第11話 狂気
ギィ……とマーカーがホワイトボードを走る音が、やけに鮮明に響く。
野獣先輩が無言で立ち上がり、会議室の前方へと歩いていった。
迷いのない足取りで、彼は壁一面に広がる真っ白なボードの前に立つ。
そして、ポケットから取り出した黒のマジックペンで、ためらうことなく書き始めた。
「新商品プロジェクト:プロテインバー“BEAST ENERGY”開発」
ごつい筆圧。ごつい字。
ペン先がボードに食い込みそうな勢いで、
野獣先輩は一気にタイトルを書き上げた。
「目的:日本一売れるプロテインバーを作る」
「目標:発売初月で売上5万本突破」
「期間:3ヶ月」
あまりにも無慈悲な数字たちが、ボードに堂々と鎮座する。
「……ちょっと、待ってください」
思わず、俺は口を開いていた。
自分でも驚いた。野獣先輩の前で、自然に言葉が出てしまったことに。
「三ヶ月って……あまりに無茶じゃないですか?
商品企画、開発、製造、広報まで全部……」
言いかけたところで、俺の目と野獣先輩の目が合った。
野獣先輩の瞳は、まるで揺るがない水面のようだった。
静かで、深くて、吸い込まれそうなほどに。
「不可能だと思うか?」
低く、けれど力強い声が俺の鼓膜に届く。
「……普通に考えれば、はい」
「そうか。だが、俺達に不可能はない」
ズンと胸の奥に何かが響く。
大げさでも何でもない。
この人の言葉は、スピーカーじゃなくて、心臓に直で届いてくるのだ。
「時間がないなら、知恵と汗で補え。なにより、俺たちには“筋肉”がある」
どこからどう見ても開発会議には似つかわしくないその言葉に、
上野先輩が思わず吹き出しそうになるのをこらえていた。
「それに……これを成功させたら、部署全体の予算が2倍になるらしいぞ」
「それ、マジっすか?」
朝日先輩が言った。
「マジだ」
野獣先輩のその言葉に完全にやる気になったのか、
朝日先輩は資料に目を通しながら口角を吊り上げていた。
「面白くなってきたな……!」
そう言って朝日先輩がニヤリと笑う。
「太田、開発はどこまで進んでる?」
野獣先輩が、分厚い資料を持って立ち尽くしていた太田先輩に向かって声をかけた。
その声にビクッと肩を震わせた太田先輩は、
おずおずと資料を開き、あるページをめくって机に置く。
「えっと、ここ……ここです」
指さされたページには、ドンと――まるで悪ふざけの極致のように
一本の異常に長い棒の画像があった。
「な、なんだこれ……?」
俺がつぶやいたその画像の下には、堂々とこう書かれていた。
『プロテインバーの新しい形。
好きな時に、好きなだけ食べられる。
全長1メートルのプロテインバー。
まるで魔法の杖のように持ち歩けるから、インスタ映え間違いなし!
これであなたも人気者!』
「……ッ」
横にいた上野先輩が、震えた。肩が。口が。頬が。
そして――
「ぷっ……ブハッハハハハハ!!」
爆発した。
「いやいや、インスタ映えって!?一メートル!?
あははっ、魔法の杖って、どういう……!」
さすがの上野先輩も、まともに正気を保てなかったらしい。
腹を抱えて笑うその姿に、俺も口を半開きにして固まっていた。
「こんなヤバい商品……発売するんっすか?」と、朝日先輩が頭を抱えた。
派手な見た目によらず、朝日先輩は仕事に対して真面目なのかもしれない。
「……ここからが俺たちの仕事だ」
野獣先輩が、真剣な顔でページを見つめながら言った。
「形は……どうでもいい。中身が勝負だ。
1メートルでも10センチでも、うまくて売れればそれでいい」
「でも野獣先輩、魔法の杖のようなプロテインバーって売れるんでしょうか……」
あまりの衝撃につい本音を口にしてしまう。
「そうだな。魔法の杖じゃもの足りない…。なら、
俺たちの手で“伝説の杖”にしてやればいいだけのこと!」
そういう問題じゃないのに、マジで言ってる。この人、正気じゃない。
野獣先輩から目をそらしたら飲まれる。気圧される。
俺たちは、マジで“1メートルのプロテインバー”を商品にしなきゃいけないらしい。
「商品イメージがここまで固まってるってことは……」
野獣先輩が腕を組み、資料のページをじっと見つめた。
「……試作品は、もうできてるのか?」
視線の先には、額の汗をぬぐいながら資料を抱える太田先輩。
彼は一瞬、口をもごもごとさせてから、思い出したように口を開いた。
「あ、ああ、そうです。えっと……明日、提携してる製造工場に行って、
試作品を見せてもらう予定だったんです」
それを聞いた野獣先輩の瞳が、一段ギラついた気がした。
まるで獲物を前にしたハンターのような目だ。いや、ライオンだ。
会社という名のサバンナに放たれた百獣の王。
「じゃあ、全員で明日その工場に行くぞ」
「ぜ、全員で!?」
思わず俺の声が裏返った。
こんなノリで遠足みたいに工場見学行くのか、俺たちは。
でもそんなツッコミも虚しく、野獣先輩の視線は揺るがない。
「実際に自分の目で見て、触って、食ってみないと――商品は語れない」
…確かに。
「その間にさぁ」
と、隣の朝日先輩が手をひょいっと挙げた。
「商品のキャッチコピー、考えるのってどうっすか?」
「――それ、いいな」
即答した野獣先輩は、すっと立ち上がり、ホワイトボードの前へ歩み寄る。
そして、迷いのない手つきで、マジックを握りしめた。
ギィィ……と嫌な音を立ててキャップを外すと、
そのまま流れるように文字を書き始める。
ギュイッ、ギュッ、ギュギュッ。
カスれがちな音が部屋に響いた。
そして、完成したプロテインバーのキャッチコピー――
『1メートルの衝撃。
折るか、噛むか、それとも……喰らうか?』
「……!」
誰もが、しばし沈黙した。
「……野獣先輩、それ、真面目に考えました?」
「俺はいつだって真剣だ」
マジだった。
目が本気だった。
冗談でも、ウケ狙いでもない。
彼はこの世界に“1メートルのプロテインバー”を全力で売る気だ。
上野先輩は顔を伏せて肩を震わせていた。
朝日先輩は口をポカンと開けたまま、ホワイトボードを見つめている。
俺はというと……もう逃げられないな、と思っていた。
このプロジェクト、面白いかもしれない。
でも、間違いなく――常識では済まされない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます