第12話:乱舞

 転移してきたトレボー率いるエセルナート軍は300人弱、対してエンフィドール軍は1万人を超えていた。


 しかし文字通りに本陣近くに降って湧いたエセルナート軍は大軍を混乱の渦に叩きこむのに十分過ぎた。まともに統制の取れない軍は闇雲にトレボーを討ち取ろうとする者、一旦この場を引いて態勢を立て直そうとする者、パニックに陥って逃げ出すもの等で収拾がつかなくなった。


 縦横無尽に暴れ回る軍の先頭にトレボーはいた。当たるを幸い斬りまくる。まさしく〝狂王〟の名にふさわしい縦横無尽の働きぶりだった。


 その鬼神ぶりに兵は恐れをなした。百戦錬磨の騎士ですら恐怖に足が言うことを聞かなかった。


 このままでは攻城部隊を指揮する陣は崩れる――。


 それでも戦況――このままでは総崩れもありうる――を見ていた将軍がトレボーに名乗りを上げた。トレボーの長剣が騎士の一人を唐竹割にした直後だった。


「我はヴァレックス。エンフィドール攻城軍指揮官サー=ヴァレックス=ジェームス=エイリアムズ侯爵。トレボー=ミハイロビッチ=エリストラトフ=エセルナート国王陛下とお見受けする。貴殿との一騎打ちを所望する」ヴァレックスは副官に目配せする――自分が斃れたら一斉にトレボーにかかって討ち取れとの合図だった。


 束の間、静寂が辺りを覆った。


「受けて立つ、ヴァレックス侯爵」トレボーは馬から降りる。ヴァレックスは最初から徒歩だった。剣の幅は20センチ近く、刃渡りだけで2メートルを超える両手大剣、グレートソードと呼ばれるそれの使い手だった。その柄も含めれば3メートル近い、正に鉄塊だった。


 戦闘はあちこちで続いていたが、トレボーとヴァレックスの周りは水を打ったような沈黙だった。


「参る」ヴァレックスは突進する。トレボーも盾を構えて走り出した。


 嵐のような音を立てて両手大剣が振り下ろされた。トレボーはそれを受けずに躱す。地面を砕く衝撃音が聞こえた。がら空きになった胴にトレボーは長剣を突き入れた――金属音が鳴り響く。トレボーの手を衝撃が包んだ――長剣は鎧を貫けなかった。信じ難かった。いかなる鎧もこの剣を防ぐ事は出来なかったのに。


 トレボーは髪が逆立つような感覚にその場を飛んだ――ついさっきまで自分がいた場所を両手大剣が薙ぐ。トレボーは身の丈2メートルになんなんとする偉丈夫だったが、ヴァレックスはそれより10センチは高い。巨大な両手大剣を軽々と扱う。その重量だけでも恐るべき脅威だった。鎧を貫通しなくとも衝撃だけで危険だ。


 真正面から攻撃を受け止めれば致命傷を負いかねない。


「我が魔剣グラッドンをそこまで躱すとは。狂王の名は伊達ではありませぬな」

 言いしなにヴァレックスは両手大剣を右から薙いだ。とっさの攻撃にトレボーは躱せない。かろうじて盾で防御する構えを取った。


 勝った――ヴァレックスは勝利を確信する。


 トレボーは盾で攻撃を受け止めなかった――絶妙な角度で盾の丸みに沿って左からくる両手大剣を滑らせて受け流す。跳ね上がったヴァレックスの腕にすかさず下から小手を入れる。両手大剣はガラガラと音を立てて地面に落ちた。


「勝負有ったな、ヴァレックス候」


「ああ。――だが終わったわけではない」ヴァレックスは真面目な顔になった。手を挙げる。石弓クロスボウを構えた旗本がトレボーを取り囲む。


「狂王トレボー、その命もらい受ける」


 手が振り下ろされた――数十本の矢がトレボーを襲う。


〝悪く思うな――〟ヴァレックスは呟く。


 だが矢が突き立つ直前、かき消す様にトレボーの姿は消えた――転移魔法テレポートだ――ヴァレックスは舌打ちする。


 狂王は最初から保険を掛けて勝負に挑んでいたのだ。戦う前に勝敗を決していた――少なくとも負けない保証を付けていた――忌々しい事だ。


 エセルナート軍はまだ我がエンフィドール軍に飲み込まれていない――片付くにしても手間はかかりそうだった。


 ヴァレックスは指揮を取り戻すべく陣へと戻る。

 エンフィドール軍全面潰走の半刻前の事だった。


 *   *   *


トレボーを転移させたのは客分としてエセルナート軍に加わっていた隻眼の老魔術師ラルフ=ガレル=ガーザーだった。潜入させていた密偵ゴーリキの目を通して状況を把握していたガーザーは、トレボーの指示通りの場所――エンフィドール軍総指揮官ヘンリー=チェイサー=ビンセント王子のいる最前線中の最前線に二人を飛ばした。


 今まさに崩れようとしていたエセルナート防衛軍とかさにかかって攻め立てていたエンフィドール攻城軍の間だった。


 ヘンリーははっぱをかけて部下たちを鼓舞する。目の前の兵に細い長剣を突きこんだ。あと一息だと思った時目の前の空間が揺らいだ――転移――そう思った瞬間、戦馬が棒立ちになる。


「トレボー……!」ヘンリーは憎悪に燃えた目で宿敵を睨みつけた。隣には龍の達人ゴーリキ=フワ=フーマが控えている。


「久しいな、ヘンリー王子」天気の事でも問うかのようにトレボーは声をかけた。それがヘンリーの逆鱗に触れた。


「殺す!」ヘンリーは戦馬を突進させた。アイシャと〝狂王の試練場〟時代からヘンリーを護衛していた四人の冒険者――全員女だった――も後に続く。トレボーを討ち取れば全ては終わるのだ。その事実が六人を駆り立てた。


「トぉォおオレェえヴォオおオオオオ!!」戦馬の馬蹄でトレボーを踏み潰そうと全力で駆ける。自らが奉じたイタクアの狂気がヘンリーを襲った。トレボーは半歩右に身体をずらしただけだった――躱しざまに戦馬の左足を斬り落とす。


 悲鳴を上げて戦馬は倒れ込んだ。ヘンリーは際どい所で地面を転がる。肺を打って息が詰まる。半瞬戸惑えば愛馬の下敷きになっていた所だった。アイシャは接近戦は危険と見てヘンリーの援護にまわる。


 残りの冒険者のうち前衛の三人はトレボーに襲い掛かる。四合――それが三人の限界だった。打撃は全てトレボーの盾に止められた。四合の打ち合いの内に三人は倒れた。


 アイシャは馬から降りる――呪文を正確に唱える為だった。騎乗していては大魔法は使えない。


 瀕死の戦馬のいななきが辺りを覆う。


 ヘンリーは愛馬を楽にしてやりたかったが、トレボーの殺気はそれを許さなかった。馬の声はどんどん小さくなり、呼吸音が響くだけになった、それすら手から水が零れる様に小さくなっていく。


 ヘンリーとトレボーは睨みあっていた。戦場には煙がたなびき、しかし聞こえるのはヘンリーの愛馬の断末魔の吐息だけだった。


 息が途切れた。ヘンリーの愛馬は息絶えた――同時にトレボーとヘンリーは突進した。アイシャは影撃シャドウボルトの魔法を放つ。残ったもう一人の冒険者は治癒術師だった。戦闘に役立つ魔法はほとんど使えない。アイシャは場の雰囲気にのまれて魔法を使うのが遅くなったことを悔いた――卑怯者のそしりをうけてもトレボーを倒すことを優先すべきだった。


 魔法はトレボーの盾で止められた――しかしその攻撃は無駄にならなかった。ヘンリーは盾で視界がふさがれたトレボーの斬撃をすんでの所で躱しながら胴に一撃を入れた。確かに刃が鎧を貫通したのを感じた――一本取った。血が沸き立った――ヘンリーは剣身をさらに手で押しこもうとする。トレボーの口から血が零れる。アイシャが更に影撃の魔法を唱えている――ヘンリーは勝ちを確信した――。


 *   *   *


 そのころ、ルドラを半ば諦めていたトモエは龍の王国ヴェンタドール守護龍の一柱、白銀龍ヴェルニーグと共に聖都リルガミンへと旅していた。


 ヴェルニーグは龍の姿でトモエを乗せてリルガミンに行きたかったのだが、トモエは嫌がった。旅するならヴェルニーグが人の形をとった上で徒歩でしか行かない――トモエは強硬に主張した。ヴェルニーグは結局折れざるを得なかった。


「私はシノやライオーのいう事を聞いたんじゃない。ルドラお母さまを見捨てたわけじゃない。ただ貴女のいう事に一聴の価値があると思っただけよ」リルガミンへの街道を先頭きって歩きながらそんな憎まれ口を叩く。


 ヴェルニーグはそんなトモエを微笑ましく思う一方、あのままシノたちを憎んだままだったらとの思いに寒気を覚えたのだった。


 一つの家族が敵対して殺しあう――そんな修羅場は一つでも減らさなければならない。たとえ敵対した国のものであっても、だ。


 ――遠くに街が見えてきた――今夜は野宿せずに済みそうだ。


 先を行くトモエが嬉しそうに手を振る。ヴェルニーグも手を振り返した――。

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