第2話:懐かしいような、知らないような
その原稿には、何かがおかしい――。
けれど、明確に「何が」おかしいのかを言葉にできないまま、あかりはパソコンの画面を見つめ続けていた。
文章は整っていた。
校正者としてチェックすべき誤字脱字や文法の乱れは見当たらない。むしろ、読みやすく、美しいとすら感じる。
問題なのは、整いすぎていることではなく、そこに宿っている“何か”だった。
登場人物は三人。
語り手の「わたし」、寡黙な青年「ユウ」、そしてユウの亡き兄にまつわる記憶。
物語は、誰かの不在を描くようにして静かに進んでいく。
(ユウ……?)
その名前に引っかかった。
たまたま、そういう名前の登場人物なのかもしれない。
でも、読み進めるうちに確信めいたものが胸を占めていく。
ユウ――大学時代、サークルで一緒だった友人。
本名は結城悠。四年前、事故で亡くなった。
そのことを、あかりはこれまでほとんど誰にも話していない。SNSにも残していない。
それなのに、この原稿の中の「ユウ」は、まるで彼を写し取ったような存在だった。
口数が少なく、でも語尾に少し照れたような癖があった。
他人の話を聞くとき、指先でコップの縁をなぞる癖。
そんな細かな描写が、文章の行間から滲み出してくる。
(まさか、偶然……?)
けれど、偶然にしてはあまりにも、ピンポイントすぎる。
AIは公開されたデータを基に学習する。ネットにある情報、書籍、SNS、ブログ、個人投稿――。
でも、自分が結城悠と過ごした時間や、彼の癖や、声の調子までは、どこにも残していない。
彼のことを物語に書いたこともない。少なくとも、公開したことは一度もなかった。
じゃあ、どうして? どうして“彼”がここにいる?
手が止まった。呼吸が浅くなる。
あかりは無意識に、机の引き出しを開けていた。
一番奥にある、古びたA5ノート。大学時代に使っていた創作ノートだった。
ページをめくる。青いインクで書かれたプロット案、タイトル未定の短編、練習用の会話劇――。
その中に、彼女が大学三年のときに書きかけた、ある物語の冒頭があった。
《風の中で名前を呼ばれた気がして、振り返った。でも、誰もいなかった。》
それは、《風のあとで》というタイトルでAIが書いた物語の冒頭と、ほとんど同じ構造だった。
(……え? 待って。これ、私が……?)
自分が書いた物語の断片。忘れていたはずの、でも確かに一度綴った言葉。
けれどあの原稿には、自分の知らない言葉も混ざっていた。明らかに別人の、でも誰かの気配があった。
あかりはノートを閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
パソコンの画面に戻る。そこには、まだ続きが表示されている。
「ユウが言った。“きみの言葉で、僕を残してよ”って」
心臓が跳ねた。
これはフィクションか? 偶然の一致か?
それとも、誰かが――誰かが本当に、あかりの過去を知っていて、そこに言葉を重ねたのか?
分からない。けれど、この原稿が自分の過去と深く結びついていることだけは、もう確信に近かった。
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