第21話 晒された正義
公開フォーラムでの発言をきっかけに、晃はSNS上で猛烈な炎上に晒されていた。
「妹をダシにして感動ポルノ? 吐き気がする」 「誰でもいいから『感動枠』で持ち上げればいいと思ってんだろ」 「正義ヅラしたやつが一番タチ悪い。#山崎晃を許すな」
その言葉たちは、毒のようにタイムラインを流れていた。
さらに、晃が見てしまった一文。
「妹がPTSD?笑わせんなよ。兄貴が『英雄ごっこ』やってるだけだろ」
一瞬、頭に血が上る。 スマホを投げそうになる手を、なんとか押しとどめた。
だが、それで終わらなかった。
「この山崎晃ってやつ、潮見区で見たかも」 「前の勤務先、特定されたらしい」 「この動画の窓の位置……グーグルマップと一致してる。→ ストリートビュー」 「前の職場クビになったらしい。正義面した無職、いちばんダセェ」
次第に「晒し」の輪が広がり、晃は身の毛のよだつような悪寒を覚えた。
「ここにも、いられないかもしれない。」
カーテンを閉め、窓を確認し、スマホを伏せる。
ふと、背後で物音がした。
沙耶が部屋の隅で、ティッシュを手に持ったまま立ち尽くしていた。
「……見たんだ、全部」
そう言った彼女の声は、掠れていた。
晃は首を振る。
「気にするな、あんなのはただの——」
「気にしないわけ、ないよ……」
涙をこらえようとした沙耶の肩が、小さく震えていた。
「……私のことで、怒ってるの?」
「……違う」
そう答えながらも、晃の心には針のような言葉が深く刺さっていた。
「妹を利用するな」
──その一言が、何よりも重かった。
沙耶はそっと背を向けた。
晃はその姿を見送りながら、静かに唇を噛んだ。
***
その夜、コンビニからの帰路。
歩き慣れたはずの道が、妙に静かだった。
──ガシャン。
路地裏の暗がりで、誰かが空き缶を蹴り飛ばしたような音が響く。
振り返った刹那、金属の鈍い衝撃が後頭部を打った。
「ぐっ……!」
視界が揺れる。
足元が崩れる感覚。
地面の冷たさが頬に伝わるより早く、蹴りが背中に食い込んだ。
「お前みたいなやつが……出てくるから……!」
荒れた怒声とともに、さらに蹴りが腹にめり込む。 えぐられるような痛み。
「妹をネタにしてんじゃねえよ……偽善者が……!」
脇腹を殴られ、息が止まった。
呻き声すら出せない。
逃げなきゃ──そう思った瞬間、腕を引かれ、コンクリートに叩きつけられた。
「正義の味方気取りで、テレビ出てんじゃねぇ!」
顔を踏みつけられる。
頬の骨が悲鳴を上げ、歯茎から血が滲んだ。
ようやく身体を捻って逃れようとしたが、今度は膝が鳩尾に落ちる。
(痛い──苦しい──)
抵抗すればするほど、打撃は増していった。
「おまえの正義で何が変わったんだよ!」
「妹まで巻き込んで……死ねばいいんだよ、あんた!」
どれだけ殴られたのか、もうわからない。
意識が薄れていく中、最後に聞こえた声は、怒号ではなかった。
「……やめろ」
誰かが、確かにそう言った気がした。
***
……次に見たのは、白い天井だった。
「……生きてる、か」
頭には包帯、腕には点滴。目を動かすたびに痛みが走る。
その時、視界の隅に立つ人影に気づいた。
「……出雲?」
窓辺にたたずんでいた男が、こちらにゆっくりと振り返った。
「……ずいぶん、騒がせてくれたな。……肋骨、二本。軽いヒビと打撲。それから、左の頬に裂傷」
出雲が淡々と口にする診断名に、晃は小さく眉をひそめた。
声に責める色はない。ただ、静かに見下ろしていた。
「変わってないな、お前。まさか『討論会』であそこまで話すとは思わなかった」
「……なんで助けた?」
「君を監視してるのは僕だ。勝手に死なれたら困る」
晃はわずかに眉を寄せた。
「監視……か。沙耶がさらわれたとき、俺の家に監視カメラが仕掛けられてた。いつからだ?」
「……君が『対象』になったのは、ちょうど一年前だ」
「……そんな前から……」
「ただ──『最初の報告』は、僕じゃない」
「……え?」
「もうひとつ、推薦が上がってた。コード:K-07。……僕は、後から引き継いだだけだ」
出雲はそう言って、少し視線を逸らした。
晃の胸の奥で、じわじわと冷たいものが広がっていく。
──誰だ?
過去の上司だった黒江?
だが、過去の失敗に懲りて、職場では波風を立てないように過ごしていた。
その後も慎重にやっていたつもりだ。黒江が通報する理由は、考えにくい。
親友の仁科?
……いや、あいつは昔からの友人だ。俺を売る理由なんて……
それでも、誰かが『推薦』した。
俺が知らないうちに、どこかで、何かが、引っかかったのか。
──一体、どこで。何を見て。誰が。
知らないところで番号を振られ、「監視対象」としてリストに載せられていた現実。
喉の奥に鉛のような重さが沈む。
胸の奥で、静かに、何かが崩れていく音がした。
知らぬ間に、自分が『対象』と呼ばれ、番号で管理される存在にされたという事実に、背筋が冷たくなる。
──とはいえ。
出雲が駆けつけたのが「監視」の延長だとすれば、今回は皮肉にも、それに救われたことになる。感謝すべきなのか、悔しがるべきなのか、自分でもわからなかった。
ふと、言葉が漏れる。
「……監視してたにしても、よく襲われるってわかったな」
出雲は軽く肩をすくめてみせた。
「炎上の数値が跳ね上がってた。襲撃の予兆も出てたしな。……拾って当然だ。上からは、『無視しろ』とあったが」
晃は、少し黙ったあと、視線を落としながら呟いた。
「……それなのに、なんで来てくれた?」
「さぁ……誤差だな」
出雲は軽くため息を吐いて、壁の方へ視線をそらした。
それから、ベッド脇のサイドテーブルに、ひとつの封筒を置いた。
「次の『戦場』だ。民政革新党と言志会との合同公開フォーラム──『国民対話フォーラム』の招待状だ」
出雲はそう言って、ポケットから一枚のカードを取り出した。
「……蒼風が、俺に来いって?」
晃は眉をひそめる。
「違う。……あっちが、呼んでる」
「あっち……?」
言葉の意味を探るように、晃は小さく繰り返した。
──まさか。
視線がカードに落ちる。そこに記された差出人に、思わず息を呑んだ。
「……民政革新党、が……?」
思考が追いつかない。敵だと思っていたはずの組織がなぜ…。
出雲は静かに頷いた。
「前回の討論会では、君のことを『素人』だとタカを括っていた。でも、今回は違う。――君が『武器』になるのか、『餌』になるのか、それが試される」
晃は思わず唾を飲み込んだ。言葉の一つ一つが、鼓動に重くのしかかってくる。
それ以上は何も言わず、出雲は静かに病室を後にした。
それと入れ替わるように、廊下から足音が駆け寄ってくる。
「お兄ちゃん……!」
息を切らして沙耶が飛び込んでくる。 その目に涙の跡を残したまま、彼女は晃の傍に膝をついた。
「……私のせいで……」
その呟きに、晃はかぶりを振った。
沙耶の呟きに、晃は小さくかぶりを振った。
「……違う。お前のせいじゃない。
俺が無力なせいだ。
それでも――
全力で、もがいてでも、戦って……
そして、お前を守るって、決めたんだ」
沙耶は目を伏せたまま、それでもかすかに頷いた。
***
数日後。
まだ万全ではない足取りで、晃は病院の裏手へと出た。
植え込みの向こう、駐車場の陰に、ひとつの人影が立っているのが目に入る。
帽子を目深にかぶり、顔の半分を覆うような大きなマスク。
けれど、その仕草には、どこか覚えのあるものがあった。
(……あれは……奏さん?)
(でも、なんでこんな場所に……見舞い? いや、誰かを監視しているみたいな……もしかして、俺!?)
一度浮かんだ疑念が、じわりと広がっていく。
あのとき、家に仕掛けられていた監視カメラ。
出雲が口にした「最初の報告」──コード:K-07。
(まさか……あの推薦、奏さん……?)
晃は確かめるように、回り込んで視界に入る位置まで歩を進めた。
驚いたように目を見開く彼女。
「……なんで、ここにいるんですか」
奏は一瞬言葉を詰まらせたが、やがて小さく答えた。
「……見舞い。あなたがここに運ばれたって、知ってたから」
「俺がここにいるって、誰から?」
「……昔のつてで、ちょっとだけ」
「……それだけじゃないですよね」
晃の声が低くなる。
「あなた……俺を『監視対象』に推薦しましたか?」
奏の目がわずかに揺れた。
その一瞬で、晃はすべてを悟った。
「妹が連れ去られた日──家に、盗聴器が仕掛けられてました。1年前から俺は監視対象だった」
沈黙。
やがて奏は、うつむいたまま、かすれるように呟いた。
「……どうしようもなかったの」
晃はその言葉を受け止めるように目を閉じ、深く呼吸を整えた。
そして、ほんのわずかに声を低くして問いかけた。
「……あなたは、どちらなんですか?灰翼ですか?それとも……」
奏は答えなかった。
視線を落とし、唇を閉ざしたまま、ただ沈黙だけが残った。
それが──答えだった。
そしてそのまま、歩き去っていった。
晃はその背中を見送りながら、自分の中に、何かがゆっくりと崩れ、また形を変えていくのを感じていた。
***
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