AIが書いたその物語は、かつて誰かの人生だった

るいす

第一幕:違和感と記憶

第1話:AIが書いた物語

 午後四時ちょうど。

 今日もまた、彼女の画面に一通の原稿ファイルが届いた。

 ファイル名は「風のあとで(ver3.9)」。ジャンルタグには「純文学/切ない系/男女」とだけ記されている。


 柚木あかり、二十八歳。

 出版社から委託を受けて、AIが生成した小説原稿の“人力チェック”を行う仕事をしている。職業名としては「校正者」だが、その実態は限りなくルーチンワークに近い。主語と述語の不一致、改行のタイミング、論理破綻していないかどうか。そうした最低限の「人間らしさ」を保証するためだけの作業だ。


 文章に対する愛着は、かつてならきっと、もっと強く持てていたはずだった。


「また“風”から始まるのか……」

 呟いて、マグカップのコーヒーをひと口すする。

 冷めている。けれど、温め直すほどの情熱ももう湧いてこない。


 AI小説は、今では出版業界の主流だ。プロットからキャラクター設定、セリフの癖やト書きまで、すべてはパラメーター次第。人間の作家は特別な存在ではなくなり、エンタメの多くが“自動生成”されるようになった。それは当然の進化だ、と業界は言う。


 あかりも一度は、作家を目指していた。

 大学では文芸サークルに入り、文学賞に応募した原稿もある。編集者とメールを交わしたことだって、何度か――。でも、デビューには至らなかった。社会に出て、生活を優先して、気づけば“読む側”になっていた。


 けれど。


 今目の前にあるこの原稿には、何かがおかしい。


 ――それでも、彼の声が風にまぎれて聞こえた気がした。


 その書き出しを読んだ瞬間、胸の奥で、何かが微かに震えた。

 体が覚えているような、感情が先に反応してしまうような。

 その一行はまるで、彼女自身の過去から引き抜かれてきたかのようだった。


 次の行へとスクロールする指が、自然と緩やかになる。

 公園のベンチ、夕暮れの空、ひとり残された語り手。

 空気の重さや、間のとり方までが妙にリアルで、あかりの脳裏に――記憶の映像が浮かんだ。


(……あれ? このシーン……)


 はっきりとは思い出せない。でも、知らないはずの文章ではなかった。

 目にするのは初めてなのに、心がもう読んだことがあるような反応をしている。


 偶然にしては、出来すぎている。

 AIが、既存の作品を組み合わせて生成したにしては、あまりにも“個人的すぎる”文章だ。


「この話、私……読んだこと、あったっけ?」


 ぽつりと漏れた言葉が、部屋の静寂に溶けていった。

 マグカップの中のコーヒーは、さっきよりも冷たくなっていた。

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