序章・後 蒼い傷跡/誰よりもやさしい君へ
その後も絆奈との穏やかな日々は続いた。
ー10月ー
「さぁ中学最後の文化祭だよヨミ君!張り切っていこ!」
「張り切るのはいいけどオレを巻き込まないでくれない…?」
結果、詠は絆奈と文化祭の出し物を共に巡り尽くした。昼食に出店の焼きそばを一緒に購入したが、詠の方にはピーマンとキャベツの芯がやけに多く入っていた。というか増え続けていた。それを不思議がっていると、絆奈は「気のせいじゃない?」と言っていたが彼女の焼きそばにはやけに青野菜が少なかった。
ー11月ー
「ちょっとずつ寒くなってきたね。ねぇテストも近いしさ、今度ヨミ君家で、勉強会でもやろうよ。」
「えぇ…」
「あ、ごめん。ヨミ君も男の子だもんね…でもえっちな本があっても私、気にしないよ?」
「あ、ごめん。寒いから窓閉めてくれる?」
「まさかの
詠の家に訪問することはなかったが、学校の図書室で二人は勉強することにした。対面ではなく長机に横並び。たまに肩や肘が触れたりして衣擦れの音が静かに鳴るたび、お互い顔が熱くなる。図書室は常にしんとしているため、それがやけに彼らの羞恥をくすぐった。
◇
そして12月
それも24日。
詠は絆奈に誘われてカフェに来ていた。いくら詠でも24日の日に遊びに誘われる意味くらい何となく分かる。少なくともドッキリだとかの悪意が介入してくることはない、と思う。
そう思うのは、実は絆奈からクリスマスプレゼントを貰っていたからだ。本当は当日のサプライズにする予定だったらしいが、我慢できずに早めに渡してくれた。
黒のミリタリージャケット。よく似合っているとお墨付きをもらった。
これはお返しをせねばなるまいと詠は今回、プレゼントを用意している。
詠も絆奈はまだスマホを持っていなかったが、13時にこのカフェに集合することはしっかりと覚えている。
彼女の喜ぶ顔を見てみたい。それだけをこの時は考えていた。
が、14時になっても彼女は来なかった。
17時になっても、18時になっても。その日の営業時間いっぱいまで詠はひたすら待ち続けた。
それでも、彼女が現れることはなかった。
詠の頼んだコーヒーは既に冷え切って、そこに移る自分の顔は今までにないくらい沈んだ顔をしていた。
♢
翌朝は登校日なので、詠は早めにいつもの席に着くが、隣には誰もいない。
彼女は今まで無遅刻無欠席だったらしく。休んだこともないらしい。だからこそ不安だった。
そして
その不安は最悪の形で当たってしまった。
朝のホームルームの時間で担任の女性教師が重苦しい表情で現れ、言った。
「皆さんに、伝えなければならないことがあります。
「⋯は?」
詠の頭の中はもう真っ白だった。その後も何か女性教師は言っていたが何も覚えていない。ホームルームが終わって、詠は本能的に一人になりたいと思っていたのか、ふらふらと中庭のベンチまで来ていた。
何も考えたくない。何が起きているのかもまだ受け止めきれないのだから。しんしんと雪が詠の肩に積もっていくがまるで冷たさを感じない。項垂れて座っていると目の前に誰かの爪先が見えた。
「ねぇ、ちょっといい?」
話しかけてきたのは美穂だった。詠とはこれまで話したことはない。居なくなってしまった彼女のことを思ってか、彼女もまた悔しそうな顔をしている。
「きぃちゃんの病気のこと、あんたは知ってたの…?」
「…知らない。さっき初めて聞いた。」
「あの子がクリスマスイブのために、プレゼントを用意していたのを偶然見ちゃったの。本当に何も知らないの?」
「オレも本当に知らないんだ!だって…」
だって○○さんが君にも話していないなら、誰も知らないじゃないか。
○○さん…?
そうだ。
詠は今まで
彼女の名前を一度も呼んだことがない。
「嘘でしょ…?もしかして…」
突然青ざめる詠の顔を信じられないという顔で美穂が見る。
やめてくれ。
その先は言わないでくれ。
詠は思わず耳を塞ごうとした。
「きぃちゃんの名前、知らないの…?」
「ぁ…」
先に、言われてしまった。名前を知らない、覚えていない。声も出せずに詠はパニックになっていた。彼女の姿すら白くぼやけてしまうほどに。
あれ‥?
あれ‥?
そんな詠の目を覚まさせたのは左頬に感じた強い熱。数秒経ってからそれは平手打ちだったのだと気づいた。恐る恐る目を合わせると、美穂は鬼の形相でこちらを見ていた。
「異常者…!あんたは異常者よ!」
この時
詠の心が深く抉られた音がした。
「あの子の好きなものは⁉あの子の好きな食べ物は⁉あの子の好きな場所は!?あの子の嫌いな食べ物は⁉あの子の趣味は⁉あの子の好きな映画は!?あんたはどれか一つでも答えられるの!?」
何も答えられない。
8か月以上、一緒に居たのに。何も。
「あんたはあの子の何を見ていたの!?答えてよ!あんたなんかに出会ったせいであの子は…返してよ…!きぃちゃんを返してよぉぉぉぉっ!」
膝を折って泣き続ける少女に詠は何も言えなかった。
かける言葉が、見つからなかった。
♢
詠はその日早退して自室に籠った。
そしてドアを背にして座る。
自分が8ヶ月も一緒にいたせいだ。絆奈の友人はたくさんいたのに自分が時間を奪った。何一つ絆奈のことを覚えられない奴と一緒にいたせいで、思い出を作れなかった。
絆奈の人生を、終わらせた。
「ぅ…あぁ…っ!!」
何を被害者面して泣いているんだ。
泣く資格なんてお前にはない。
傷つく資格すらない。
傷ついたフリをするな
お前が
詠の頭の中で反芻する声は心無いものだった。
いやそれでいい。
今は、これくらい心をズタズタにしてほしい。
今は、幼稚な自傷しか薬にならない。
「何が…やさしい人だ……っ!なんでオレなんかのために…っ」
「オレは…っ!君の名前すら…っ覚えられない…だからこんな最後になってから後悔するんだ…俺は、結局何も変わってないじゃないか…っ!!!」
何度も何度も机を殴りつけて、ついには血が噴き出した。それでも、一向にやめることはない。
「死ねよ‥ッ!死ねよ‥ッ!死んじまえイカれ野郎ッ!」
どれだけ後悔しても時計の針は後ろには進まない。覆水盆に返らず。それが世の中の理だ。
人を知ることができなかった。知ろうともしなかった。
詠は絶叫し、泣き続けた。何度も。何度も。
その傷跡は、深く深く心に刻まれたまま
今も癒えることはない。
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