最終話

「いやあ、――好奇心、ってやつさ。俺さ、エッチでさ……幻滅した? ――だよな」


 自嘲ぎりぎりの声で俺は由真に告白する。わざと最低の仮面を被ろうと思った瞬間、胸の奥が氷に包まれたような鋭い痛みを感じた。今の由真に、俺など必要ない――そう言い聞かせることでしか、この痛みから逃げられなかった。


「じゃあな、由真! 世界の舞台へ羽ばたけ。俺も……ずっと応援してる、からな!」


 俺は逃げるように踵を返す。その背後で、嗚咽を呑み込むような呼吸が跳ねた。


「おいっ!」


「――いやだ! お兄ちゃんと一緒じゃなきゃ、絶対いや!」


 振り返る勇気はなかった。代わりに、喉を焼く言葉を吐く。


「何言ってる。お前は俺がいなくてもカナダで翔べた。俺なんて何の役にも立たなかった」


 本当の痛みほど、痛いものはない。由真をメダリストにする、と誓いながら、あの才能を潰しかけた後悔が走馬灯のように俺の心に蘇った。


「由真には俺はもう必要ない!」


「違う! 違うよ! お兄ちゃんのおかげで、わたし頑張れたんだ! 沙夜ちゃんが“海斗を喜ばせたいならカナダに行くしかない”って背中を押してくれた。――会えなくて、苦しかった。でも、信じて……我慢したんだよ」


 涙を隠さず笑う顔が、俺の忘れかけた痛みを思い出させる。


「俺はもう、お前のコーチじゃない。ただのしがないサラリーマンだ」


 冬の東京オリンピックで金を掴むには、もっと高みへ行くべきだ――足枷になっていた俺が側にいるべきではない。そう告げるたび、心臓が軋んだ。


「そんなことない!」


 線路に飛び込んで守った日から続く絆。それが彼女を縛る鎖になっている。この鎖から由真を解き放ってあげないといけない。


「それに……俺、ずっと由真が跳ぶたびに興奮してたんだぜ。俺は、本当は真性のロリコンなんだ。小さな身体が舞う度に俺はお前の発育盛りの胸や衣装からチラッと見えるスコートを見て興奮してたんだぜ。ほら、幻滅したろ? だから俺はお前のコーチになったんだ」


「……お兄ちゃん!」


「今の……大きくなった由真は対象外なんだよ!」


 涙が零れそうで、真意を悟られたくなくて――逃げた。



 気づけばモールのゲームコーナーに俺はいた。プリクラ機のネオンが、かつて由真と一緒に撮ったことを思い出させる。俺はお守りにしていたあの時の由真の写真をチラッと見た。

 これで全て終わったんだ。由真は本気で俺を幻滅したはず。


「マジ、笑えねぇ……」


 スマホが震えた。ラインを見ると沙夜からのメッセージが表示された。


『ほんと、マジ、笑えねぇわ』


 はあ、どう言うことだよ。俺が振り向くと、沙夜が腕を組み溜息をついていた。


「へたれ。あの子がどれだけ海斗を信じてたか、分かってる?」


「俺が足枷になるよりマシだろ」


「本当に足枷になってるのかな。――ほら、来たよ」


 泣き腫らした赤い目をした由真が駆け寄ってくる。その光景に胸が潰れそうになる。


「海斗はかなり女々しいやつだからさ。きっとここで昔の思い出に浸ってるって、思ったんだよ。由真、ビンゴだったね」


「……小中学生じゃない由真じゃ、ダメかもだけど……でも――わたし、海斗が好き!」


 震える声で由真は真っ直ぐ俺を見た。

 抱き締めたい本能が、嘘で塗り固めた心を少しづつ溶かしていくように感じた。


「海斗がくれたカナダ行きのチケット。本当は行きたくなんてなかった。でも“お兄ちゃんがメダリストにする”って約束してくれたから!」


 熱を帯びた涙が俺の胸に落ちる。


「わたし誓ったんだ。お兄ちゃんをオリンピックに連れて行くって。海斗を“メダリストのコーチ”にするって!」


「でも俺は――」


「海斗はずっと私のコーチだよ。そして、とても大切な人!」


 由真は嗚咽を押し殺し、言葉を紡いだ。


「――結婚してください」


 その瞬間、世界が無音になった。


「由真、急ぎすぎだって!」


 沙夜の驚きの声さえ遠く、俺の鼓動だけが響く。


「こんな底辺サラリーマンでいいのか? 俺、もう二十四歳だぞ」


「だからだよ。やっと告白できる歳になったの! 十一歳が十七歳と交際するのはダメだ。お兄ちゃんに迷惑をかけるからって、ママに“七年待て”って言われたんだよ」


「……七年」


「十八と二十四――この歳なら誰も文句は言わない!」


 由真の母親がどんなに拙いレッスンをしても俺を責めなかった理由、どんなに結果が出せなくても見守り続けてくれた理由が今分かった。俺は涙で目の前が滲んでいた。


「好きな人と一緒にいられるために海斗にコーチになってもらったんだよ。海斗が“メダリスト”を目指すと言ってくれたから、私は“メダリスト”になるって決めたんだよ!」


 熱い雫が頬を辿り落ちる。

 もはや逃げ道は必要ない。


「確かに海斗にとっては小中学生でさえない、今のわたしは魅力的じゃないかも知れない。それでも、わたしは海斗が好き!」


「へっ!? もしかして、由真、あの三文芝居、本気にしてたんだ?」


「へっ!? 三文芝居!?」


「本当に馬鹿なんだから……」


 その声が合図だった。


 俺は由真を抱きしめた。震えも、涙も、全部包み込む。


「ごめん。俺はロリコンなんかじゃないんだ。今の由真が、一番可愛い」


「よ、良かった。ロリコンだって言うから、制服着てきた方が良かったかも、って本気で後悔してたところだよ」


 そんな天然な由真も最高に可愛い。俺はもう逃げる必要がないことをあらためて悟った。


「初めて会った時から、ずっと好きだった。結婚を目指して一歩ずつ歩こう。――付き合ってください」


「えっ、はいっ……! 海斗、ありがとう!」


「ちょ、ちょっと、ギャラリー無茶苦茶増えてるんだけど!」


 モール中の視線が俺たちに突き刺さる。これはスキャンダルってレベルじゃないかもな。その中で由真は笑い、涙を光らせて宣言した。


「芸能記事になってもいい。わたしは逃げないよ。そう、私は、海斗が好き!」


 目の前のカメラのフラッシュがたかれた。由真となら、明日の週刊誌の一面になったっていい。


 二人を封じ込めた一枚が、未来への誓約書になるのだから。




――――――





一月程度でしたが応援ありがとうございました。予定では明日から新作「父親の復讐のために契約したはずの元天才歌姫が、初めはツンツンしてたはずなのにいつのまにか俺に懐いてるんだが」をスタートさせる予定です。

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彼女は小学生!? 楽園 @rakuen3

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