連絡を取る――それを待ってくれ」ゴーリキがやっとの事で反応した。
ヴェンタドールの運命は決まったのだ。
* * *
「トレボー…狂王めが……」ヴェルサスの裏切りから三日後ヴェンタドール国王アラスは玉座の前で〝狂王〟トレボーの剣に鎧ごと身体を貫かれて唸った。17歳の少年には百戦錬磨のトレボーの相手は荷が勝ちすぎた。
口から血が零れる――摂政エランは城下の自宅で既に戦死していた。エランはアラスの居どころを売って保身を図ったのだが、それはアラスの預かり知らない事だった。
ヴェルサスは何故助けに来ない――それがアラスの最後の意識だった。
「ヴェンタドール国王アラス――安心して死ね。そちの名誉は守られた」
「陛下」近衛の騎士と共にゴーリキが近寄ってくる。
「エランとその一派の排除はほぼ終わりました。市街への被害もそれほどありませぬ」
「分かった。ヴェルサスとゾールは?」
「ここに」二人――正確には一頭と一人はエランが実権を手にした頃からヴェンタドール国内に根回しを行いエラン一派の権力と影響力を削ごうとしてきた。だがそれは実を結ばず結局トレボーという外圧を用いる事で腐敗が極まった祖国を救わざるを得なくなった――劇薬を用いるのと同義だったが他に方法は無かった。
エランはトレボーに通じようとしたのだが失敗し、己が破滅するならば国諸共と自棄になって主戦論を煽った。国を私物化し身内や忖度する者に利益を横流ししていたエランは一方で一般の国民や敵対者、さらには中立を守る者まで徹底的に利権から排除し
アラスについても同様の結論を出していたトレボーはヴェルサスとゾールの申し出に飛びついた。対外的には国家守護龍と勇者に実権を預けると大々的に宣言し、名目だけエセルナートの自治領になれば生活は保障すると国民を
アラスの評判は取り立てて良くは無かったがトレボーは彼をエランに利用された善人と宣伝することでヴェンタドールの占領を進めやすくした。
エランの政治にうんざりしていた国民は自由と権利を保証され、権威の象徴の一人である勇者の地位を護持され、トレボーの死後は独立を回復できると神前で誓われた事であっさりと膝を屈した。
王城で鎧に身を包んで国民の前に登場したトレボーは占領者として自らを印象付ける。
本人は語らないが世界統一という目標に
ヴェンタドール王宮で占領政策の合議を行っていたトレボーはヴェンタドール陥落の立役者の一人ライオーに関する最悪の知らせを受けることになったのだった。
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