第36話 沈黙と引き金

保管棟の奥、静寂が支配する記録管理区画。


わずかに残るバックアップ照明の下で、晃は端末の前に立ち尽くしていた。

晃は扉の前で立ち止まり、懐からIDカードを取り出す。

端末に差し込むと、わずかに遅れて電子ロックが解除され、ドアが開いた。

端末の操作ログが一瞬だけ表示されるが、所有者の情報は空欄のままだった。


(……あいつらしいな。名前を残さないあたり)


セキュリティ解除に使ったのは、東都を離れる前夜に出雲隼人が差し出してくれたID。

この鍵がなければ、ここまで辿り着けなかった。


晃は、端末に向かう。足を踏み出すと、ぎしりとパネルが音を立てた。

この部屋の床は、下に電源ケーブルや通信線を通すための点検スペースになっている。

そういえば、開発当時、格子状の床はところどころ緩んでいた。

それが、そのまま放置されているらしい。


端末の前に辿り着くと、記録データの検索を始めた。

だが、目的のファイルは見当たらない。

表示されるのは破損済みのバックアップか、空のフォルダばかり。


(……消されてる)

(あるいは、最初からここにはなかったのか)


操作を続ける指先に、わずかな焦りが滲む。

それでも晃は数分のあいだ、執念のようにファイル構造を掘り続けた。

だが、やがて彼はふっと息を吐き、背筋を伸ばした。


懐から携帯端末を取り出し、そこに流れている中継映像に目を止める。

画面の中で、石田とシゲルが映っていた。

ふたりとも拘束され、背後には警備員らしき男が立っていた。


椅子に縛られたシゲルの横で、石田は手首を後ろに回された状態で地面に座らされている。

石田は誰にも気づかれないよう、小さく口を動かした。

唇の動きだけで、こう言ったように見えた。


(……これも、記録に残しておきます)


次の瞬間、機材が叩き落されるような音が響く。


中継映像はノイズにまみれ、完全に切断された。


(石田とシゲルは、捕まったか──どうなるかは分からない)

(だが、命を懸けた映像は、世界に届いたはずだ)

(なら、ここでの俺の役目はもう終わりかもしれない)

(……けど、犠牲はあまりに大きい)


そう思いながら踵を返しかけた瞬間。


―― 目の前のシャッターが重たい音を立てて閉じた。


(……やっぱり来たか。こうなる可能性も、考えておくべきだった)


「来ると思ってたよ、黒江」


かつて晃の直属の上司であり、今は『白の裂界』の副理事長。


──その名を、晃はゆっくりと呼んだ。


「お前こそ…でも空振りだったろう?」


黒江は肩をすくめるように笑いながら、手首に巻かれたApple Watch型の端末を何気なく操作した。その動作があまりにも自然で、かえって不穏さが際立つ。


(……まさか。さっき操作してたのは、あの端末か?)

(記録管理区画にデータがないなら──あれに、過去の記録が残っている可能性は……?)


黒江は数歩前に出て、ふっと鼻を鳴らした。


「思ったより頑張ったな、灰翼。だが無駄だ。

姫野が全部もみ消す。中継も、映像も、全部な」


晃の反応を見やりながら、黒江は続ける。


「……で、椎名はいないのか。失敗か?」

「……やっぱ、あんたがよこしたんだな。彼には出ていってもらった」


黒江が小さく片眉を上げる。


「無罪放免か、恩師の仇を討たなかったとは甘いやつだ」

「…やはり奏さんを?」

「自分の手は汚さず、指示だけ出して動かす。

それが一番確実だからな。

それだけは成功したが、他は失敗ばかり。

無能な男だ」


晃はゆっくりと一歩、床を踏みしめた。

靴底が金属板をわずかに軋ませる。

顔を伏せたまま、奥歯をぎりっと噛み締め、拳を握り込む。


「奏も、哀れだな。

工作員とも知らずに、子どもみたいな年齢の男に溺れて寝返った挙句、

ようやく改心したと思ったら──殺される。

信念を持ったつもりで、結局は何も守れなかった——ただの『理想のなれの果て』だ」


晃の指がピクリと震えた。拳に力が入りすぎて、関節がわずかに軋んだ。


「お前ら灰翼も、予想よりは足掻いたが──その程度の人数じゃ何もできない。

カナン正規軍が来れば鎮圧されて終わりだ。

記録からも記憶からも消される。無駄死にだ」


晃は顔を上げた。その目は静かに、だが明確な怒りを湛えていた。


「……無駄なんかじゃない」

「夢見るな。正義は物語の中では強い。だがこの世界じゃ、沈黙が正解だ」


黒江は懐から小さな銃を取り出し、その銃口を晃に向けた。


その手付きはどこかぎこちなく、訓練されたものではないことが明白だった。


「……わかるか?これが『現実』だ。言葉も理想も、武力の前では沈黙する」


晃はその銃口を睨みつけ、わずかに息を詰めた。

怒りと焦燥、不安と闘志が入り混じる中──次の瞬間、黒江の口元が歪む。


「阿久津──あの負け犬もそうだった。

 最期まで言葉にすがって死んだ、みじめな男だ。

 それから、お前ら兄妹もな。あれだけ騒いで、最後は壊れたまま。

 共通するのは『感情』だけだ」


その言葉が、晃の中の何かを完全に断ち切った。

胸の奥が、一瞬で灼熱に包まれる。

耳が熱を持ち、視界の端が滲む。

思考が焦げ落ちるように、冷静さが音を立てて崩れていく。


(──ああ、ダメだ)


次の瞬間、叫びが喉を突き破った。


「貴様ああああああああ──っ!」

晃は怒りのままに飛びかかる。


銃声が響いた──焼けつくような衝撃が、晃の脇腹を撃ち抜いた。

瞬間、晃の身体が揺れた。


「くっ……」


痛みによろめきながらも、晃は崩れ落ちることなく踏みとどまる。

目を細め、ぐっと息を飲む。


(……ここで倒れるわけにはいかない)


目を逸らさず、黒江の動きを見据える。

銃口が揺れ、黒江が再び撃とうとした瞬間、ふと、床のパネルの緩みに目が留まる。


「──今だ」


踏み込む勢いで、そのパネルを蹴り外す。鋭い音が響き、金属の格子がずれて口を開いた。


晃は即座に身をかがめ、空いた隙間に手を突っ込むと、非常用のバッファ回線を掴んで引き抜いた。


「なっ……!」


次の瞬間、室内の照明が一瞬だけ明滅し、

黒江のApple Watch型端末が警告音を鳴らし始めた。

予期せぬ信号遮断により、自動同期が切断されたのだ。


黒江が端末を確認しようと視線を落とした刹那──


晃は踏み込んだ。


金属パネルの段差に黒江の足を引っ掛け、バランスを崩させる。

バランスの崩れた黒江に渾身の体当たりをすると、黒江が床に倒れた。

まだ銃を握ったままの手を、思い切り踏みつける。

肉と骨の嫌な感触が足裏から伝わった。


「ぐっ……!?」


黒江が苦悶の声を上げる。

その手から銃を取り上げると、馬乗りになって心臓を狙った。


どちらとも言えぬ荒い息遣いが部屋を満たす。


「…殺すのか、俺を」

「……」


晃は、引き金に力を入れかけて、そして止める。

代わりに、思い切り銃の台座を黒江に打ち付けた。

黒江が、うめき声をあげる。

それに構わず、数回殴りつける。


黒江は小さくうめき、動きを止めた。


晃は、ゆっくりと大きく息をついた。

ふと目に入ったのは、黒江の腕に巻かれたApple Watch型の端末だった。

そのとき、不意に脳裏に蘇った。黒江が最初に現れたとき、あのApple Watchに何かを操作していた仕草。


逡巡の末、晃はその腕時計のベルトを外し、懐にしまった。


立ち上がり、動かないままに頭から出血する黒江を確認し、晃はゆっくりと息を吐いた。

だがその直後、身体の奥底から、鈍い疲労の波がじわじわと押し寄せてきた。


張り詰めていた気力が切れた瞬間、膝がかくんと揺れる。

脇腹の痛みが、さっきよりも鋭く刺さった。手を当てると、指先に生温かい感触がにじむ。


(……出血が、ひどい)


呼吸が荒くなり、視界がじわじわと霞み始める。

頭の奥がぼんやりとして、体の重さが倍になったように感じられる。


「……まだ、倒れられない」


晃は壁に手をついて体勢を整えた。だが、足取りはもう確かなものではなかった。

その直後。


懐の端末が、新着通信の受信を告げるバイブレーションを震わせた。

表示されたのは、ひとつの署名のないメッセージ。


『見た。君たちの中継は、確かに届いた』


***


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