第22話 火種の声は、かき消されても

民政革新党・広報戦略室。壁一面のモニターに、SNSのトレンドや世論動向が絶え間なく流れている。


内閣官房副長官補 兼 民政革新党広報官の姫野京子はその中央で、静かに椅子に腰掛けていた。スーツの襟を整えながら、タブレットに映る『山崎晃 炎上』のスレッド群に目を通す。


「思ったより伸びてるわね。……好都合」


報告に来た若手官僚が苦笑いを浮かべる。


「ですが、蓮見陣営は『表現の自由』を盾に援護し始めています。あまり追い込みすぎると——」

「『言論の自由』を守るには、時に『言葉の責任』を教えなきゃ」


姫野は立ち上がり、指で空中のニュースフローをスクロールした。


「『国民対話フォーラム』。テーマは『声と責任』。よく響くわよ。彼も呼びなさい。包帯姿の『ヒーロー』役として」

「山崎晃を、ですか?」

「ええ、表向きはSNSで話題になったから。『若者の声を聴く』って名目。本当の目的は一つよ——蓮見瑛士と山崎晃、まとめて潰す」


姫野京子。


元はテレビ局の看板キャスター。

その明晰さと華やかさで人気を集め、いまや、政権の『顔』を務めている。

SNSからテレビまで――言葉の力で空気を操るプロフェッショナル。

政敵をメディアの言葉で追い詰め、民意を味方につける手腕は、一部の政治家すら恐れるほどだった。


だが、最近の彼女の胸中には、ひとつの棘が刺さっていた。

それは、蓮見瑛士。

野党第一党・言志会の代表のあの男が、政権批判をSNSと演説で巧みに展開し、特に若年層からの支持を急激に伸ばしている。

憎き野党の急先鋒――カナンとの協調にも正面から楯突く存在だ。

もし、あの男さえいなければ。メディアの頂点も、民意の誘導も、すべて思いのままになるはずだった。


メディアに飼いならされない政治家──そんな存在がこの国にまだ残っていたことが、彼女には許せなかった。


彼女の口元に、冷たく計算された微笑が浮かぶ。

それは、すでに勝敗を知っている者だけが持つ静かな確信だった。


「情緒と感情だけで動く正義漢に、現実の重さを教えてあげるわ。……公開の場で、ね」


***


「民政革新党と言志会による合同公開フォーラム」——通称「国民対話フォーラム」。


建前は市民の声を拾い上げる討論イベントだったが、その裏ではひとつの企図が動いていた。仕掛け人は、姫野京子。


「話題性」「同情」「若者」──それらすべてを『利用』するため、彼女は晃を舞台へと引きずり出す。


晃は、包帯の巻かれた顔とまだ癒えぬ痛みを引きずりながら、控室に入った。


「なんか、変な視線……多くない?」


沙耶がそっと袖を引いた。

晃は笑って見せたが、その笑顔は固かった。


壇上には、言志会代表・蓮見瑛士と、内閣総理大臣・甲斐宗一。

そして中央モニターには「市民と語る政治の未来」など、理想的な文言が踊る。


甲斐総理は椅子に深く腰掛け、静かに目を閉じていたが、その佇まいだけで異様な緊張感を放っていた。あくまで傍観者の姿勢を崩さず、それでも場を支配するような存在感があった。


やがて、司会として現れたのは、完璧なメイクと笑顔を携えた姫野京子だった。


「本日は『本音で語る日』にしましょう。たとえ、痛みを伴っても——ね?」


艶やかなローズモーブの口紅が、整った唇を際立たせていた。

柔らかな微笑みに見えたが、その目元には冷ややかな光が宿っている。

まるでカメラ越しに『物語』を演出するキャスターのようだった。


その言葉に、晃はどこか不穏なものを感じ取った。


(この人は、最初から俺を潰すつもりで呼んでいる──)


討論が始まると、姫野は巧妙に場を操りつつ、あくまで『中立』の体裁を守る。


「ではここで、『当事者』としての経験を持つ若者に登壇していただきましょう。山崎晃さんです」


拍手と視線。晃は戸惑いながら前に出た。

その姿が壇上に現れた瞬間、会場がざわめいた。

左頬に貼られた白いガーゼ、その下に隠された青紫の痕跡。首筋には薄く内出血が残り、視線を集めずにはいられない。

敵意、好奇心、憐れみ——ざらりとした空気とともに、数えきれない感情が彼に突き刺さった。晃はその視線の一つ一つを受け止めるように歩き、壇上の中央で足を止める。

ほんの少し、傷が痛んだ気がした。

けれど彼は、わずかに息をつき、真正面を見据える。


「……僕は、矯正施設で何が行われていたかを知ってます。妹が、そこに収容されたからです」


その瞬間、場の空気が凍りついた。晃の喉は乾き、手のひらには汗が滲む。

一瞬の静寂のあと、姫野は涼しい顔で切り込んできた。


「『知っている』という根拠は? 文書ですか? 映像? それとも、あなたの『主観』?」

「証拠はない。けれど、これは真実だと……僕は信じています」


晃の声は、震えてはいなかった。

だが、姫野の微笑みは、その静かな決意さえも優雅に飲み込んでいく。


「信じているから真実? それは『あなたの物語』であって、『この国の現実』とは限りませんわ」


晃は食い下がる。


「違います。僕は──自分の目で見ました。矯正施設の内部。制服を脱がされ、髪を切られ、声を奪われた子どもたち。自分という輪郭を削られ、希望すら「不要なもの」として踏みにじられた光景だった。自分の名前さえ忘れそうになるような、あの空気。そこに、子どもたちがいたんです。苦しみながら──それでも、生きようとしていた」


一瞬、会場に沈黙が落ちる。


けれど、姫野はわずかに首を傾げて返す。


「それはあなたの『感想』ですわね。では、そこに『被害者本人』がいれば、もっと信憑性があると思いませんか?」

「……っ」

「妹さんを、お連れください。あなたの妹さんこそが、『証言者』として一番の存在でしょう?」


晃は息を呑む。

喉が渇き、声が出にくくなったのを感じながらも、なんとか絞り出す。


「彼女は……まだ、外に出るのもやっとなんです。

それなのに、こんな場所に引きずり出すなんて……」


「それでも、あなたは『彼女の体験』を語る。

それは、『正義の名を借りた代理戦争』ではなくて?」


鋭い。


「……あなたが『妹さんの代弁者』である限り、彼女はいつまでも『被害者』のまま。

違いますか? ――あなたが、妹さんの『加害者』なのかもしれないのですよ」


晃の中で、最後の言葉がざっくりと胸に刺さった。


何かを言おうとして、口が動く。

けれど、声にならない。


守りたいと思った。

伝えたいと思った。

けれど、彼女の声を──いま、誰にも聞かせられないという現実。


「……それでも、僕は……っ」


絞り出すように言いかけたところで、ふと視線が客席を探る。


そこに──沙耶の姿があった。


震えるように唇を噛みながら、彼を見つめていた。

何かを言いたそうに、でも言葉にならず、目だけが──まっすぐ晃を捉えていた。


(沙耶……)


その目は、ただ怯えているだけではなかった。

迷いながらも、なにかを決めようとしている。


沙耶が、椅子からそっと身を乗り出す。

晃は、その目の中に揺れる「決意の予兆」を見た。

……けれど、まだそのときじゃない。彼は小さく、横に首を振った。


――大丈夫


口の動きだけで、そう伝える。

声にはならなくとも、その意思は届いていた。


彼女は立ち上がらなかった。

晃は、小さく息を吐き、再びマイクに向き直った。


「……それでも、僕が、話します」


声が揺れるのを、隠さずに。


「彼女がまだ話せないなら、僕が届ける。

あの日、あの場所で、彼女が感じた理不尽を──僕が語ります。

そして、いつかきっと。彼女自身の言葉で、それを世界に投げ返せる日が来る。

だから今は……僕が、その橋になります」


沙耶が、目を見開いた。

晃は、ゆっくりとうなずいた。


だが。


姫野は静かに、残酷なほど冷ややかに言葉を落とした。


「語りたいなら、小説にでもお書きなさい。

ここは、物語を披露する舞台じゃありませんのよ。

政治は、事実と結果だけで動くものです」


その一言が、晃の胸を鋭く貫いた。

晃は、詰まった。頭の中で言葉がぐるぐると回る。


(俺の言葉じゃ、何も動かせないのか……)


姫野は微笑を浮かべながら、観客へと向き直る。


「感情で政治は動きません。証拠なき言葉に、どれほどの意味があるのでしょう?」


晃が言い返そうとしたそのとき——

壇上で沈黙を保っていた甲斐総理が、ゆっくりとマイクを取った。


「……声を上げる勇気は否定しない。だが国家は、『責任と秩序』で成り立つ。

感情に流されれば、国はたやすく崩れる」


その声は低く、深く、会場の空気を一変させるだけの威圧感を帯びていた。

晃は、背筋に冷たい汗を感じた。


「もし、その『正義』が秩序を揺るがすなら──我々は、それを正義と呼ぶべきなのか?」


晃は言葉を失ったまま、総理の視線に射すくめられる。


「……僕は、ただ……あのとき、妹を助けたくて……」

「なら、今も彼女は『助けられて』いるのかね?」


(この人の言葉には、誰も逆らえない……)

(いや、だから諦めていいのか?…このカナン人にこの国を支配されて?)


あの日、第四補助施設で目にした「治安統制共同管理協定」。

その署名欄には、カナンの名で署名が行われていた。


静かな怒りが腹の底からわく。

それが晃に、再び口を開く力を与えた。

証拠がないと言われてしまうかもしれない。

それでも、ここで諦めるわけにはいかなかった。


「あなたが言う『理』は、誰のためのものですか。

この国のため? それとも……カナンのためですか?

あなたは本当に、日昇国の民意を見ているんですか?」


会場全体が微妙なざわめきに包まれる。冷たい視線と驚きの表情、その間にある沈黙。その全てが晃に突き刺さるようだった。


「根も葉もない憶測で『理』を乱すんじゃない」


総理の容赦ない叱責がぴしりと飛ぶ。

ほんのわずか声を荒げただけだった。

それでも、雷鳴のように会場の空気を激しく揺さぶった。


これを覆す武器を、晃は持たなかった。

再び、姫野がすっと差し込む。


「それも…証拠はないんですわね?言いたいことはそれだけかしら?」


晃は、完全に沈黙した。

最後の矢もむなしく地に落ちた。

自分の言葉がどこにも届かない。

すべてが否定され、打ち消されていく。


無力感と屈辱と絶望。晃の胸には、声が届かない痛みだけが残った。


「一人の若者が、自らの痛みを曝け出して語った。

その声が完全でなくても、私はそれを『聞く価値』があると信じています」


これまで成り行きを見守っていた言志会代表 蓮見瑛士が静かに口を開いた。

壇上の重苦しさに、わずかながらも希望の灯がともる。

だが、潮流はまだ大きく変わっていなかった。


「しかし、今この場にいる総理や政権側は、その声すらも『騒音』とみなして消し去ろうとしています」


蓮見の声は静かに響いたが、その言葉は確かに会場の隅々まで届いた。

甲斐総理がゆっくりと立ち上がり、厳しい声で問いかける。


「言志会代表、蓮見瑛士殿──ではあなたに問います。声を『聞く価値』があるというなら、具体的に何をお望みか?」


蓮見は総理に向かって一歩踏み出し、目を曇らせずに応じる。


「私はただ、この国の大義と国民の苦痛を政治の場に返したいだけです。声を切り捨てる権力には、耳を傾ける責任があると信じているのです」

「責任? ほほう。では、『国益』よりも国民個々の感情を優先させるというのか?

その判断が、この国を混乱へと導くのではないかと。懸念は抱かれぬのか?」


蓮見は少し微笑みを含ませ、静かに返した。


「混乱と呼ばれるものの多くは、抑圧が招いた叫びです。真に国を思うならば、その叫びを抹消するのではなく、真摯に受け止める覚悟こそが必要ではありませんか?」


蓮見は静かに視線を甲斐総理へと移し、唇に薄く微笑を浮かべた。会場の空気が変わりかけた瞬間、甲斐総理が口を開いた。


「それを国民は望んでいるのかな?」


蓮見は一瞬、言葉を詰まらせたが、すぐに朗らかに言い返した。

「……我々も選挙で選ばれた人間です」


甲斐総理は冷ややかに笑みを浮かべ、言葉を続けた。

「ごく少数の有権者からな。今、圧倒的に選ばれているのは我々だ。」


甲斐総理は再びマイクを握り締め、静かにうなずいた。

その声には、勝利を確信する響きがあった。


「蓮見瑛士殿、そのお言葉、重く受け止めます。しかしながら、自由と秩序は車の両輪です。叫びを受け止める覚悟を持つ一方で、我々は国を導く責任を担わねばなりません。もし抑圧と呼ぶなら、それは混乱を鎮め、未来を守るための苦渋の選択でもあります。粗暴な声も、秩序を乱す声も、国家という器で統理しこそ、真実の共生を築く道が開けるのです」


やがて、抑制された拍手が数ヶ所で鳴り始め、総理の完全な勝利を象徴する空気が会場を満たした。


晃の胸の中で、怒りが渦巻く。

それは焦燥と無力感が入り混じった激流だった。


――お前はカナン人だろう! この国の未来に責任があるのか?


喉まで上がった言葉が、一瞬だけ止まる。

証拠もないまま、罵倒しても――それはきっと、何の力も持たない。

晃は深く息を吐き、言葉を呑み込んだ。

その瞬間、自分の無力さが胸を強く締めつける。


深い敗北感が心に沈む中、会場の視線が重く晃に刺さった。


***


控室でネットの速報ニュースを見ると、「総理の論破」「民政革新党、言志会を制す」などの見出しが躍っている。


――早すぎる、だが、これが用意されていたシナリオであれば、不思議ではない。


重い気持ちで控室を後にして廊下を歩く晃に、ふいに後ろからかけられた。


「……君の言葉は、届いていたよ」

そこに立っていたのは、蓮見だった。

照明の落ちた廊下で、彼の眼差しはどこか穏やかで、それでいて深いものを湛えていた。


「誰かが立ち上がるには、火種がいる。

そして火は、たとえ消えたように見えても……再び灯るんだ」


晃は言葉が出ず、ただ蓮見を見つめ返す。


「……俺の言葉なんかじゃ、何も……」

「『言葉じゃ変わらない』と、誰かが言った。でもね、言葉は変わるきっかけにはなれる。私は、そう信じてる」


蓮見はそう言い残し、背を向けて歩き出す。


その背中を見送りながら、晃は心のどこかに、静かな灯がともるのを感じていた。


***


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