第20話 届いた先へ
玄関のドアを閉めた瞬間、外の喧騒が切り取られた。
1LDKの仮拠点。明かりはついているのに、どこか夜の空気が漂っていた。静かすぎて、時計の秒針がよく聞こえる。
沙耶は何も言わず、冷蔵庫からミルクを取り出し、コップに注いだ。
晃はスマホを手にしたまま、ソファの端に腰を下ろす。
──通知の山。
《演技派兄妹》《被害者ビジネス》《かわいそうアピール》《妹を盾にしてる》《反政府テロリスト予備軍》《この女、マジで売りだった説》《顔晒せ》《昔からビッチだったらしい》
《#これは共生なのか》というタグが、同時にトレンド入りしていた。
《あなたの言葉に救われました》《涙が出ました》──肯定的な声もある。だが、それ以上に刺さる言葉は、鋭く、容赦がなかった。
ふと、スマホの通知にひときわ目を引く投稿があった。
《特定した。駅前で撮った写真あげとく》
添えられていたのは、さきほど別れたばかりの駅前広場の一角。晃と沙耶が並んで歩く、後ろ姿の写真だった。
「……っ」
晃は無意識にスマホを伏せた。
沙耶が、晃の手元をそっと覗き込む。
「……それ、さっきの?」
晃は答えなかった。ただ、ゆっくりと首を振り、立ち上がる。
「もう見るな、沙耶。……これは、俺が受け取るから」
沙耶は口を開きかけたが、何も言えず、コップのミルクを強く握った。
その小さな手がわずかに震えているのを、晃は見逃さなかった。
「……私のこと、書かれてるんでしょ」
絞り出すような声だった。唇がかすかに震え、視線は床に落ちた。
それでも、泣くことだけは必死にこらえているように見えた。
「だからだよ。……お前が背負う必要はない」
晃は、再びスマホを手に取る。画面には、蒼風の投稿が引用されていた。
声を奪う制度は、共生ではない。言葉を交わせること。疑い、問い直せること。そこからしか本当の理解は生まれない。
#これは共生なのか
一瞬だけ、晃はその投稿を見つめた。
「……届いてる。でも……」
そう呟いたまま、晃は言葉を続けられなかった。
部屋の窓の外では、誰にも気づかれない風が、静かに街路樹を揺らしていた。
***
東都──仮拠点の一室。
スマホが小さく震えた。
晃は机の上で充電していた端末を手に取ると、画面に浮かんだ通知に目を細めた。
《野田:Yo!施設図面、回収完了!マジでギリギリだった。超限定公開フォルダからの神引き》
添付されたファイルを開く。複雑な構造線が走る施設の内部図面。
地下通路、排気シャフト、監視カメラの死角──
情報が次々に目に飛び込んでくる。
《野田:搬送ルート、警備緩めっぽい。襲撃、ワンチャンあるかも》
《晃:作戦を立ててるのか?》
《野田:まだ検討段階。でも、空気はそっち寄り。柿沼が現地で確認中》
図面の中に、沙耶が見たであろう廊下が浮かぶ。
晃はしばらく画面を見つめたあと、静かに打ち込む。
《晃:俺も参加する。矯正施設で、あの子達と約束したから》
──「必ず助けにくる。……君たちを、絶対に忘れない」
あの子と交わした言葉が、今も胸に残っていた。
自分の手で救えなかった分だけ、今度は、誰かの手を引いて出ていく。
野田シゲルからの返信は、しばらくの間なかった。
やがて短い返事が届く。
《……その話、オレからは何も言えねぇ。阿久津さんに聞いてくれ》
***
数時間後──通話。
『……山崎か』
阿久津の声はぶっきらぼうで、相変わらずの低音だった。
「作戦の件、聞きました。俺にも手伝わせてください」
晃の声は冷静だった。けれど、その内にあるものを隠すつもりはなかった。
沈黙が落ちる。
受話口の向こうで、誰かが息をついたような気配があった。
『……討論会、見た』
阿久津の声が、思ったよりも静かだった。
『お前の戦場は、そこだろう』
晃は唇を引き結んだまま、少しだけ目を伏せる。
そして、短く答えた。
「……わかりました。そちらは任せます」
『しっかり戦え』
ほんの一瞬の沈黙。
「……死なせないでください、誰も。あなたも…」
声はごく小さかったが、阿久津は何も言わず、それでも、確かに聞こえていた。
通話は、そこで切れた。
***
通話を終えたあとも、晃はしばらくスマホを手の中で弄んでいた。
図面をもう一度開き、画面を指先でなぞる。
──どうすれば、襲撃の成功率を上げられるか?
排気口のサイズ、カメラの死角、搬送ルートの時間帯。
複雑な情報を組み合わせながら、晃は呟いた。
「……出口が狭い。収容者がいたら、全員は通せない」
数分後、シゲルにメッセージを送る。
《晃:排気口の真上、たぶん旧通風ダクト。構造上、外から細工できるかも。念のため確認して。あと、搬送ルートの『分岐点』、警備が薄い時間帯は何時だ? 過去ログから追えるはず》
《野田:りょーかい。やっぱ助かるわ、お前。現場じゃなくても、できることはあるな》
返ってきた言葉に、少しだけ救われた気がした。
けれど、胸の奥には、燻るようなもどかしさが残った。
──ほんとうは、自分の手で助けたかった。
それでも、いま自分にできることをやるしかない。
晃は静かに画面を閉じ、パソコンに向かい直した。
ふと視線を上げると、隣のソファで眠る沙耶の姿が目に入った。
沙耶は小さなくしゃみをした。その音が、晃の耳に届く。部屋の静けさが少しだけ揺れたような気がした。 晃は視線を向けると、沙耶の細い肩がかすかに震えているのを見た。
その震えが、どこか頼りなくて、小さな子どもみたいに見えて、それでもふと、胸の奥に熱を灯すほどに、愛おしかった。
すぐに、彼はその思いが体の奥から湧き上がってくるのを感じた。
「風邪ひくぞ」
無意識にその言葉を口にした瞬間、気づけば沙耶を抱き上げていた。
沙耶の体は思ったよりも小さくて、ぎゅっと抱きしめるように彼の腕に巻きついた。
その拍子に、彼女の柔らかな胸が、自分の胸に押しあてられる。
晃は一瞬、息を呑み、動きを止めた。
「……。」
何も言わずに、沙耶をベッドに運び、布団をかけた。
この数日で、ようやく彼女が少し笑うようになった。
ようやく、眠れるようになった。
ずっと、この子を守って二人きりで暮らせたら。
でも──
祈りを待つ手を、忘れて生きることは……きっと、できない。
***
優しさは確かに伝わった。
けれど現実は、いつも画面の向こうで歪む。
──住所、勤務先、顔写真。晒されたのは、彼の『生』だった。
***
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