第3話:AIはどこまで知っているのか

「なあ、真島くん。この原稿、なんか……リアルすぎない?」


 昼休憩中、共用チャットにログインしていた同僚の真島に、あかりはためらいながら問いかけた。

 真島は同じくフリーの校正者で、このAI原稿チェックのバイト仲間だ。仕事の合間に時折雑談する程度の仲だが、何気ない質問には答えてくれる。


「リアルって? プロンプト設定がうまく噛んだってだけじゃないの?」


 即座に返ってきたメッセージに、あかりは思わずため息をついた。


「人物の動作とか、台詞とか、仕草とか……なんか妙に“記憶にある感じ”がするの。これ、誰かの実体験が混ざってるんじゃないかって思えるくらいに」


「あるある。AIが学習してるテキストって、昔のSNSやブログも入ってるからねー。偶然ってけっこう重なるもんだよ」


 あかりは思わず画面を閉じた。

 たしかに、真島の言うことも分かる。偶然の一致や、既視感なんてよくある話だ。

 でも、今回の原稿は、ただの“ありがちな風景”では片づけられない。


 彼女がそう思う決定的な場面が、ひとつあった。


 それは、物語の中盤に登場する喫茶店の描写。


 ――古い木造の二階建て。入り口には青いひさし、縁に猫のイラストが描かれている。

 カウンター席の端には、いつも冷たいハーブティーが置かれている。


 まるで、あの店だ。

 あかりが大学時代に通っていた、あの小さな喫茶店――「翠屋」。


 書かれた描写は、店内の配置も、メニューも、空気の温度まで思い出させるようだった。

 もちろん、ありふれた喫茶店のイメージかもしれない。ひさしも、カウンターも、猫の絵も、どこにでもある。

 でも、「いつも冷たいハーブティーが置かれている」――それは、店主の趣味だった。誰かが知っていなければ、わざわざ書くはずがない。


(あの店が……?)


 確認せずにはいられなかった。

 あかりは原稿ファイルを保存すると、バッグに財布とスマホを放り込み、外に出た。


 久しぶりに降り立った大学近くの駅は、思った以上に風景が変わっていた。

 再開発が進み、高架下の古本屋も消え、ビルの一角にはコンビニが入っている。

 けれど、角を曲がり、あの通りに差しかかると、懐かしい並木道がまだ残っていた。


 「翠屋」があったはずの場所の前で、足が止まる。

 店はもうなかった。シャッターは下りたまま、看板も外されている。

 だが、あかりにはわかった。あのひさしの跡、ガラス扉の取っ手の形、壁に残る猫のシルエット――。


(やっぱり、ここだ。間違いない)


 あの原稿に書かれていた店は、間違いなくこの喫茶店をモデルにしていた。

 だが、この店は数年前に閉店し、Web上に写真も情報も残っていないはずだった。

 そもそも、大学時代のあかりと翠屋のつながりを知っている人は、ごくわずか。SNSにも投稿した覚えはない。


 じゃあ、なぜ? なぜAIが知っている?


 あかりはシャッターの前に立ち尽くし、冷たい春の風を頬に受けた。

 少し埃っぽい風の中、原稿の一節が脳裏に蘇る。


 ――彼の声が、風にまぎれて聞こえた気がした。


(これは、偶然なんかじゃない。誰かが、意図的に……?)


 違和感は、いよいよ疑念に変わりつつあった。

 これはただのAI創作なんかじゃない。“何かの記憶”が混ざっている。

 それも、あかり自身と結びついた、どこかで確かに存在した記憶だ。

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