異品改方捕物帳~連発銃奇譚
Obi
第一話【序章:連発銃】
序
異品改方(くだりもの あらためかた)与力 浦部玲香。
人の業(ごう)は、死してなお幽世に滲む。
今宵、禁制品の銃を巡る闇取引を、“下り物狂い”が断つ。
一. 薄暮の抄録
伏水は薄暮の頃合い、風にしなる柳の枝が、
水茶屋の軒先をかすめていた。
路地裏の静けさは、昼のざわめきの余韻すらも
残さぬほどに沈み返っていた。
軒先の奥、片隅には、女がひとり。
銀縁の丸眼鏡を指先でそっと押し上げ、
煎茶の湯気越しに、冊子の文字を追っていた。
異国めいた煙管の先から、春霞のようにふわりと紫煙が立ちのぼる。
刻み煙草の香りは、燻した香にほのかな甘みを滲ませる。
女の名は、浦部 玲香(うらべ れいか)。
伏水町奉行所 異品改方の与力にして、“下り物狂い”と蔭口される蒐集家、あるいは偏屈な鑑定人と噂されることもある。
掌に収めたその冊子は、自ら筆を取った『異品抄録』。
記録であると同時に、彼女にとっては密やかな偏愛の証でもあった。
現世から幽世へと流れついた遺物「下り物」たちを記し、
識り、愛でるための帳面。
指先で紙を撫でる。墨の香に混じって煎茶の苦味が沁み入る――
その静寂を破ったのは、唐突な気配と、気の抜けた声であった。
二. 鬼蔵、来たる
「……おお、浦部。ここにおると思とったわ。」
浦部は眼鏡をそっと外し懐にしまうと、湯呑に口をつけた。
ふぅと息をひとつ吐いて、面を向けずに応える。
「……おっさんが笑顔で来るときは、
たいてい碌でもない話や。また“お達し”やろか。」
声の主は、神波 内蔵助(こうなみ くらのすけ)、通称「鬼蔵」
伏見町奉行所の筆頭与力であり、浦部の上役にして、
悪縁めいた息の合い方をする男。
「ふふん。浦部の勘の良さには毎度助かるわ。まっこと阿吽やな。」
にやり笑い、腰を下ろして鬼蔵は懐から一枚の文を取り出す。
墨痕浅く、慌てて書き付けたような走り書き。
浦部は紙を手に取ると、目を細めた。
「……自動装填式連発銃、か。大層な呼び名やけど
――要するに、現世(うつしよ)の軍用銃やろな。」
淡々とした声音の奥で、目だけがかすかに熱を帯びていた。
「闇市の鑑定人より報告や。今宵、町はずれの古寺にて
取引があるとの由。……多少、荒事になるやもしれん。」
鬼蔵の口調は穏やかであったが、目は冗談を言っていなかった。
浦部は茶をひとすすりし、湯呑を卓に戻した。
「へぇ……せやけど、またえらい代物が流れて来たな。
壊れてへん、稼働する連発銃やと……それはもう“悪夢”の類いやで。」
それでも、彼女の声には、わずかに愉悦の色が滲んでいた。
「……ええ夜になりそうやな。」
三. 宵の刻、風鳴く寺にて
新月の晩。
光なき空を雲が覆い、梢を鳴らすは風ばかり。
人の世の輪郭は闇に溶け、ただ音だけが響く夜。
町はずれの古寺。
苔むした石畳を抜け、ぼうと灯る堂の蝋燭ひとつ。
その淡い火は、夢とも現ともつかぬ揺らめきを帯びていた。
境内を取り囲むのは、異品改方の同心たち。
皆、黒羽織に身を包み、 息を潜めて蹲る。
手には十手、刺股、護符。緊張が肌を刺すような夜。
浦部は、彼らの前に立つ。
今宵、眼鏡はかけていない。
代わりに、懐に護符を忍ばせ、腰に差した十手に軽く手を添える。
「風向き、変わったな……」
ひとりごちた声は、誰にも届かない。
それでよかった。彼女は己で決め、己で動く。
やがて、闇の中から、気配が滑り込む。
姿を現したのは狗賓。
――零落した山の精霊の、なれの果て。
白髪を靡かせ、獣めいた気配を纏い、
木箱を小脇に抱えて悠々と堂内へと入っていく。
同心のひとりが思わず喉を鳴らした。
「……あぁ、こらあかん。妖や……。」
同心たちに動揺が走る。
浦部は、ふぅと息を漏らす。
「……各々、覚悟きめや。」
笑うような声が、堂内から響く。僧侶か、それともただの商人か――
聞き耳を立てれば、木箱の蓋が開く音がした。
四. 火花と結界
「……これが噂の……どれ、拙僧にも……」
金属が擦れ合う音。
浦部は護符の端を指先で撫でた。
「坊主に鉄砲……何に使うか知らんけど因果な話やな……」
囁くような声と同時に、
障子が音を立てて裂け、護符が光を放つ。
淡い青白き光が、堂内の闇を切り裂いた。
「――異品改方(くだりものあらためかた)御用改めや。神妙にせえ。」
浦部の声は静かにして鋭く、
氷刃のように場を凍らせた。
言うが早いか、浦部の十手が僧の喉元に閃いた。
堂に響く狗賓の咆哮。
しかし、無用に争う気はなかったのか、
あえて事を荒立てぬまま力を振るうことを避け、
かかる同心たちを跳ね飛ばし、堂の戸を蹴破って闇の中へと去っていった。
静寂のなか、息を呑んでいた同心たちがようやく息を吐いた。
浦部はその背を追わず、ただ僧を見下ろした。
「……現場、押さえたで。しょっぴけ。」
同心たちが駆け寄り、拘束を始める。
灯は揺れ、風は止まず、
その影のなかで、浦部の髪先もまた、静かに揺れていた。
五. 静かな夜の愉しみ
夜も更けて、自室。
書棚にはこれまで手掛けた異品抄録、現世の技術書、図鑑。
そして傍らには古びた打字機、未分解の時計、数多の下り物。
玲香は小袖を脱ぎ、肌着に着替え、銀縁の眼鏡をそっとかけ直す。
そして、愉悦の眼差しで文机に置かれた桐箱をそっと開く。
現世より流れた一振りの筆記具――万年筆。
軸には黒曜のような艶があり、掌にすっと馴染む。
筆先の紋様が、灯の下できらりと瞬いた。
玲香はそれを指で転がし、
筆圧の変化を確かめるように試し書きの紙を差し出す。
「よう滑るわ……この走り、並みの筆と大違いや……。」
滲みも掠れもない墨の筋を見つめ、目を細める。
「そらまあ……こんな筆があったら、仕事なんか三日で片付くわ。」
声には笑いを含ませつつ、筆先には本気の愛着。
鑑定書はまだ書かない。今は、純粋に“眺めたい”のだ。
玲香は万年筆を愛おしげに置き直し、洋煙管に火を点ける。
それは緊張からの解放のためではなく、
ただ、そこに“香り”があるから。
彼女は筆を手に取り、『異品抄録』を再び開いた。
頁に記された名もなき機械たちに、情を注ぐがごとく、記す。
――仕事の道具。私の愉しみ。
結局、“下り物”や。
と、彼女は笑わずに、心の中で言った。
「……ま、ようするに……私はほんま、救われへんな。」
けれど、その声音は、どこか幸福げでもあった。
夜は深く、静かに――
墨を落としたように深い京の夜に、紙をめくる音だけが、淡く響いていた。
――了
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